132.アクイノハナ1

「クリストファー様、お久しぶりでございます」

「クリストファー様のいらっしゃらないアカデミーは、色を失った絵画のようでしたわ」


 王族との挨拶から解放された私達は、すぐに他の貴族との挨拶が始まる。お父様やお母様も挨拶に掛かり切りのようで、少し離れた場所でにこやかな笑顔で対応している。私はお兄様と一緒に、令嬢達にぐるりと囲まれてしまった。


 私には見慣れた光景だけれど、お兄様は初めての筈。お兄様の横顔を伺いうと、笑顔を張り付かせていた。他の人には分からない微妙な変化だけれど、これは少し困っている顔だ。


 お兄様が短く返事をすれば、我先にと誰かが声を上げる。まさに入れ食い状態で、私は妹として手助けすることは難しかった。『クリストファー』として会話をしている時も、令嬢達の勢いには敵わなかったもの。仕方ない。


「クリストファー様、是非妹様をご紹介下さいませ。お話を聞いて以来、ずっとお会いしたかったんですの」


 一人が声高に言う。すると、周りの令嬢達も同意するように頷いた。ちらりとお兄様が私に視線を向ける。私はにこりと笑って頷いた。


「こちらが私の妹のロザリア。皆仲良くしてくれると嬉しい」

「初めまして、皆様方。ロザリア・ウィザーでございます。ずっと外に出られなかったから、お友達が少ないの。仲良くしてくださると嬉しいわ」


 少し頭を傾げれば、短い髪の毛と一緒に、紫水晶のイヤリングが応援するように揺れた。一人一人の目をゆっくりと見て回る。勿論微笑むことだって忘れない。未だに女性らしさというのがどういうものかわからないけれど、今まで沢山の女の子達と接してきた。皆の女性らしさを参考にすれば、どうにかなると思う。そして、ウィザー家に恥じない姿を見せよう。


 馬車の中でお兄様と何度となく練習した自己紹介。上手くできただろうか。


 私達を囲んでいる令嬢達が頬を染める。きっと、私と一緒にお兄様が隣で微笑んだせいだ。


「ぜ、是非、仲良くしてくださいませ。お茶会等もよく開いておりますの。もう出歩いても大丈夫なのかしら?」

「ええ、少しずつ社交にも慣れたいと思っているの。これから、よろしくお願いしますね」


 一番に返事をしてくれた令嬢は、アカデミーでも『クリストファー』であった私に何度か声を掛けてくれた令嬢だった。久しぶりに見る顔に、私は嬉しくなって、ぎゅっと両手を握りしめ笑みを深める。


 アカデミーで話している時はあくまで公爵家の子息として、目の前の令嬢達と接することしかできなかった。けれど、今は一人の女の子として彼女達と仲良くすることができる。とても嬉しい。


「は、はい……」


 令嬢は少し恥ずかしそうに俯くと、小さく返事をしてくれた。女の子同士とは言え、気安く触れるべきではなかったかもしれない。パッと手を離して、誤魔化すように微笑んだ。


 一人で反省をしていると、色々な所から「私も!」という声が上がった。我先にと押し寄せる彼女達に、私は目を丸くしながらも一人一人対応する。


「そのドレスはどちらの作ですか? とっても素敵」

「そのイヤリングは殿下の瞳をイメージしておいでですの?」

「ロザリア様、すらりとしていて素敵。いつも何を食べておりますの?」


 令嬢達の質問攻めはお兄様が止めるまで続いた。やっぱり女の子はお洒落に興味深々で、質問も女性らしい。思えば、『クリストファー』でいる時は、綺麗な物や可愛い物、目についた物を褒めるだけで、装飾品の話やドレスの話をすることは殆ど無かった。


 女の子同士の会話はやっぱりお洒落の話から。私も仲間入りをする為にも、少しでも仲良くなって帰りたいところだ。私のドレスを褒めてくれた令嬢に、目をやった。


「そのドレスも素敵。一足早く春が来たみたい」


 桃色のドレスを着た令嬢はとても小柄で、春の花のようだった。私が憧れている様な可愛らしいドレスを着ている。やっぱりフワフワとしたシフォンが沢山使われているドレスは、こういう小柄な可愛い子が着た方が似合うのかもしれない。


 そうなると、身長の高い私には縁遠い色形のドレスなのかも。可愛らしいドレスを手に入れる夢がゆっくりと遠のいていく。


 桃色のドレスを着た令嬢は、両手を頬に手を当てて恥ずかしそうに頭を左右に振った。


「そんなことありません」


 周りも少しキャアキャアと騒がしくなってきて、会場の中でも目立ってきている。お兄様がそれとなく、私と令嬢達の間に入って微笑んだ。


「そろそろ他にもご挨拶に行かなくてはいけないから、ごめんね」


 お兄様に微笑まれた令嬢達は、一瞬にして静かになった。彼女達は、魂でも抜かれたように呆けた顔をして「はい」と口々に返事を返している。お兄様の微笑みには誰も敵わないのかも。私も思わずぽっかり口を開けそうになってしまった。


