6th step:宝石の香り
サフィールは当てもなく荒野を
「何なのよ……どうしちゃったの?」
サフィールの胸中は不安に晒されていた。誰もいない、異常な大地は生命活動を放棄していた。
「誰か……いないの?」
***
その時、サフィールは旅の道中で見つけた一軒家で身を休めていた。ポツリと置かれたベッドで横になっているうちに眠りにつき、目が覚め時には、世界が変わり果てた姿をサフィールに見せた。自らが身を置くその山小屋のような家の辺りには枯れた紫の大地と数本の枯れ木しかなかった。
「どういうこと」
旅の道中見てきた景色は、ほんのわずかな面影さえも残していなかった。サフィールはベッドから飛び起きる。腐敗のせいでボロボロに
「うあっ」
吹き込んできた風を口いっぱいに含み、サフィールは蒸せ返る。目の前の光景からの先入観だという可能性もあるが、やはり気分的に吸い込みたくはない、汚れた風のように感じられた。サフィールは固く口を閉ざす。薄紅色の艶やかな唇がふるりと揺れた。
「私は」
彼女は必死に記憶を辿る。ゆっくり慎重に戸を閉め、そのまま背中を預けて息をつく。
「待って、落ち着いて、サフィー。あなたは、大丈夫、まだ、生きているから」
静かに言葉を並べ、サフィールは深呼吸を始める。しばらく経ち、再び眼を開ける。
「そう、そうよ。私は、確かウォーロラにいたはずよ」
巡らせていく、記憶に伴って、その明晰な思考回路も。
「そう、私はウォーロラ王国で、面会していた、誰に」
自問自答を繰り返しながら、サフィールの中で星々の活動が互いに
「ク、ロ」
たどたどしく出た二文字は、サフィールの中をまざまざと駆け巡って行った。粉々になった無数の星々の残骸を掻き混ぜ蹴散らしながら、強烈な勢力を持って中央に君臨した。
「クロ、そうよクロ……ああ、クロ」
サフィールの頬を雫が伝う。今はもう存在しない日の光を混ぜたような、透明で、密かに煌めくような涙だった。
「私は、クロを置いてきた……?」
震える声で、自らの行為を振り返り始める。融通の利かない両手を、その両手で必死に押さえつける。
サフィールは、ゆっくりとしゃがみ込む。黒地に金の装飾がついたとんがり帽子が、深く彼女の顔を覆い隠す。跳ね上がる肩を、今は抑えることは出来ない。
「私は、今どうして一人でここに?」
一度困惑し始めた思考は、もはや元のそれではなくなっていった。冷えていく。
「もう、何も、わからないわ」
彼女の記憶は、一度そこで途絶えた。
***
「暇」
殺風景で異様な大地を、彼もまた眺めていた。
「俺に、どうしろと?」
濃紺の
「俺、城行きたかったんだけど?」
ボリボリと荒く頭を掻き、暗いカナリア色のストレートヘアを風になびかせた。枯れた大地には、彼が好むような娯楽は、一切なかった。
「何じゃ、このクッソ退屈な空間は」
気乗りしない様子で、少年はズンズン足を踏み出していく。
「ま、しょうがないか。突拍子もないんじゃあな、よし、どっかに
おー、と無感情に言い放ち、彼は一人で高らかに拳を突き上げたのだった。
彼は名を、
***
「ん」
サフィールは薄っすらと目を開けた。目を覚ました彼女は、ゆっくり体を動かし、調子を確認する。
「ん、あれ?私、眠っていた、かしら……」
寝ぼけ眼を精一杯叩き起こし、サフィールは手をついてふらつきながらも細い両脚で確実に立ち上がった。
「う、ん……大丈夫、みたい、ね」
まだ
「ゆっくりでいい、ゆっくりでいいんだから」
サフィールは道中ずっとそう呟いていた。そう、もはや変わり果ててしまったこの世界では、焦る必要など残されていなかったのだから。
「よし、と」
彼女の左手によく馴染んだ杖を手に取り、心なしか彼女の心にわずかな安心が舞い戻った。
「出発しなきゃ、ね」
数段明るくなった声のトーンを真っ直ぐ飛ばし、サフィールは旅をその場所を出る決心をした。
***
「マジで何もねえ」
歩き疲れてすっかり獅子を投げ出して寝転んでいた殺之助は、ただただ呆然と紫の空を見ていた。流れていく雲はかつての面影を取り去っていて、悠然と
「俺も、あんな時期があったよな」
ポツリと出した言葉は、誰に届けるような意図もない独り言だった。
「流れに逆らうことを知らないって、不幸だよな」
