129.青薔薇のドレス
殿下から届いた大きな贈り物は、青い薔薇のようなドレスだった。持ち上げて呆然と見つめていると、後から追いかけてきたシシリーが声を上げる。扉を閉めることすら忘れていたようだ。
「まあ! 素敵なドレスですね」
持ち上げて広げたドレスから、はらりと一枚の紙きれが落ちた。
私が拾い上げるよりも早く、シシリーが私の元まで駆け寄って、拾い上げてくれる。そこには、彼の几帳面な字体で、たった一行だけのメッセージが書かれていた。
『いつだって青は、君と共にあった筈だ』
それ以外に手紙はどこにもなくて、私とシシリーは顔を見合わせた。シシリーなんて、他にもあるのではと、ベッドの下まで探したくらいだ。けれど、それがなんとも彼らしくて、私は声を殺して笑った。
「ロザリア様、着てみますか?」
シシリーの甘い誘いに、私はすぐに頷いた。だって、興味があったのだもの。殿下の選んだ青いドレスがどんなものか。このドレスを着てみれば、彼からどんな風に見られているのか分かる気がした。
「では、まずは旅の疲れを洗い流しましょうか」
「はーい」
シシリーがテキパキと湯浴みの準備を始める。贈り物のお陰で忘れていたけれど、長旅から帰ってきたばかりだった。現金なもので、疲れていた筈の体は、すっかり元気になっている。
いつもよりも幾分か早く終わらせた湯浴み。シシリーと二人で胸を弾ませながら、袖を通す。
青を着た私を鏡の中に見つけて、一雫の涙が頬を伝う。その涙に、シシリーは慌てていたけれど、私にも涙の訳がわからなくて、頭を横に振ってばかりいた。
◇◇◇◇
それは、青い薔薇が咲いたような深みのある真っ青なドレス。左肩のみ隠れているワンショルダー型のドレスは、傷のある左肩を上手く隠す。胸元はシンプルに、左肩から伸びる袖は、白と青の糸で編まれたレースが手首まで伸びている。反対に、右側は肩から指先に至るまで肌を守るものは何も無かった。幾重にも重なるスカートは、薔薇の花びらが重なるよう。
青薔薇のモチーフこそ入ってはいないけれど、ドレスそのものが青い薔薇だと言われても納得してしまうような素敵なドレスだった。
お父様やお母様は、このドレスを着た私を手放しで褒めてくれる。親の贔屓目とも言えなくはないけれど、褒められたら悪い気はしない。
折角準備した真紅のドレスは、クローゼットの奥底に仕舞われる運命となった。殿下の婚約者であると言う印象をつけるためにと、折角作ったドレスではあったけれど、王太子殿下直々の贈り物を着ることに、誰も異議は唱えない。
赤の代わりに、大きな紫水晶のイヤリングで両耳を飾った。赤以上に彼の色のような感じがして、とても気に入っている。
鏡の前に立つ度に、彼の色が耳元で揺れて目が奪われた。何度も目が行ってしまうし、何度も触ってしまう。けれど、やっぱり本物には勝てなくて、早くあの宝石のような瞳を見たいと願ってならない。
舞踏会の日は、朝から準備のせいで慌ただしい。今年は家族総出で参加するだけあって尚更だ。屋敷で夜会を開くよりは何倍も楽だけれど、それでも皆忙しそうにしていた。
私はというと、着替えを済ませれば、お兄様と一緒になって大人して待っているのが一番の仕事だ。こんな時には、なんの役に立たないのかと思うと少しばかり不甲斐なく思う。
舞踏会までの数日は、私もお兄様も落ちついた生活を送っていた。お父様曰く、王宮は大忙しのようで皆、『クリストファー』の帰りを心待ちにしていたようだ。もう王宮で殿下の仕事を手伝うことがないと思うと、少し寂しい。舞踏会後は、私ではなく本物のお兄様が出仕することになる。笑顔で送り出さないと、お兄様が心配してしまうから、気をつけないと。
この短い期間で変わった事といえば、新しくドレスを沢山注文したことと、アンジェリカと久しぶりにお茶会をしたことだろうか。
髪の毛が短いせいか、手持ちのドレスがあまりしっくりとこない。毎日シシリーと頭を悩ませていた。朝食の折り、そんなことをぼやくとお母様の一声で、ドレスを何着も注文することになった。届くのは早くても舞踏会後とのことなので、それを楽しみに舞踏会を頑張ろうと思う。
一つ不満があるとすれば、どのドレスも大人びたデザインだということ。
可愛らしい色や可愛らしいデザインが好きな私としては、小さな頃に憧れた桃色のドレスやふわふわのドレスを是非とも一着作って貰いたいと声を上げたけれど、何故か皆に却下されてしまった。
今度は絶対に一枚だけでも良いから、可愛らしいドレスを作ってもらおうと思う。