「またね」


 呆けた彼女達に、手を振って、お兄様と共に歩み出す。随分と離れた後に、黄色い悲鳴が聞こえてきた。少し怖くて振り向くことはできなかったけれど、絶対お兄様のせいだ。


 周りに人が居なくなったところで、お兄様が小さく肩を震わせた。


「さすがだね。ようやく本物を見れたよ」

「何が?」

「いや、ロザリーはどんな姿でも人を惑わせる天才だなって」


 お兄様は笑みを深くした。けれど、私からしてみれば、お兄様の方が人を惑わせる天才だ。あの令嬢達の顔を、お兄様だって見たでしょう? まさか見ていないとは言わせない。


 物言いたげな目を向けたけれど、お兄様には小首を傾げられてしまった。誤魔化しても騙されないんだから。


「それより、早く話をしたい?」


 お兄様が囁いて、遠く離れた王族の席に視線を移した。お兄様の視線を追えば、少しばかり面倒そうに挨拶に応える殿下の姿がある。


 私は頭を横に振った。


「けれど、殿……アレクはどうやら早くあの場所から抜け出したくて仕方ないらしい」

「そうかな?」


 彼にとって挨拶は仕事の内だ。それをないがしろにするとは思えない。けれど、殿下の姿を眺めていると、一瞬だけ視線が絡んだ。小さく跳ねた心臓が、少しだけ早歩きになる。


「ほら」


 お兄様の自信満々の顔に、返す言葉もない。挨拶をしながらも、私のことをずっと気にかけてくれているのだろうか。職務を全うして欲しい気持ちと、嬉しい気持ちとが混ざって私の心は忙しい。


「さあ、ロザリー。囚われの王子様より、社交だよ」

「そうよ、あーんな男より、友達との会話の方が大切でしょ?」


 聞き慣れた声が背中から襲う。驚いて振り向けば、見慣れた黒い髪の毛が目に入った。私は思わず目を見開いて、声を上げる。


「アンジェリ……」

「アンジー」


 アンジェリカの訂正する低めの声が私の声を止める。「アンジェリカ嬢」と呼びそうになる度に、怒られる。なかなか「アンジー」という呼び方は慣れない。


「アンジー。久しぶり」

「ええ、お久しぶり。今日のドレスもとても素敵ね。さすが殿下ね。リアの似合うドレスを一発で決めるなんて、拗らせ方が違うだけあるわ」


 アンジェリカは満足そうに頷くと、私のことを頭の天辺から足の先まで見て、怪しい笑みを浮かべる。殿下のことを褒めているのか褒めていないのか、なんとも絶妙な言葉選びだ。


 けれど、気に入りのドレスを褒められて、悪い気はしない。


「皆、貴方達に興味深々。女の子達なんて、リアが女だと分かった上でキャーキャーと忙しいわよ。あと、クリストファー様の微笑みにてられた子も何人か見たわ」


 アンジェリカは、口角をあげるとお兄様に視線を送る。お兄様は分からないとでも言いたげに、肩を竦めて首を傾げた。私も一緒になって首を傾げる。


「私のは、物珍しいからじゃない?」


 大体、女の子が女の子に悲鳴をあげることなんて、早々ない。しかも相手は初めて会った人。演劇で男装を務めたアンジェリカならいざ知らず、パッと出てきた私に悲鳴をあげる意味がわからない。


「貴女ね……」

「もしくは、お兄様が隣に居たからかな?」


 その可能性も十分あり得る。私は自分の言葉に大きく頷いた。アンジェリカとお兄様の大きなため息が重なって、私は数度目を瞬かせる。二人は顔を合わせて、目で会話していた。いつも間に二人はこんなに仲良くなったのか。


「何?」

「いいえ、何でもないわ。きっと貴女に言ったところで分からないわよ」

「ロザリーはそのままで良いんだよ。王妃陛下もそう言っていただろう?」


 なんだか、上手く丸め込まれた気がする。私は頬を膨らませて抗議した。けれど、二人は苦笑を浮かべるくらいで、取り合ってはくれなかった。


 それから暫くの間は、アンジェリカとお兄様と三人で飲み物を片手に談笑をする。気を使ってか、誰も間に入ってくることはない。私達は他愛もない話で盛り上がった。


 三人での会話を楽しんでいると、カツカツと音を立てて、近づく影を見つける。高圧的な音に、私達三人は音の方に視線を向けた。


「お久しぶりね。クリストファーさん。それに、アンジェリカさん。そして、初めましてかしら。ロザリアさん」


 リーガン侯爵夫人がニコリと笑う。けれど、目が笑っていない。私達三人はちらりと視線を合わせた後、口々に挨拶をした。


「お久しぶりです。リーガン侯爵夫人」

「ええ、クリストファーさん。貴方は随分と雰囲気が変わった感じがするわ」

「お久しぶりでございます。侯爵夫人」

「アンジェリカさん、貴女は相変わらずね」


 夫人の言葉に二人は曖昧に笑った。さて、私の番だ。


「お初にお目にかかります。ロザリア・ウィザーでございます」


 淑女らしく礼を取る。夫人の眉がピクリと動いた。


「驚いた。よくそんなはしたない格好で来られたものね」


 冷たい声が会場を駆け抜ける。計算してかしないでか、会場中がシーンと静まり返った。

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