130.二度目のデビュー

 何度も通ったことのある花道。けれども、初めてのような感覚に胸が騒めく。お兄様の手がいつもよりほんの少しだけ熱くて、緊張しているのを感じる。反対に、私の手は緊張を重ねると冷たくなるらしい。二人の真ん中で緊張を溶かし合いながら歩いていると、なんだか緊張も解けていった。


 いつだってこの手が私を導いてくれる。生まれた時からずっとそう。結局私はお兄様に頼りきりだ。もしも、この私よりも少し暖かい手がなかったら、まだ部屋の隅っこで瞼を腫らして泣いていただろう。


 繋がる手に力を入れると、お兄様も何気なく返してくれた。


 会場がなんだか騒めいている。ああ、そうか。私の髪の毛のせいだろうか。それともお兄様が素敵なせいかも。


 飴色の髪の毛が視界の端で揺れる度に、鏡の中の私を思い出す。耳元で紫水晶のイヤリングが音を立てる度に、彼のいつも真っ直ぐな瞳を思い出した。


 女の子の黄色い声はお兄様宛。お兄様の方に視線を向けると、優しく微笑まれてしまった。お兄様が微笑むと、より一層黄色い声が増したような気がする。


 お兄様が私の耳元に唇を寄せる。私にしか聞こえない声で囁いた。


「ほら、皆、ロザリーが綺麗だから驚いているね」

「違うよ、お兄様が素敵だから」

「ロザリーは分かってないな」

「お兄様も分かってないと思う」


 お兄様が小さくため息を吐いた。だから、私もわざとらしく真似するようにため息を吐いた見せる。そして、目を合わせて笑いあった。いつも通りだ。きっと、どんなことがあっても大丈夫。


 花道を通る間、好奇の目がお兄様と私の方に向けられている。けれど、殿下が贈ってくれた青が付いているから、全然怖くない。お兄様と軽口を叩くことだって可能なの。


 まずは挨拶からだ。お父様とお母様の後ろをついて進めば、予定通り国王陛下と王妃様の元へとやってきた。陛下のすぐ後ろには殿下が座っている。二つの紫水晶が真っ直ぐに向けられた。その瞬間、落ち着いていた筈の心臓が容易く跳ねる。いつからこんなに私の心臓は軽くなったのだろう。


 どんな顔をして彼を見たら良いのかわからなくて、つい目をそらしてしまった。もしかしたら、変に思われてしまったかもしれない。


 また、胸が騒めいた。けれど、先程とは全然違う騒めきだ。


 お父様に合わせるように、私達は国王陛下と王妃様の前で膝をついて礼を取った。


「陛下、本日はお招き頂きありがとうございます。娘のロザリアです」


 慣例に習って礼をし、慣例に習って挨拶をする。これはもう、毎年のこと。毎日顔を合わせていようと、お父様が宰相だろうと関係ない。お父様は極々自然に私のことを紹介した。


「ロザリア・ウィザーでございます。本日はお招き頂きありがとうございます」


 何度も練習した挨拶はすんなりと言えた。二度目と言えど、この挨拶は慣れない。ホッと胸を撫で下ろすやいなや、ニコニコと笑顔を見せて座っていた王妃様がおもむろに立ち上がった。


 王妃様のドレスが、ふわりと広がる。軽やかに数歩進んだのが分かった。私は視界いっぱいに広がる王妃様のドレスを、ただ呆然と見つめるしか無い。挨拶の為にドレスの裾に添えた私の手を掴むと、王妃様の胸の前でギュッと握られた。


「ようやく会えたわ。ウィザー家のお姫様に」


 王妃様の冷たい手が、私の手を更に冷たくする。王妃様の声に思わず頭を上げそうになったけれど、どうにかぐっと堪えることができた。王妃様の行動にはいつも驚かされる。そんなことを呆然と考えていると、王妃様の握る手が強くなった。


「さあ、二人とも。顔を良く見せて頂戴な」


 二人並んだ状態で、間近で見られることで王妃様に私達の秘密が露見しやしないかと、ひやひやする。それでも逆らえるわけもなく、私はゆっくりと顔を上げた。お兄様も隣で顔を上げる。


