135.公爵令嬢の華麗なる遊戯

 周囲は皆、私に釘付けだ。言葉の意味を探るように、殿下をお兄様を、そして私を見る。つい先程までリーガン侯爵夫人を蔑んでいた目とは明らかに違う色を持って、興味深げに私の言葉を待っていた。


「ロザリー?」


 殿下の眉根が寄る。私が突然意味の分からないことを言い出したから、驚いているのだろう。


 何とかして、殿下とお兄様に伝えなければ。


「ごめんなさい。本当はもう少し演劇・・は続く約束・・だったのに、我慢できなくなってしまったの。演劇はもうおしまい。ね?」


 殿下の紫水晶をジッと見つめた。伝わって、と何度も願をかけながら。


 今のリーガン家に傾いて貰っては困る。リーガン家はセノーディアを支える御三家の一つ。リーガン家に代われるような家は、今のところ無いと言っても過言では無い。もしも突然、リーガン家が倒れれば、その席の奪いあいが始まってしまう。そうなれば、国が荒れてもおかしくはない。


 リーガン侯爵夫人の行ったことは、あまり気持ちの良いことではなかった。人前で傷を見せるなんて、考えただけでも背筋が凍りそうだ。


 けれど、やられたらやり返す。そんなことをすれば、セノーディアの地盤が揺らいでしまう。


「折角リーガン侯爵夫人にも手伝って貰ったのに、最後まで演じることができなくてごめんなさい。けれど、もう種明かしをしようと思うの。良いでしょう?」


 少し、あからさま過ぎたかも。けれど、ここまで言えば、私が今までの事を全て『演劇』にしたいことが殿下にだって伝わる筈だ。


 もしも、彼が「何を言っているんだ?」と言えば、私の苦労も泡と化す。一か八か。感のいいお兄様や殿下なら、気づいてくれるのではないか。


 彼が口を開きかけた瞬間、凛とした声が響いた。


「どういう訳か、私にも分かるように聞かせて頂戴」


 私達を取り囲む輪が一斉に広がる。その先には王妃様と、お父様とお母様の姿があった。誰もが首を垂れる。


 相変わらず国王陛下は、どっしりと座って静観の構え。こう言う時に声を発するのは王妃様の役割になっているような気がする。


 軽やかな足取りで花道を通り、私達の前にやってきた王妃様は、いつものように笑顔を見せた。


 殿下以外の全員が頭を膝を折り、頭を下げる。


「面を上げて頂戴な」


 凛とした声が会場を支配する。王妃様の声がするだけで、空気が締まった。軍の隊列のように、皆が揃って頭を上げる姿は圧巻だ。


「さあ、ロザリア。私にも教えて頂戴。今回、貴女達はどんな遊びを思いついたのかしら?」


 まるで、悪戯を叱る母親のように、王妃様は私の顔を覗き込む。私はもう一度恭しく礼をすると、私は悪びれもなく、少女のように笑った。


「勿論です。王妃様」


 今は私が主演。周囲の視線が一心に注がれる。ゆっくりと周りを見渡せば、皆、固唾を飲んで私を見ている。


 舞台の上では振りを大きく。そんな注意を何度も受けたな。なんて、考えることができるのは、余裕の表れか、それとも不安だからだろうか。


「王妃様、そして皆様方も、お騒がせして申し訳ございません。これは全て私の考えたシナリオなんです」


 精一杯の笑顔を王妃様に、そして皆に向けた。


「貴女の考えたシナリオ……もっと詳しく聞きたいわ」

「はい、王妃様」


 王妃様の言葉に、私は頷いた。ここで震えてはいけない。緊張が伝われば、忽ち嘘だと露見してしまう。


 声が震えないように、細心の注意を払う。小さく息を吸った。


「私、肩の傷のことをどう皆様にお伝えするか、今日が来るまで、ずっと悩んでいたんです。ずっと嘘をついていくわけにもいかないですもの」


 私は左肩に手を置いた。今度は痛まない。大丈夫だ。


「そうね。それは私もウィザー公爵夫人と何度も相談していたわ。貴女が王太子妃となれば、隠せないことも増えてくると」


 王宮での生活は、シシリーにだけ着替えや生活を手伝って貰っていた頃とはきっと違う。色々な人の目にとまることになるだろう。何より、公爵家の娘としては、今の状態も少し特殊だもの。私は王妃様の言葉に頷いた。


