37.王室専用サロンの住人

 常々、書庫と言う場所は、時間の感覚をくるわす魔法をかけていると思う。私は、静かな図書館の中で一人の時間を満喫していたわ。図書館内は、私語厳禁だからかしら。この中では誰も私には話しかけてこない。その点において、ここはとても居心地が良い。


 アカデミーは広い広いと言っていたけれど、図書館も想像以上の広さだったわ。王宮の書庫にも何度か入らせて貰ったことがあるけれど、同じくらいの広さを有している。専門書から娯楽文学まで、豊富な品揃えみたい。恋愛小説も置いてあるのよ。私の知らない本もあるのだけれど、『クリストファー』が借りるのは難しいのよね。


 私は物色する為に、気になる一冊を手に取ってはパラパラとめくっていったわ。気に入る本があれば、今日借りても良いと思ったの。そんなことを考えて館内を移動していたら、随分奥の方まで来てしまったらしいわ。


 本と太陽は相性が悪い。だから図書館は何時も暗くて、少しだけ陰気臭い。私が出会ったのは、そんな薄暗い世界の先の、楽園の様な場所だったわ。


 図書館の一つしかない入口から入って、比較的明るい、勉強のために用意されたスペース抜けると、光の届かない書庫がある。奥の奥のそのまた奥。薄っすらと光が差し込んでいた。


 換気の為にと作られた窓なのかもしれない。そこには似つかわしくない窓。そこだけが日差しが差し込んでいた。日差しから逃れるためか、その周りには本棚はない。しかし、本棚の代わりに、窓辺には長椅子が備え付けられていた。見た感じから、年期物だと良くわかる。


 私は吸い寄せられるように、その長椅子に腰かけた。ギシリ、と音を立てて迎えてくれた長椅子は、どことなくしっくりきたわ。手で色々な所を触ってみたけれど、埃は被っていないようね。いつも誰かが手入れをしているのかしら。何よりも日差しが気持ちいいのよ。


 私は、ここに腰を落ち着かせて、時間まで右手に持っていた本を読むことにしたわ。心地よい日差しが入り込むこの一角は、すでに私のお気に入りになっていたわ。


 本を開けば、違う世界が広がっている。気づけば文字を追いかけ、私は本の中を泳いでいた。


 私を元の世界に引き戻したのは、大きな咳払いだった。はじめは、薄っすらと聞こえた咳払い。気のせいだと思ったの。それよりも続きが気になって仕方なかったのですもの。でも、何度か続け様に聞こえてきて、不思議に思った私は、顔を上げたの。だって、ここは私語厳禁の図書館。そんなにうるさくするなんて、と。


 不機嫌そうな紫水晶の瞳と、視線が絡む。まずい、と思ったわ。


「……よく、ここがわかりましたね」

「ああ、親切なご令嬢方が教えてくれた」


 殿下がにっこりと笑った。笑顔とは、恐いものなのね。こんなに恐怖を感じた笑顔を見たのは久しぶりだわ。殿下には、そういう笑い方をして欲しいわけじゃないのだけれど、きっと今回は私が悪い。


 剣術の授業の間は、カフェテリアにいる予定だと伝えてあった。図書館に来たのは、単なる気まぐれだったし、殿下にはそれを伝えていなかったのだもの。


「そうですか、ではそのご令嬢には、後でお礼を言いましょう」


 その前に、私は殿下に説明しなければならないようね。書庫には時間感覚をくるわす魔法がかけられている話を。私は流れる冷や汗を背中に感じながら、立ち上がった。






「だから王室専用サロンここで待っていれば良いだろう。ここなら誰も来ない」


 アカデミーの本棟、二階の奥に用意された王室専用サロンは、その名に相応しく、王宮の一室を思わせる装飾が施されている。殿下直々に使用を許可されているとはいえ、こんな煌びやかな所、一人でいては、落ち着く筈もない。私は大きく首を振った。


「緊急時以外はご遠慮させていただきます」


 笑顔で返せば、殿下の眉間に皺が寄る。ここまでがいつもの流れになっている気がするわ。王室専用サロンの一角に、豪奢な長椅子とテーブルが備え付けられている。昼食には早すぎるからと、私達はそこに向い合せに腰を下ろした。王宮から用意されたのだろうか、侍女までついている。


