66.アレクセイ・セノーディア3
初恋は実らない。
などと言う戯言を最初に言ったのは、誰なのか。俺は目の前の少女の涙に絶望していた。
それは、少し前に遡る。
ロザリアの二度目の訪問は、あの日からそう長く間を置かずに叶った。俺が机に齧り付くように勉強していたことが評価されたからか、ここ最近の母の機嫌が良かったからかはわからない。ロザリアと見た水色の花も、まだ綺麗に咲いていた。
母は、気に入りの五本足のガゼボで今日のお茶会を楽しむようだ。ロザリアとクリストファーの母親と話す時の母は、少しいつもと雰囲気が違う。いつもは隙のない凛とした雰囲気を放っているのに、この人と一緒の時だけ少女の様に笑うのだ。それが良いことなのは、何となく俺にもわかっていた。
何より、俺もロザリアと一緒にいることのできるこのひと時は、何よりも幸せだ。
母親達の隣に座って始まったお茶会。ガゼボの中には、今日の日の為に、いつもと違うテーブルと椅子が備え付けられていた。長椅子には、ロザリアを真ん中に、その右側にクリストファーが、左側には二人の母親が座っている。向かいの席に母と一緒に座った俺からは、彼女の鼻から上しか見えなかった。
キョロキョロと興味深そうにガゼボを見渡す大きな瑠璃色の瞳。楽しそうにフワフワ揺れる飴色の髪の毛。それを見ているだけでも楽しくて、俺は彼女の動きばかりを目で追っていた。
しかし、ロザリアは、俺の視線など気づきもせずに、しきりに自身の手を気にしていた。時折手を目の前にかざしては、楽しそうに隣のクリストファーに視線を向ける。その度にクリストファーは彼女の手を握っていた。その様子が気になって、お茶会どころではない。
結婚したらクリストファーの位置に俺が座れるのか。彼女の手を取って、彼女から笑顔を向けて貰えるのだろうか。
「落ち着きがないわ、アレクセイ。でも、男の子には退屈よね。お部屋に戻る?」
話半分、いや、何も聞いていない俺の頭の上に、母の声が落ちてきた。俺がビックリして見上げると、母は意地悪そうに笑い首を傾げている。思わず首を左右に振れば、母はコロコロと笑い出した。
「嘘よ、二人と遊びたいのでしょう? 仕方のない子ね。いいわ、解放してあげる。クリストファー、ロザリア。アレクセイと遊んであげて頂戴。この子、同じ年の友達ができたのが嬉しいのよ」
母の笑顔に、ロザリアの目が笑う。楽しげに飴色の髪の毛が揺れた。
「お花見てきても良いですか?」
ロザリアは椅子の上で精一杯背伸びをしているようだが、口元までは見えない。彼女の弾んだ声に、俺も嬉しくてたまらなくなった。
「ええ、勿論よ。ロザリアは本当に花が好きなのね。私も好きなのよ」
「王妃様も? お揃いなのね! 王妃様はどんなお花が好きですか?」
「私? そうね……花なら、アイリスの花が一等好きかしら」
母は「うふふ」と笑って、少女のように頰に手を当てた。
「王妃様の好きなアイリスの花も見れますか?」
「あら、少し早いかしら。今度はアイリスを見にいらしてね」
「はい!」
母とロザリア、二人の間で簡単に成された約束に心が躍る。アイリスという花が咲けば、また彼女に会えるのだ。
「ね、お兄様、お花を見に行きましょう。さっき、見たことのないお花を見つけたの」
「うん、良いよ。行こう」
ロザリアとクリストファーは、柔らかな髪の毛を揺らしながら、軽やかに長椅子から降りた。楽しげに庭園に向かって歩き出す二人を俺は、何も出来ずに眺めていると、ロザリアは立ち止まり、スカートを翻してくるりと後ろを向いた。
「殿下?」
ロザリアは不思議そうに俺を見つめた。小さく首を傾げている。俺が瞬きすると、彼女はクリストファーと繋いでいる手とは反対の手を、伸ばしてきた。
