42.青薔薇の魔法2
壁に背を預けてて、クルクル回るダンスを、ボーッと眺めていた。手にしたグラスはなかなか減らない。
クリストファー様が掛けてくれた二つ目の魔法は良く効いた。周りが、私を壁の花でいることを黙認してくれる。
時折声を掛けられて、お喋りに興じるものの、ダンスの類は誘われない。あの時、誰もがクリストファー様の声に耳を傾けていたのかもしれない。
まだ、右手の甲に熱が残っている。
クリストファー様が、カロリーナ様の手を取ると、注目は二人に集まった。頬を染めて嬉しそうに笑うカロリーナ様と、優しく微笑むクリストファー様は、ダンスホールの主役。
回る度にひらひらと舞うドレス。艶やかな黒髪。物怖じせずに、堂々とダンスをする姿は、さながらヒロインのようだった。
踊れない私とは大違い。
逃げた私に、クリストファー様はさぞガッカリしたでしょうね。
私は今年の冬の始まりに、社交界にデビューした。人見知りで、臆病。それが私。アカデミーでも、ダンスの成績がからっきしだった私は、本来ならあと一年は待つ予定だった。
そのデビューが早まったのは、アレクセイ王太子殿下とウィザー公爵令息クリストファー様の社交界のデビューが、今シーズンに決まったことにある。
アレクセイ王太子殿下はさることながら、ウィザー公爵家は名門中の名門。何より現公爵も宰相でありながら、クリストファー様も王太子殿下とご学友とあって、どの家も年頃の娘の嫁ぎ先に、息子の友人にと目論んでいる節があった。
我がウェルザー男爵家には、子供が一人しか居ない。マリアンヌ・ウェルザー。そう、私だけ。婿を取り、将来ウェルザー家を盛り立てていくのが私の役割。
だから私には、今シーズンのデビューは関係がないと思っていた。けれど、お父様はそうは思ってはいなかったみたいで、あれよあれよと言う間に、デビューを果たしてしまう。ダンスの最中に大失敗をして、お父様に怒られてしまったけれど。
王太子殿下やクリストファー様の年頃に近い令嬢、令息は、今シーズンでほとんどデビューを果たすことになる。そこに乗らなければ婿探しも難しいと、お父様は考えたのだ。
今日の夜会も、ウェルザー家を継ぐことのできる次男、三男と出会う機会を増やす為に、お父様に同行する算段だった筈。そう。聞いていた。
けれど、お父様の仕事が重なったことにより、状況は一変する。
「マリアンヌ、明日はウィザー公爵家のクリストファー様がお前をエスコートしてくれることになった」
嬉しそうに言ったお父様の意図が初めは分からなかった。だってクリストファー様は時の人。そして、絶対にウェルザー家の婿には、絶対になり得ないのだから。
「マリアンヌ、いいかい。もしもクリストファー様がお前のことを見初めたのなら、私はお前を嫁に出すこともやぶさかではない」
私の肩を強く掴んで、鼻息荒くお父様は言った。あんな物語から出てきた王子様みたいな人が、私みたいな平凡な女の子を見初める筈もないのに。何を言っているのか。
私は、それでも「嫌」とは言えず、頷くことしかできなかった。
デビューのあの日から、ダンスの練習は休みっぱなしだ。下手だと笑われてしまったらどうしよう? そればかりが頭を過る。
もし、私が物語のヒロインなら、逃げずにダンスの練習を重ねて、今頃あの中でクリストファー様の手を取っていたのでしょうね。
私は結局脇役でしかない。
「ねえ、貴女がマリアンヌ様?」
凛とした透き通るような声に、私は思考の海から引き戻された。
「えっと……はい」
横を見れば、私よりも小さな女の子が、大きな目を見開いて、私を見上げていた。
琥珀色のクリクリとした大きい瞳。長い睫毛は天を向いている。亜麻色のサラサラとした髪の毛がキラキラしていて、とっても可愛い。
でも、こんな子を私は知らない。こんなに可愛い子、一度会ったら忘れない。
「私は、レガール伯爵令嬢のレベッカと申します。突然ごめんなさい。でも、一度貴女とお話ししてみたかったの」
「私は、マリアンヌ・ウェルザー。ウェルザー男爵令嬢です。なぜ、私をご存知なのでしょうか?」
アカデミーでも会ったことがない。もしかしたら、先日の王宮の舞踏会かもしれない。でも、記憶にはない。
