131.双つの青薔薇

 私に触れる王妃様の触れる手よりも声の方が冷たくて、私は肩を震わせた。答えを見つけることもできなくて、春の訪れを待つようにジッとすることのみが許されたような感覚。喉の奥に息が詰まる。


「王妃陛下、妹をあまり虐めないで下さい」


 お兄様の春の様に暖かな空気が、私の身体を包み込む。氷を溶かすような暖かな手が、肩に触れる。お兄様は私の肩を抱いた。ホッとしたのも束の間、不安が全身を襲う。やはり、『クリストファー』が頂いた青い薔薇を『ロザリア』が付けているのはおかしい。王妃様だって、不快に思った筈だ。


 お兄様にとって、青薔薇は私が頂いた物。だから、返すという意味合いで私のチョーカーに付けたのだろう。けれど、王妃様はその事実を知らないのだ。この青薔薇は、勝手に『ロザリア』が付けて良い物ではない。


事と次第によっては、不敬と取られてもおかしくはないだろう。今一度、私は身を震わせた。


「あら、恐がらせてしまったかしら。ごめんなさいね」


 王妃様が目尻を下げて笑って私の首筋から、その真っ白で細い手を離した。呪縛から解放されたように、体が軽くなる。私は懸命に小さく頭を横に振った。「いいえ」という返事は、か細い声でにもならず、吐く息となって溶けていく。


「けれど、訳を知る権利くらいはあるでしょう? クリストファー、教えて頂戴な」


 王妃様は標的をお兄様に移したらしい。神秘的な紫水晶の双眸が、ジッとお兄様を捕らえて離さない。私は不安な気持ちを隠しながらも、王妃様の視線を追った。


「今日は妹の晴れ舞台。彼女は人の多い所に慣れておりません故、いつも『クリストファー』が側にいるという意味も込めて貸しました」


 『クリストファー』が側にいる。お兄様の言葉に、ブローチをそっと触った。王妃様がチラリと私に視線を向ける。慌てて手を戻すと、微笑まれてしまった。


「クリストファーは良い訳が上手ね。『クリストファー』を側に、ね。素敵だわ」

「寛大なるお心をお持ちの王妃陛下でしたら、この兄心を分かっていただけると確信しておりました」

「うふふ、そこまで言われてしまっては『駄目』とは言えないわ」

「王妃陛下の慈悲深きお心に感謝いたいします」


 お兄様が恭しく頭を下げた。私も合わせて頭を下げる。王妃様の機嫌は元に戻ったらしく、また楽しそうに笑い出した。


 王妃様のドレスの裾を目で捉えながら、お兄様のポンポンと出てくる言葉に感嘆のため息を漏らす。


「クリストファーは口達者ね。そういうところ、私は嫌いではないわ。二人とも、早く面を上げて頂戴な。頭と話すのは好きではないの」


 凛とした声は、拒む事を許さない。言葉通り頭を上げれば、にこりと微笑まれた。どう返していいか悩んだあげく、曖昧に微笑みを返すことにする。


「ねぇ、ロザリア。青い薔薇の双子の花が、青い花以外に咲かせることはあると思う?」


 王妃様の問いが、私達のものであることは明白で、私は頭を横に振った。


「双子ですから、形は違えど青となりましょう。けれど、それを青と認めるのは王妃様のお心次第でございます」


 たとえ、『クリストファー』として青薔薇を頂いたとしても、『ロザリア』で青薔薇を頂けるとは限らない。全ては王妃様の心持ち次第なのだ。


 すると、王妃様はコロコロと笑った。


「それでは私が『赤』と言えば青も赤になるのかしら?」

「畏れ多くも。王妃様がそう決めましたならば、青も赤く染まりましょう」


 王妃様の言葉にはそれだけの強さがある。セノーディアの貴族で、王妃様に楯突くことができる人を未だに見たことがない。お母様は王妃様と仲良しだけれど、喧嘩をしたところは見ないし、王妃様は終始ご機嫌だ。