「王妃様のお気遣い、感謝致します」

「結局私は何もしてやれなかったのよ。感謝されるいわれはないわ」


 私は大きく頭を横に振った。王妃様もお母様も沢山私の事を考えてくれている。そして、今までずっと守って貰っていた。


「畏まって説明するのは何だか不安で、何か良い方法はないかって考えたんです」

「それで演劇?」

「はい。お兄様も、アレクセイ様も、リーガン侯爵夫人も、とっても上手に演じて下さいました」


 これは、全て演劇なのだと強調するように一人一人名前を呼ぶ。リーガン侯爵夫人は肩をびくりと震わせたけれど、声は出さなかった。最後まで、黙っていてくれれば良いのだけれど。


「貴女の倒れそうになる演技もなかなか良かったわ。見ていて心配になるくらい」

「ありがとうござます」


 笑って自信満々に礼をしたけれど、本当は演技なんかではない。そんな器用なことが私にできるとは思えないわ。けれど、今は全部演劇だということにしなくては。


「でも何故、演劇を選んだのかしら? 他にも方法はあったでしょう?」


 王妃様の紫水晶がキラリと光る。私は王妃様の質問に、口角を上げた。


「勿論、お兄様とアレクセイ様が羨ましかったからです」


 笑顔の私とは裏腹に、私を見守る人々はポカンと大きく口を開く。お兄様や殿下は私の意図を察してか表情に驚きの類は出ていなかった。


 王妃様が口に手を当てて、クスクスと小さく笑いだす。王妃様にしては珍しい、普段見ない笑い方だった。私は思わず首を傾げてしまったわ。


「やだ、あまりにも単純な理由だっから……ふふふ」


 堪えきれなくなった王妃様は、周囲の視線も気にせずに、楽しそうに笑っている。王妃様が一頻り笑い終えるのを待って、私は話を続けた。


「だって、王妃様。私だけ芸術祭に参加できなかったんですもの」

「そうだったわね。クリストファーがびっくりするくらい美人に変身したものだから、貴女が留守番していたことを忘れていたわ」


 王妃様がお兄様に視線を移す。お兄様は声を出さずに、小さく肩を竦めた。


「今日も結局、お兄様とアレクセイ様の二人が前に出て、私は何もできませんでした」


 夫人との遣り取りの殆どは、お兄様と殿下によるもの。私はただ呆然とそれを見ていたに過ぎない。


 わざとらしく眉尻を下げれば、王妃様は楽しそうにコロコロと笑う。


「クリストファー。そして、アレクセイ。こちらへいらっしゃい」


 お兄様が私の右隣に立つ。ついで殿下は反対側に立った。


「この歴史ある舞踏会で、こんな大それたことをするなんて、前代未聞のことよ」

「王妃様、私が言い出したことです。罰ならば私がお受けします」


 慌てて前に出た。だって、私が勝手に言い出したこと。お兄様や殿下が罰せられることだけは避けなければならない。


「いいえ、この話を押し進めたのは私です。罰せられべきは私でしょう」


 私を遮るように、お兄様が前に出る。お兄様は何も悪くないのに、また守ろうとするの。眉尻を下げてお兄様を見れば、微笑みを返されてしまった。今回も譲る気は無いらしい。一緒に叱られてくれる気なんだ。