それは、誰に向けたものか。自分に向けたものだったのかもしれない。殺之助は気の向くままに瞼を下ろす。鼻から大袈裟に息を吸い、そのまま無意味に数秒止めてみた。
「ぶはっ、く、苦しい!」
馬鹿げたことをしているようだが、彼はこれで少しだけ生きていることを実感するのだった。
「やってらんないんだよ」
どこかを動かしていないと気が済まなかったのかもしれない。彼はしきりに口を動かし、無感情だが重い言葉を吐き出し続けた。
「俺には、世界は窮屈過ぎた」
「あら、こんなに趣深く興味深いものはないというのに?」
「わあ?」
気持ち的には驚いていても、それに行動や反応が伴わないのが殺之助だった。彼は目を開き驚嘆の声を上げたが、結局飛び起きるまでには至らなかった。
「お姉さん、随分といい身なりをしてるんだね」
「え、ほ、誉め言葉をありがとうございます」
銀の髪を揺らす彼女は、ゆったりと広く垂れ下がる袖口から白い細腕を覗かせた。
「露出度たっか」
「む、しょうがないのよ。魔力の回復促進のためなんだから」
口調こそむすっとして見せた魔法使いの彼女だったが、それとは裏腹に口元には笑みが
「へー、そーんなに大胆な格好で俺の前に現れるなんて、いい度胸してんじゃん?」
「ふふっ、ナメないでちょうだいね?」
「何それー」
殺之助が伸ばした手を、サフィールはいとも簡単に避けてみせたのだ。
「お姉さん、結構大人気ないな」
「ええ。だってこの世界で生き残りたいもの」
サフィールは腰まである長い髪をかきあげる。
「この実力主義の世界では、私のような者はあまりすんなりと認められないのよ?苦労するわ、本当に。でも」
サフィールがその妖艶な目線を殺之助に向ける。猟奇的な雰囲気を、紫に染まった大地が助長する。醸し出し、引き出す。
「実力を高めることが出来たのなら、私でも、認められることはあったわ、幸運なことにね」
ふふっ、と可愛げに笑ってサフィールは肩をすくめる。後ろに回して組んだ両手が杖も後手に回した。
殺之助の眼光が、鋭く光った。
「いいもの、持ってるんだね」
「きゃっ」
「へへ、頂き……あれ」
「なーんてね。そんなこと、言うと思った?」
「わあもうまじでー?やる気引っ込むんだけど。ああ萎えたー」
なおも平坦な口ぶりで殺之助は再び地面に座り込んだ。
「つまんねー」
豪勢な杖の
「駄目よ。これはとっても大切なものなの」
すでにひっくり返って寝そべっていた殺之助を覗き込んでサフィールは
「だから欲しいんじゃんか」
「ふふ、そうかもしれないわね」
否定もせずにサフィールは殺之助へ手を差し伸べた。は?と疑問を露わにする彼に、彼女は優しく言うのだった。
「さあ、一緒に行きましょう?こんな所にあなたを一人置いてなんて行けない」
「え、お姉さん本気で言ってる?馬鹿なの?」
「ええ、私の頭の中は、どうやら他の人とは違ってできているみたいよ?常人では、理解不能なんですって。まあ、それが功を奏したわけなのだけれどね」
微笑むサフィールの表情は少し寂しげになる。
「ふーん、まあ、俺にはどうでもいいや、お姉さんのミソの中なんてさ」
よっ、と拍子を付けて、殺之助は軽やかに立ち上がる。
「俺、これでも盗賊なんで?いつかはお姉さんの心だって奪えちゃうかもね?」
「あら、ふふふ。楽しみにしておくわね」
優しい笑顔をふんわり灯して、サフィールはまた右手を差し出す。
「よろしくね、私はサフィール」
「うーん、仲良しこよしをする気は全くないけど、よろしくなんて言ってもいいもん?まあいいや、俺は殺之助っていうんだわ、よろ」
「殺之助君、とりあえずは一緒にこの先を歩いて行ってみない?まだ見ない何かがあるかもしれないわ」
「君とかはマジでやめてくんねー?俺もうそんなガキじゃねーから」
露骨に不満を顔に出し、殺之助はサフィールを睨んだ。
「あとさ、サフィール結構冒険家じゃね?命知らずか怖いもの知らずって言った方がいい?」
殺之助が憎まれ口を叩き、ふふふと微笑みながらサフィールがそれをさらりと流す。そんな不思議な組み合わせの二人は、なんだかんだで和気藹々と旅路を歩んでいくのだった。
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