 お母様も、王妃様の意見に反対するようなことを言っているのを見たことがない。


 だから、私が何か意見を言えるような立場であることは重々承知している。私はお兄様のように口が立つわけでもないし、お母様のように王妃様と仲良しな訳ではないもの。


 私がこんな事を言ったら怒られてしまうかしら。グッと手を握りしめて、小さく深呼吸をした。


「けれど、王妃様は意味もなく青を赤と仰る方だとは思えません。ですので、結局青は青なのでしょう」

「あら、ロザリアは優しいのね」


 王妃様は目尻に皺を寄せて微笑んだ。綺麗な紫水晶に覗き込まれて、私は体を硬くする。


「ねえ、ロザリア。貴女には不思議な魅力があるわ。皆の心を惹きつける不思議な力よ。それは、後から身につけることのできない特別な魔法」


 王妃様の鈴のような声が響く。いつの間にか会場中がシーンと静かになっていて、皆聞き耳を立てていた。


「貴女はその魔法の使い方を知らないのね。けれど、それで良いの。貴女がその使い方を知ってしまったら、その力は無くなってしまうわ」


 王妃様の言っていることが分からなくて、眉尻を下げた。「はい」とも「いいえ」とも言えなくて、居心地が悪い。こんな時、どんな返事をすれば切り抜けられるのか、私は上手い言葉を用意してはいなかった。


「クリストファーに借りた青い薔薇は、ロザリアがそのままお使いなさい。貴女にはとってはそっちの方が特別な筈よ」


 王妃様はそっと腕を伸ばして、もう一度私の首元についている青い薔薇に触れた。何でも見透かしていそうな紫水晶に、私の胸が跳ねる。


 王妃様は気づいていたの?


 私が声を上げようとすると、王妃様は私の唇に人差し指を当てた。


 何も言うなと言うことか。


 触れる指先はすぐに離されたけれど、口を開くこともできず、呆然と紫水晶の双眸を見つめることしかできない。


「ロザリア、貴女は幻の青い薔薇のように美しく気高く生きて頂戴」

「仰せのままに」


 私が頭を下げると、王妃様の指は冬の風のように私の頬を掠めていった。


 そして、王妃様はゆっくりと振り向いて合図を送る。すかさず現れた侍女は、王妃様の側で膝をつく。両手には真っ白な布に包まれた物。丁寧に布を取ると、手を高く上げた。手の中には青い薔薇のガラス細工が佇んでいる。


 それは、一年程前に私が王妃様から貰ったものと同じ青薔薇だった。


 繊細な指がガラス細工を掴むと、お兄様の前に差し出された。


「これは貴方に差し上げるわ。今度は誰にも貸しては駄目よ?」

「この様な貴重な物、可愛い妹以外に貸すことが有りましょうか」


 ガラス細工を受け取りながら、お兄様が何食わぬ顔で言う。お兄様の答えに、王妃様は目を細めた。


「本当に嫌な子ね。そういうところ、貴方の父親にそっくりよ」

「光栄なことでございます」


 お兄様が頭を下げると、王妃様は小さくため息を吐く。諦めの混じったため息は、なんだかお母様に似ていた。仲が良いと似てくるものなのだろうか。


「世界のどこを探しても、美しい青い薔薇が二輪も咲いている国は無いわ。クリストファー、ロザリア。セノーディアが誇る青い薔薇となりなさい」


 凛とした声が会場を支配した。それは私達に聞かせる為の言葉ではない。この会場にいる者達に聞かせる言葉だ。


 これは王妃様なりの餞別のようにも感じた。王妃様に逆らえる者はいない。王妃様の今の言葉は私達を守る盾となる。


 お兄様と私は、お互い視線を絡ませた。小さく頷いて、王妃様に向かって頭を下げる。


「仰せのままに」


 私とお兄様の声が混ざって、会場を駆け抜けた。

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