「クリス……クリストファー様から聞いていたの」
「クリストファー様からですか?」
私は首を傾げた。確かに今日、エスコートをして貰ってはいるけれど、クリストファー様とキチンとした形でお会いしたのは今日が初めて。レベッカ様に、私のことをお伝えしているわけがない。
「ええ、マリアンヌ様とクリストファー様は、ずっと前からお知り合いだったのでしょう? 春……春にウィザー公爵家の庭園でクリストファー様と初めて会った時に、貴女のことを探していたもの。「マリアンヌ」と」
ドキリ、と胸が跳ねた。すぐにレベッカ様の勘違いには気づいた。それはきっと、猫のマリアンヌ。彼女はクリストファー様がマリアンヌとい名前の猫を飼っていることを知らないんだわ。
「マリアンヌ様は、クリストファー様とどのような関係ですの?」
彼女の目が真剣に私に向く。きっと彼女もまた、クリストファー様に恋をしている人の一人なのね。
「私の父が、ウィザー公爵様の下で働いているのです」
事実それだけの関係。でも、きっとレベッカ様は勘違いをなさる。
「……そう。マリアンヌ様は、その……クリストファー様から屋敷に招待とか、されていらっしゃるの?」
その質問の意図はきっと、レベッカ様の言う「春の庭園」の話を聞きたいのですよね。
「ごめんなさい、
嘘じゃない。マリーのことは秘密だって約束したもの。なのに、罪悪感が私の心を蝕んでいく。それは、猫のことだと言ってしまったら楽になるのかしら。
そうしたら、レベッカ様はクリストファー様に一歩近づいてしまう気がして、私は罪を重ねる様に嘘をついた。
「皆さんが騒ぐからって、クリストファー様には「秘密にしておいて欲しい」って言われておりますの。だから、ごめんなさい。私からはこれ以上何も言えないわ」
レベッカ様の大きな瞳が、丸々と見開かれた。マリーみたいな琥珀色の瞳。こんなに可愛い女の子を牽制したところで、私には勝ち目があるのかしら。それでも、私にはこの勘違いに縋るしかなかった。
「そう……。ごめんなさい、いきなり」
レベッカ様は琥珀色の瞳に涙を滲ませて、走って行ってしまった。
「私の方こそ、ごめんなさい……」
もう去ってしまったレベッカ様に、謝っても意味はないけれど、謝らずにはいられなかった。だって、私は酷い嘘をついてしまった。
でも、これでレベッカ様がクリストファー様のことを諦めてくれたら、なんて酷いことを考えてしまう。
私の心はこんなに醜かったのね。
こんな気持ちクリストファー様に知られたらきっと嫌われてしまうでしょうね。
「マリアンヌ嬢、大丈夫?」
不意に声が掛かった。振り返ると、首を傾げたクリストファー様がいた。その瑠璃色の瞳に全部見られていたんじゃないかと思うと、とても不安になる。
「ごめんね、一人置いてしまって。今日の役割は終えたから、少し早いけど、お暇しようか」
「……役割、ですか?」
「そう、平穏な学校生活の為には必要だったんだ」
クリストファー様がにっこりと笑う。その笑顔だけで全てがどうでもよくなってしまいそうだった。
「でも、こんなに早く、よろしいのですか?」
まだ、ダンスも始まったばかりだというのに。クリストファー様は、数人の令嬢と踊っただけ。まだお暇するには早過ぎる。
「ああ、そうだね。確かに、可憐な壁の花をこんなに早く摘み取ってしまったら、可憐な花に近付きたくてソワソワしている男性達には嫌われてしまうかもしれないね」
頬が熱くなる。きっと、耳まで熱くなっているかもしれない。ただの世辞の一つだと言い聞かせても、舞い上がってしまいそうになる。
「あの、クリストファー様……その、摘み取って下さいませ……」
お顔を見ることはできない。こんな恥ずかしいこと容易く言えるわけない。でも、今日は、今日だけは私のことを見て欲しかった。私だけのことを、考えて欲しかったの。だって、今日の私はヒロインなんだもの。
「お安い御用です。マリアンヌ嬢」
彼の冷たい手が、そっと私の手を取った。熱くなった右手が、少しでも彼に移って、私みたいに熱くなれば良いと、私は何度も何度も願った。
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