「本当にそっくりね。ああ、でもクリストファーは少し変わった気がするわ」


 王妃様は手を伸ばして、お兄様の頬をそっと撫でた。私の胸がポンッと跳ねる。いつもより早歩きな鼓動が王妃様の耳に届いてしまうのでは、と更に鼓動を早くする。


「そうでしょうか。私には分かりません」

「そうでしょうね。そういうことは本人には分からないものよ」


 お兄様が首を傾げると、王妃様は「うふふ」と笑った。お兄様は動揺した様子もない。私もお兄様みたいに動揺せずに対応しなければ。私のせいでお兄様まで巻き添えになってしまう。


「雰囲気が随分と変わったわ。ロザリアもそうは思わない?」


 不意に話を振られて、また胸が跳ねた。決心した側からこれでは、先が思いやられる。


 王妃様の仰る雰囲気とは、多分私とお兄様の違いなのだろう。「はい」と、答えるべきか「いいえ」と答えるべきか。私は返事に困って、眉尻を下げた。「はい」と言っても失敗しそうだし、「いいえ」と言っても上手くいくような気がしない。ならば、「わからない」と答えよう。「わからない」と答えた人に、質問を重ねることは無い筈だもの。


「私にもわかりません。お兄様は生まれた時から変わらず優しいお兄様ですので」

「あら、妬けるわね?」


 王妃様は楽しそうに口角を上げて、ちらりと後ろを見た。殿下の眉根がほんの少しだけ真ん中に寄る。その様子に、王妃様はコロコロと笑った。


「やあね。あの子ったら、昔からクリストファーにも嫉妬するのよ。双子の兄に敵うわけが無いというのに」

「母上っ!」


 殿下は居ても立っても居られないというように声を荒げ、立ち上がった。けれど、王妃様はどこ吹く風。


「あら、静かになさいな。騒がしい男は嫌われるわよ。ねぇ?」


 王妃様が平然と私を見て同意を求める。返事に窮していると、横からお兄様が「そうですね」と頷いた。殿下の眉の間にしっかりと皺が出来る。私の鼓動は走りっぱなしだ。


「貴方は大人しくなさいな。今は私が二人と話しているのよ」


 王妃様がピシャリと言い放ち、終止符を打った。殿下は自らの手で眉間を押し広げると、椅子に座りなおす。王妃様は満足そうに頷くと、もう一度私に顔を向けた。


「ロザリアは、小さな頃みたいに、クリストファーの後ろに隠れたりしないのね?」

「私も大きくなりましたから」


 王妃様の中の『ロザリア』は、未だにお兄様の背中に隠れている女の子のようだ。私は小さく肩を竦めるしかない。本当は今でもお兄様に助けて貰ってばかりいるのだけれど、それは秘密だ。少しだけ見栄をはってしまった。


「クリストファーは少し寂しいのではなくて? 男としては、ずっと頼られていたいものでしょう?」

「そうですね。ですが、私も大きくなりましたから」


 お兄様が困ったように眉尻を下げて微笑んだ。王妃様はお兄様を見ながら、目を細める。


「貴方達は、生まれる前からずっと一緒ですものね。けれど、良いのかしら。あの子が貴方の居場所を奪ってしまっても」


 王妃様の意味深な言葉に、私は首を傾げた。お兄様の居場所を殿下が奪うとはどういうことなのか。お兄様は一度私と殿下に視線を巡らせると、小さく息を吐いた。


「王妃陛下。恋というみちは、双子だとしても、共には歩めません」

「クリストファーは詩人ね」

「お褒め頂き光栄です」


 お兄様が恭しく頭を下げる。王妃様は楽しそうにコロコロと笑った。お兄様の返事でようやく、王妃様の言葉の意味を理解することができた。「恋」という言葉に無意味に胸が跳ねる。胸の内を見透かされているような気分になったからかもしれない。


「子供の成長とは目を見張るものね。クリストファー、ロザリア、これからもアレクセイと共に歩んで頂戴な」

「勿論でございます」


 王妃様の言葉に、私達は頭を下げた。


「それはそうと、私の記憶違いでなければ、青薔薇はクリストファーに差し上げた筈。なぜ、ロザリアがしているのかしら?」


 王妃様の冷たい手がゆっくりと伸びて私の首に触れる。チョーカーに付けられた青薔薇のブローチが存在を主張するように、揺れた。

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