舞踏会まで間は、外に出ることも許されず、日がな一日読書に明け暮れることが多かった。そんな時、時間を見つけて遊びに来てくれたアンジェリカにはとても感謝している。彼女は私の髪の毛を見て大きく目を見開いていた。その反応がとても新鮮で、私は静かにほくそ笑む。ポカンと口を開ける姿は本当に見ものだった。けれど、すぐに持ち直したアンジェリカは、家族同様手放しで褒めてくれる。
「今年は短い髪の毛が流行るかもしれないわね」
アンジェリカは、私の髪を見て何度もその話をしていった。それはさすがに褒めすぎだと、私は肩を竦めることしかできない。そして、やはり彼女もまたアカデミーの話をしていった。
皆の元気な話を聞くたびに、懐かしく思う。
「ウィザー家の双子が通うとなれば、アカデミーも大喜びよ。リアからオニイサマにお願いすれば、きっと二つ返事じゃない?」
「うーん、無理強いは良くないと思う」
「けど、妹の貴女が通うとなれば、兄であるクリストファー様も嫌とは言えないでしょ?」
アンジェリカが口角を上げた時、私は思わず後ずさった。まるで「嫌」とは言わせない女王様みたいだったから。私はそんな彼女の言葉に、「考えておく」の一言でどうにか逃げ切った。
ここ数日のことを思い出しながら、小さく笑う。同じ馬車に乗ったお兄様は不思議そうに首を傾げた。慌てて首を横に振ったけれど、お兄様が納得した様子は見受けられない。
「ここ最近のことを思い出していただけ」
私が素直に理由を述べながら肩を竦めると、ようやくお兄様の納得した顔を見ることができた。
「そう。ロザリーは余裕だね。私は緊張で心臓が飛び出してしまいそうだよ」
「嘘。お兄様こそ余裕そうな顔をしているよ」
「そんなことは無いよ。失敗しないかと、不安で仕方ない」
お兄様は困ったよう眉尻を下げた。
そうか、お兄様にとっては社交界にデビューする日だ。去年、私も通った道。いつも落ち着いているお兄様でも緊張するんだ。
私は、お兄様の両手を握りしめて、にっこりと笑った。
「私にはお兄様がいるように、お兄様には私がついているから、安心して」
「それは心強いな」
「でしょう? なんと言っても、経験者ですから」
自慢げに笑う。お兄様に頼られるのは、悪くない気分だ。今日は私がしっかりしないと。お兄様はゆっくりと腰を折ると、二人の重なり合う手に額を付けた。
「ありがとう」
「大袈裟だよ」
お兄様が小さく頭を横に振る。
「今までロザリーが『クリストファー』の居場所を残してくれなかったら、この日は迎えることができ無かったかもしれない」
私からではお兄様の頭しか見えない。少しだけ、お兄様の肩が震えているような気がした。握る手に力を込めて、頭はお兄様の肩に預ける。
「ねえ、お兄様。覚えてる?」
「……何を?」
「『私達が元に戻った時の最初のダンスは、二人で踊ってくれる?』」
それは、一年前に交わした約束。覚えているだろうか。
お兄様が不意に頭を上げる。私も合わせて頭を上げた。
「勿論、最初のダンスはエスコートした人の特権だからね」
「良かった。私はお兄様とダンスがしたくて、今日まで頑張って来たんだ」
お兄様は目を見開いた。そして、はにかむように笑う。私もお兄様につられて笑った。少しずつ、不安が期待に変わっていく。私達にとって、これは本当の始まりだ。
馬車を降りると際には、お兄様が手を差し伸べてくれた。エスコートするのは慣れているけれど、エスコートされるのはまだなんだか気恥ずかしさを感じる。馬車を降りると、お父様とお母様が嬉しそうに微笑んでいた。
会場の入り口。お兄様の手を取って、一歩前へ出た。ゆっくりと開く扉を眺めながら、私は空気を吸い込む。
ネーム・コールマンがお父様とお母様の名前を呼ぶ。二人はいつも通り、笑顔で何事も無さそうな進んでいった。早歩きだった鼓動は、何故か落ち着きを取り戻していく。
「ウィザー公爵家ご子息、クリストファー様並びにロザリア様」
お兄様を見上げると、にっこりと笑って見せた。
けれど、お兄様は私の顔を見て、思い出したように私の手を離す。もう、入場しなくてはならないのに、どうしたのかと私はとても焦った。
私の焦りとは裏腹に、お兄様は気にした様子もなく、胸元のブローチに手を掛ける。青い薔薇のブローチだ。場所が気に食わなかったのか、それを外してしまった。すると、事もあろうに私のチョーカーに括り付ける。
「何か足りないと思っていたんだ。良く似合う」
「でも、これは!」
青い薔薇は『クリストファー』が王妃様から頂いたもの。『ロザリア』が付けて良いものではない。
「ほら、ロザリー。皆が待っている。行こう」
お兄様は私の手を取ると、慌てる私のことなど気にもとめず、優雅に歩き始めた。
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