95.守りたいモノ
小さな頃、何度も憧れたドレス。何層にも重なるシフォンも、繊細な刺繍も、キラキラと輝く宝石も、どれも私の好きなものだ。華やかな春色のドレスは、私の憧れそのもの。お母様や王妃様が着ていたような、素敵なドレスだった。
そんな豪華な女性用のドレスと、
まさか、男としてこれを着ることになろうとは。
一人で着られるように細工をして貰った衣装は、難なく一人で着ることができるようになっていた。肩の傷を隠す様に首元まで覆われたドレスを身に付けながら、安堵する。けれど、足元が心もとない。慣れ親しんだスカートも一年以上はいていなかったのだから、こんなものなのかもしれない。
着替え終えた頃を見計らって、令嬢が二人程入ってきた。彼女達は楽しそうに声を上げる。私のドレス姿は、余り似合っていなかったのかもしれない。髪の毛も短いし、ドレスには似合わない。私の不安を余所に、彼女達は楽しそうに、ドレスを整え鬘の準備を始めた。こうなれば私はされるがまま。ジッとしているだけだ。
「クリストファー様は肌もお綺麗なので、化粧など必要ないくらいですわ」
彼女達は、私の顔に化粧を施しながら、弾むような声を上げる。顔を動かすことのできない私は、首を振ることも頷くことも許されず、小さく笑顔を返した。
準備がとても楽しいのか、彼女達は次第に饒舌になっていく。この豪華なドレスは、例年よりも気合が入っているらしい。今年の衣装担当が、ドレスデザイナーに沢山の注文を付けたそうだ。私やアンジェリカの準備の手伝いが、くじ引きで決まったこともその中で教えてくれた。
彼女達の楽しい話を聞いていると、胸に渦巻いている不安も徐々に霧散してく。化粧を施し、私の髪の毛よりも茶色い鬘を被れば完成だ。
「本当はもっと近い髪色を探したのですけれど」
彼女達は申し訳なさそうに眉を下げたけれど、私は首を振った。飾り付けられた髪飾りが、重い。女性のお洒落は本当に大変なのだと、私は感心せざるを得ない。こんなに重いドレスと宝石を身に纏って、何でもない様な笑顔でダンスをしているのだから。
「さあ、できました!」
鏡の前に立たされた私は、物語に出てくるお姫様みたいだった。何度も夢見たドレスを着ている。茶色の鬘は、短く切ってしまった私の髪の毛の代わり。長かった頃を思い出すには十分だった。
両手を腰に当てている令嬢は、どこか誇らしげだ。もう一人の令嬢も両手を胸の前で合わせて、瞳を輝かせている。
「素敵ですわ。きっと会場中の殿方の視線を釘付けにしてしまいますわね」
彼女の口から、甘いため息が漏れた。次々と口から出てくる賛辞に、私は気恥ずかしさを覚える。けれど、たった二人の観客を前に恥ずかしがってもいられない。
こういう時は、わざとらしく演じた方が良いのよ。
私は心の中で、拳を握りしめると、令嬢達の方に向き直る。そして、一人の令嬢にゆっくりと腕を伸ばした。広がる袖が、私の動きに合わせて揺れる。
私は、そっと彼女の頭を撫でる様に、手を滑らせた。ずっと騒がしかった令嬢は、途端に静かになる。大きな目をこれでもかという程大きく見開くと、口をぽっかりと開けて私を見つめた。
「ありがとう。皆の所に行こうか」
「……は、はい……!」
優しく微笑み、首を小さく傾げると、彼女は小さく一度だけ頷いた。隣に居た令嬢も、同じ様に静かに頷く。私は二人の様子にもう一度笑うと、極力優雅に見える様に意識をして、扉へと向かった。
私は二人の令嬢を連れて、皆が集まるアカデミーの劇場へと向かう。芸術祭の為だけに作られた劇場は、いつも静かだ。劇場に続く廊下も普段は殆ど人がいない。けれど、今は一番賑わっていた。劇場に続く廊下に絵画を飾る為だと、説明を受ける。どこかにまとめて展示するよりも、人の目につきやすいだろうという策略らしい。
私は大きな油絵を見上げながら、感嘆の声を上げた。私の背よりもずっと大きな絵画が飾られている。この他にも、色々な絵画が飾られるらしい。芸術祭の足音が段々と近づいてくる。私は期待に胸を膨らませた。
劇場内はなんだか騒がしいようだった。扉の外からでも、その騒めきが聞こえてくる。
「もう皆着替え終わっているのかな?」
「そうかもしれません。殿方のお着替えの方が、お早いですし」
「楽しみだね」
ゆっくりと重厚な扉を開くと、既に舞台の周辺には、多くの人が集まっている。予想通り、殿下とアンジェリカが着替えを終えて、舞台の上に立っていた。
殿下は王子役。彼は正真正銘の王子様なのだから、衣装も代わり映えしないものかと思いきや、いつもと雰囲気ががらりと違う。
いつもより華やかな衣装を身にまとう彼は、物語の中から出てきた王子様そのもの。長い前髪を後ろに流したのは、誰かの提案だろうか。少し居心地が悪そうだ。