「しかし、こうフラフラされては敵わん」


 不機嫌そうにフイッと顔を背けられてしまったわ。そんなにフラフラしているつもりはないんだけど。


「次は気を付けますから。それにアレクは授業以外は、ここを隠れ蓑にする気でしょう? それなら、アレクがあちらこちら探して回るより、私がこちらに出向きましょう」


 侍女に入れて貰った紅茶を口に運びながら苦笑を浮かべるしかなかったわ。


 それにしても贅沢だわ。王室専用サロンでは、食事まで用意される。そうよね、王族だもの毒見が必要ですもの。他の生徒と一緒に食事を摂るのは難しいのかもしれないわね。


 二人で使うには大きすぎるテーブルと、何人も呼べそうな数の椅子。これからここで、毎日殿下と昼食を共にすることになろうとは、数日前までは考えてもいなかったわね。


「それにしても何故あんな所にいたんだ?」

「そうですね。成り行きといいますか」


 殿下と別れてから何が有ったのか、私は詳細に語ることにしたわ。


「ですので、明日からは朝の出迎えも減ると思いますよ」

「そう、うまく行くものか」


 殿下は疑心暗鬼といったところかしら。そんなに簡単に事が運ぶものかと、難しい顔をしているわ。


「なに、噂は風よりも早いですから。ああ、ですから、朝から読書や勉強に励んでいる方を見かけたら、時々で良いので「精が出るな」くらいは声を掛けてあげて下さいね」


 殿下が声を掛けてくれるかもしれないとあれば、皆、朝から勉学に打ち込むことでしょう。殿下にも、それくらいは協力してもらわないと。


 目の前で、殿下の顔がとても嫌そうに歪んでいるけれど、構わないわ。『クリストファー』だけでは押しが足りないんだもの。


「毎日出迎えられるのと、時々一言声を掛けるの、どちらが良いですか?」

「……仕方ないか」


 笑顔で脅せば、彼は渋々といった感じで頷いた。これで、平穏な生活の第一歩が踏み出せそうね。


「そういえば、明日のミュラー家の夜会には参加しないのですか?」


 次女のカロリーナは、殿下の婚約者候補の一人だったわよね。王族は臣下の主催する夜会には参加しない。というのは建前で、『お忍び』で参加するのよね。特に王妃様なんて、ウィザー家の主催する夜会には決まって参加していたもの。


「いや、今回は参加しない」

「それは残念です。アレクが来てくれれば、影に隠れられると思っていたのですが」


 残念とばかりに、肩を竦めれば、彼の眉がピクリと動く。殿下が夜会に参加すれば否応なく注目が集まる。私への視線が減るのはとても気が楽なのよね。


明日はお父様もお母様も参加はしないから、私の味方は一人もいないことになるわ。気を引き締めていかないと。


「そんなことより、ロザリーは元気にしているか」


 明日の夜会のことなど「そんなこと」で片づけて、私と目も合わせずに言う殿下の顔は、少し恥ずかしそうだ。


 私はというと、好きな人に気にかけて貰っているというのに、なんだかおかしくなって笑ってしまったわ。


「それ、昨日も聞かれましたよ」

「昨日と今日では違うだろ」


 そう、この質問。実は毎日の様に聞かれているの。もう、朝の挨拶で「今日もロザリーは健やかでしたよ」って言ってあげたいくらいには。


「ええ、そうですね。今日も健やかに目覚めていましたよ。朝食も共に摂りました」

「そうか、それなら良い」


 彼は毎日、『ロザリア』の様子を聞く割に、それ以上のことは聞いてこないのよね。沢山聞かれても、困ってしまうのだけれど。


 私達は、その後侍女から昼食に呼ばれるまで、ただ静かに紅茶を飲んでいたわ。殿下から、それ以上は質問が飛ばなかったし、私から『ロザリア』の話をすれば墓穴を掘ってしまいそうだったのだもの。


 何も会話がないというのに、居心地の悪さを感じない。私は彼が近くにいるのが当たり前になっていることに驚きながら、紅茶を喉に流し込んだ。

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