「美しき兄妹愛ね。アレクセイは良いの? ここは、「いや、私がっ!」って二人を守るところよ」

「……母上、このような場でのご冗談は控えていただきたい」


 殿下が大きなため息を吐いた。


「あら? 面白くない子ね。クリストファーはわざわざのってくれたのよ? 貴方も出てきてくれなければ困るわ」


 王妃様が子供のように頬を膨らませると、殿下は二度目のため息を吐いた。


 お兄様は王妃様の冗談に気づいていたの? 思わずお兄様の瑠璃色の瞳を覗くと、首を傾げられた。気づいてなかったのは私だけだったのね。


「大方、仲間に入れてもらえなくて拗ねているのでしょう?」

「そうよ。こういう楽しいことは、次からは、まず私に相談しなくては駄目よ」


 王妃様の真剣な眼差しに、私は何度も何度も頷く他無かった。


「良い? アレクセイもよ」

「そう何度もこんなことはやらないので安心して下さい」

「アレクセイでは信用できないわね。クリストファーは私に相談してくれるでしょう?」

「勿論でございます」

「おい、クリス。面倒な約束はするな」


 殿下の眉間に皺が寄る。何だかんだと言いながらお兄様と殿下は仲が良い。女の私とは違う仲の良さに少し妬けてしまう。


「アレクセイ、もう少しクリストファーを見習いなさいな」


 王妃様が追い打ちをかけて、彼の眉根は力強く真ん中へと寄っていく。


「素敵な余興、楽しませて貰ったわ。リーガン侯爵夫人、子供達の無茶なお願いを聞いて頂いたみたいね。貴女の迫真の演技、鬼気迫るものがあったわ」


 夫人は周りの人に助けて貰いながら、ゆっくりと立ち上がると、静かに礼をした。


「いいえ、私ができる事をしたまで……」


 夫人の声は震えている。けれど、それを揶揄する者はいなかった。


「ロザリア。私は貴女に伝えなければならないことがあるの」


 王妃様の紫水晶の瞳が私を捉える。


「伝えるのに、七年も経ってしまったわ。我が子を守ってくれてありがとう」


 王妃様が腰を折る。そんなことあってはならないことだ。慌てて私は声を上げた。


「おやめ下さい。臣下である私にこのようなこと」

「いいえ、貴女は息子の恩人。そして、娘になる子よ」


 ようやっと頭を上げた王妃様の目尻に皺が寄る。


「王妃様、私の方こそありがとうございます。長きに渡り姿を隠した私を気長に待っていただいて」

「あら、待っていたのは私ではなくアレクセイよ。あの子、頑固なの」


 王妃様の笑顔は、いつもと違って母親のような顔をしていた。王妃様がコホンッと小さく咳払いをする。母親の顔からすぐに王妃様の顔になって、私と殿下を交互に見た。


「アレクセイとロザリア、二人に贈り物があるの。受け取ってくれるかしら?」


 含みのある笑いを見せられて、私と殿下は顔を見合わせた。私も殿下も一緒に目を瞬かせる。


「芸術祭では、ラストダンスがあったそうじゃない?本当はその権利をあげたかったのよ。でも、私少しばかりせっかちなの。だから、特別に最初のダンスを貴方達にあげる」

「けれど、それは国王陛下と王妃様の……」


 セノーディアの社交シーズンの始まりのダンスは、国王陛下と王妃様のダンスから始まる。それを引き受けるわけにはいかない。そんな前例、聞いたことがないもの。


「貴女はセノーディアに吹く新しい風。長い髪の毛を切って流行りのドレスを脱いだ。我が国の新しい時代は、貴女とアレクセイが開くのよ。早く見たいわ」


 王妃様の有無を言わさない笑みが向けられた。殿下に助けて貰おうと、彼に視線を向けると、手を差し伸べられる。


「ロザリー。一曲踊っていただけますか?」


 本当に良いのだろうか。それに私、お兄様と最初に踊るって約束をしている。お兄様に助けを求めた。けれど、視線だけで断られてしまう。すると、催促するように、殿下が首を傾げた。


 こんな時ばかり、分からない振りをして。本当は私が困っていることを分かっている筈なのに。


 小さく睨んだけれど、効果は全く無かった。それどころか、殿下は笑みを深める。


 もう、心を決めるしかないみたい。私はゆっくりと息を吸い込んだ。


「喜んで」


 彼の熱い手に、私の冷たい手が重なった。

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