アンジェリカは、華やかな王子様とは正反対に、濃紺に金糸が使われた、落ち着いたデザインの騎士服だ。真っ直ぐに伸びた長い髪は、後ろで一つにまとめられている。彼女も彼女で、ピッタリとした白いズボンに慣れないのか、居心地が悪そうだ。
扉を開く音を聞きつけて、すぐに皆の視線が集まった。広い劇場から音が消えていく。
ここは、綺麗な
私は戸惑いながらも、静かに挨拶をすれば、音がワッと広がった。皆が口々声を上げるので、私のところには雑音として届く。「似合っていない」と言われなければ良いな、と不安でいっぱいだった。
殿下は、何も言わずにこちらをずっと見つめてくる。それこそ、彼と女性の姿がで会うのは六年振り。彼の評価が一番不安だった。似合わないなんて言われたら、落ち込んで『ロザリア』に戻れなくなってしまうかも。
彼の口も体も全く動かない。その間ずっと時間が止まったままの様な気分だった。けれど、それを破る様にアンジェリカが、小気味良い足音を立て、長い髪をたなびかせて、私の元までやって来た。
「さあ、美しいお嬢さん。私に最初のエスコートをする栄誉を頂けるかな?」
私の前に手を差し出すと、勝気な笑顔を見せた。おまけに片目を閉じて、目配せすれば、私の背後にいた令嬢たちが高い声を上げる。私はその声に肩を震わせつつも、差し出された手に手を重ねた。
「よろこんで」
アンジェリカのエスコートで舞台上に進むも、殿下は微動だにしない。その様子に私が小首を傾げると、アンジェリカは楽しそうに私に耳打ちした。
「きっと、ロザリア様のこと思い出しているのよ。呆然としちゃって、やーね」
本当にそうなら、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちだ。私は曖昧に笑った。何より、今は『クリストファー』なのだから、しっかりしなくちゃ!
私は背筋をしっかりと伸ばした。
舞台上に登れば、まとめ役の令嬢や、衣装を担当している令嬢達が衣装の見栄えの確認を始める。聞いたところによると、今日は演劇の練習ではなく、衣装の確認のみらしい。
殿下の隣に立つと、彼はまだ居心地が悪いらしい。主役らしいけれど、華やかなものが得意ではない殿下には、少し派手好きたようだ。
「いつもと違って華やかですね」
「母上の上をいく派手好きがいるとは思わなかった」
皆があれこれ確認している中で、私達はただ舞台に立って待ちぼうけ。殿下は小さくため息をついた。
「似合っていますよ。物語の王子様みたいです」
私が笑顔を向ければ、彼は驚いた様に目を丸くした。
「……こういうのが好きなのか?」
「さすがに、普段着には向きませんね」
長いマントは見栄えばかりが重視されていて、動き難そうだ。さすがに煌びやかすぎて、その格好で外を歩かれてしまうと、皆が困ってしまいそう。私は肩を竦めた。
「クリス、お前もその格好、似合っている」
殿下は言うだけ言うと、ふいっと顔を背けてしまった。私は返事に迷った。だって、殿下は男相手に「似合っている」などと言っているのか。もしかして、やはり私の秘密を知っているのかしら。私は、彼の背を見つめた。けれど、決して背中にも答えは書いて無かった。
「喜んでいいのでしょうか?」
ようやっと言えた返事に、殿下は振り向いて眉を
舞台上での確認が終われば、今日の私達の役割は終わりのようだ。日も大分落ちてきていた。衣装の確認を終えた私達は、展示物を見ながら来た廊下を戻る。
殿下とアンジェリカは軽い足取りで、私の少し前を歩く。二人は別件の打ち合わせを歩きながら行っていた。ドレスに慣れない私は、長いドレスと格闘しながらも、後ろをついていく形となった。
殿下とアンジェリカが立ち止まり、顔を突き合わせて書類を睨む。それを機に、私も休憩とばかりに立ち止まり、展示物が飾られている壁を見上げた。
私の背よりも大きな油絵は、きっとこの芸術祭の目玉となるのだろう。私に絵画の知識が無いのが残念に思えた。豪奢な額縁の中に納まる油絵が、劇場に続く廊下を彩る。
見上げていると、大きな絵画が小さな音を立てて壁から離れた。絵画のすぐ側には、殿下とアンジェリカがいる。後ろで小さな悲鳴にも取れる声が聞こえた。ゆっくりと傾く大きな絵画。私は考える暇もなく、駆けだした。声も上げずに私は真っ直ぐ殿下に手を伸ばした。殿下が大きく目を見開く。
倒れる絵画から、殿下を守ることで頭が一杯だった。
「ロザリーッッ」
殿下の叫び声が聞こえる。その後のことはよく覚えていない。鈍い痛みが身体を襲う。暗闇が私を支配した。けれど、私は早く伝えたかった。
貴方を守る為なら、その手に触れるのは怖くないのだと。
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