94.それぞれの役割

 私は悩みを抱えたまま、演劇の本格的な練習を迎えることとなった。台本が届けられてから、準備は少しずつ始まっている。けれど、私や殿下、アンジェリカが忙しいのもあって、なかなか進んでいないのが現状だ。衣装や道具などの準備ばかりが先行し、読み合わせもままならい。


 上手くいっていないというのに、私は心のどこかで安心していた。練習を重ねれば、必ず殿下の手を取らなくてはならない。その機会が後になればなる程、私に残された猶予は長くなるのだから。けれど、なかなか進まない準備に肩を落としている令嬢を見た時は、胸がチクリと痛んだ。


 相変わらず、触れる練習の再開の目途は立っていない。屋敷での練習でうまくいくこともなく、お兄様やシシリーに「大丈夫」と慰められる毎日だった。


 少しでも早くどうにかしなければ。と、焦れば焦る程に、絡まる糸に私は身動きが取れなくなっていった。


 本格的な練習が始まっても、全員が揃うことは難しく、場面毎に区切って予定を組んでいる状態だ。アンジェリカと私だけの日もあれば、私だけが参加する日もある。演劇の練習中に、声を掛けられ中座することも多い。


 アンジェリカが中座すると、一旦休憩となった。演劇のまとめ役を買って出てくれた令嬢は、少し肩を落としている。私は、スケジュールと睨めっこを始めた彼女の隣に座った。


「ごめんね、思うように練習できなくて」

「い、いえ! 大丈夫です」


 彼女は頬を真っ赤に染めながら、大きく頭を左右に振った。彼女とアンジェリカを待ちながら、取り留めない話をしていれば、私達を囲んで人が集まってくる。気づけば大所帯になっていた。話題の大半は演劇のこと。去年との比較や、今年の内容について等多岐に渡った。


 その中でも、衣装の話は大いに盛り上がりを見せた。


「もうすぐ衣装も完成するらしいですわ」

「クリストファー様とアンジェリカ様は異性の役ですから、難しいですよね。けれど、皆様の麗しい姿を見るのが本当に楽しみですわぁ」


 令嬢達は頬に両手を当てて、うっとりとした表情で宙を見上げる。私も殿下やアンジェリカの姿を想像して、ほんの少しだけ頬を緩めた。


 今回、私達が演じる物語は、身分差を乗り越える恋物語。殿下は王子役なので、衣装も普段と余り変わりがないかもしれない。自前の衣装を持ち込んだ方がそれっぽくなりそうだ。


 アンジェリカは恋敵――騎士の役だ。普段のアンジェリカを見ていれば、想像するのも容易い。きっと、会場中の女の子達の心を奪っていくに違いない。令嬢達がアンジェリカを囲む日も遠くないと思う。


「わたしくしは、クリストファー様の騎士服も、是非拝見したかったですわ」

「騎士のお姿のクリストファー様も、きっと麗しいのでしょうね」


 一人の令嬢が声を上げると、その声に皆が賛同した。彼女達の勢いは凄まじいもので、私は笑顔を浮かべることくらいしかできなかった。彼女達は、留まるところを知らない。アンジェリカが戻って来るまで騎士服の話で大いに盛り上がった。取り残された私は、時折頷き愛想笑いを浮かべる人形と化していた。


 皆が戻ってきたアンジェリカに、冷たい視線を送られたことは言うまでもない。


 練習が終わり、サロンまでの帰り道でも、話を蒸し返されてしまった。私は話を聞いていただけだと肩を竦めれば、彼女は楽しそうに笑う。


「貴方の周りには、いつも人がいるわね」

「そう? 君の周りにもいると思うけど」


 実際、一匹狼の様に一人でいることもあるけれど、よく人が集まっているのを見かける。私の様に気ままに話をするだけではなくて、皆から頼られているのが見ていてわかるのだ。私はどちらかというと、皆に頼ってばかりなので、アンジェリカを羨ましいと思っている。


「貴方の場合は、皆が吸い寄せられているのかもしれないわね」


 アンジェリカが意味深に笑う。私は意味が分からなくて、首を傾げたけれど、アンジェリカはその意味を教えてはくれなかった。



 ◇◇◇◇



 ここ最近、アンジェリカと殿下の言い争いは、日常茶飯事となっていた。


 殿下とアンジェリカが言い争いを始めると、同じ空間にいる全員が身を潜める。二人の言い争いが白熱してくると、助けを求める様に、皆から視線が向けられることもしばしば。結局私が間に入って止めるのだ。二人は言い合いを楽しんでいる節がある。


「あいつ、何でもかんでも人に押し付けて……!」


 殿下は能力に有った仕事を上手に割り振っていった。アンジェリカは殿下の無理難題に苛立っては、その全てをこなす。レジーナは、持ち前のしたたかさで、リーガン家に近しい家の者達を上手く働かせていた。


 サロンに出入りする人も増え、賑やかになる。自由に出入りを許されているのは、アンジェリカやレジーナだけではあったけれど。今も打ち合わせや相談で、サロンは賑わっていた。私は書類にサインをし終えると、手を止めてゆっくりと辺りを見渡した。


「皆、凄いな」


 私が小さく呟いたのを、殿下は聞き逃さない。顔を上げて、私の方を向いた彼は首を傾げた。私は、慌てて首を振る。けれど、殿下は書類に顔を戻してはくれなかった。仕方なしに、私は笑顔を向ける。


「少しだけ羨ましいなと思っただけですよ」

「羨ましい?」

「ええ、自分の能力を最大限に発揮しているのを見て。私は必死にしがみ付いていくのがやっとです」


 私は誤魔化すように肩をすくめた。少し自虐的過ぎたかもしれない。自嘲気味に笑うと、殿下は小さくため息をついた。


「人の良い所は見つけられるのに、自分の才能には気づかないんだな」


 私は彼の言葉の意味が分からなくて、首を傾げた。


「クリス、お前は何でも出来てる。充分過ぎる程に。周りを良く見ているし、いつだってお前が場の空気を良くする。お前が居ないと困る人間が沢山いる。私も他の者も」


 殿下は微かに口角を上げて笑うと、すぐに書類に視線を戻した。私は彼の言葉を理解するのに、時間が掛かってしまって、暫くの間、彼をボーッと見つめてしまう。


 緩む頬を叱咤しながら、私はペンを手に持ち直した。随分前に入れて貰った紅茶はすっかり冷えていたけれど、どうにか平静を保つためにも、冷え切った紅茶を沢山口に含んだ。


「二人共、忙しい所申し訳ないけれど、付き合って貰える?」


 私と殿下は同時に顔を上げると、目の前にはアンジェリカの姿があった。彼女の後ろから二人の令嬢が顔を覗かせる。私や殿下と目が合うと、いつも楽しそうに悲鳴に近い高い声を上げる。今日も例に漏れず、高い声を披露した。


「衣装、できあがったみたいなのよ」

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