ふわりと見せる彼女の笑顔に、胸が跳ねる。
「殿下も一緒にお花を見ましょう?」
俺は慌てて椅子から飛び降りると、二人の元まで走った。ロザリアの側まで近寄っても、彼女の手は差し出されたままだ。手とロザリアの目を二往復する。
これは、握っても良いということなのか。
ロザリアは不思議そうに首を傾げた。俺は、ドキドキと鳴る心臓を叱咤しながら、手のひらをズボンにこすりつけた。
握ったロザリアの手のひらはほんの少し冷たい。俺の手がいつも以上に熱く感じて、恥ずかしくなった。
彼女の手のひらに、小さい山がいくつも出来ていることに気づいたのは、三人で手を繋ぎながら新しい花を見つけ出してからだった。
俺はこの小さな山を知っている。俺の手にも良く出来る。
「ロザリアは剣を触るの?」
女の子が剣に触れるなんて聞いたことが無かった。見たこともない。王宮にいる侍女の手に同じような物ができているのを見たこともなかった。
「あのね、お兄様と一緒に習ってるの」
ロザリアの両手は俺達の手からするりと離れた。離れた手に、少しだけ空虚を感じていると、彼女は剣を構える様に、両腕を前に出した。そして、何度か素振りの型を取る。
「先生に見所があるって言われたのよ。私もっと強くなって、殿下を守ってあげるね」
口角を持ち上げて、ロザリアはにっこりと笑った。俺が守りたいのに。と思ったけれど、あまりにも嬉しそうだったから、俺は笑顔を返すしかなかった。
「お兄様も、私が守ってあげる」
「僕は大丈夫だよ、ロザリー。ロザリーは僕が守ってあげる」
「本当?」
「うん、ロザリーは僕のお姫様だから」
クリストファーはこれ見よがしにロザリアの頭を撫でた。頭まで熱が上がった様な気がした。
「俺だって……! 俺だって、ロザリアを守るっ!」
気づいた時には叫んでいた。ロザリアは、大きな声に驚いた様で、瑠璃色の瞳がこぼれそうなくらい丸々と目を見開いた。
段々と頭に登った血が降りていく。熱が首まで落ちた頃には、恥ずかしさにまた血を登らせた。
「ありがとう」
ロザリアの笑顔を見たら、恥ずかしさも全部どうでも良くなって、思わずロザリアの両手を握った。
「強くなるから、ロザリアよりも強くなるから。俺と、結婚して」
ロザリアはポカンと口を開けて、長い睫毛を瞬かせた。
「けっこん? なあに?」
「一緒に暮らすんだ。父上と母上みたいに」
「国王陛下と王妃様みたいに……お城で?」
「そう」
「でも、私のお家はお城ではないわ?」
瑠璃色の瞳が困った様に揺れている。右に行ったり左に行ったり。
「結婚したらお家がここになるんだ」
「お兄様は? 一緒?」
俺は小さく首を振った。結婚は二人でするものだって先生が言っていたから。俺はそれを聞いてちょっとだけ嬉しかったんだ。ロザリアと二人になれるって。笑顔も、少しだけ冷たい手も、全部俺のものになるって思ったから。
そんな気持ちを見透かされたようで、凄く恥ずかしくなった。けれど、俺はやっぱりロザリアと一緒に居たい。
ロザリアの顔をうまく見れなくて、俯いていると、彼女の足元に大きな雫がポタリと落ちた。
驚いて頭を上げると、ロザリアの大きな瞳からは、涙が流れていた。
「なんで……なんで皆、お兄様を私から取るの?」
ボロボロと涙が落っこちる。ロザリアは両手で涙を塞き止めようとするが、それよりも涙が優った。手から逃れた涙は頰を濡らし、顎を伝い、芝生へと落ちていく。
クリストファーはずるい。生まれてからずっと、彼女の隣にいる。そして、俺の邪魔をするんだ。
俺は、クリストファー・ウィザーが嫌いだ。
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