36.友2

 殿下が剣術の授業を受けている間、私は長い長い廊下を歩いていた。王立アカデミーは、我が国の最大学術機関と謳っているだけあって、広い。メインの校舎だけでも広いのに、専門棟まであるらしい。


 この先にカフェテリアがあった筈なので、殿下をそこで待とうと考えていたの。


 廊下を歩けば人に会う。人に会えば声を掛けられる。声を掛けられれば、一定時間拘束される。そんなことを繰り返しているものだから、カフェテリアに着く前に、時間になってしまいそう。


 廊下の先から、また人影が見えた。四度目の拘束を覚悟していたけれど、歩いてきたのは、アンジェリカだった。今日も一人で行動している。


 レジーナは何人もの令嬢といつも一緒にいるのだけれど、アンジェリカはよく一人で行動しているわ。二人のアカデミーの女王様は対照的なのよね。


「ごきげんよう、クリストファー様」


 にこりともしないアンジェリカだけど、わざわざ足を止めて挨拶をしてくれたのだから、私も足を止めて返事をした。


「おはよう、アンジェリカ嬢」

「クリストファー様は剣術の授業はお受けにならないのですか?」


「ええ、なのでカフェテリアに行こうかと。アンジェリカ嬢も一緒にどうかな?」


 一人でお茶をするのも良いけれど、アンジェリカと親しくなるには、良い機会だとも思ったの。


「ええ、わたくしでよろしければ、お付き合いいたしますわ」


 かくして、私はアンジェリカと一緒にカフェテリアを目指した。途中何人かの令嬢とすれ違ったけれど、挨拶をされるくらいで下手に絡まれることもない。


 一人で歩くよりスムーズで、思わずアンジェリカを見て感心してしまったわ。私の視線に気づいたのか、アンジェリカは、眉をひそめる。


「何か顔についているかしら?」

「いや、どんな魔法を使っているのかな、と思ってね」

「魔法?」

「すんなりここまで来れてしまった」


 目の前にはカフェテリア。上品なテーブルと椅子がいくつも配置され、既に数組の先客がいたわ。長いと思っていた廊下が然程長くは感じなかった。


「貴方は時の人ですもの。一人で歩けば格好の的でしょうね」

「なるほど」


 女王様は途中で話しかけられたり、引き止められたりしないのね。


 私は、カフェテリアの中央の席を陣取った。周りの人からは少し離れているから、私達が大声を出さない限り、周りには内容は聞かれないと思う。相変わらず、好奇の目は向けられているけれどね。この視線には慣れたとは言え、心地いいものではないのよね。


 注文した紅茶が運ばれてくると、早速と言うように、アンジェリカは口を開いたわ。


「それで、なんの御用でしょう?」

「単刀直入なんだね」


 あまりの率直さに、目を丸くすると冷ややかな視線が返ってきた。


「回りくどいのは、社交の場だけで充分ですから」

「そう? まあ、私も楽に越したことはないけどね。そうだな、友人になりたいと言ったら信じて貰える?」


 普通、友人になる時ってどうやってなるのかしら。私には残念ながら友人と呼べる人が、殿下しかいない。殿下に「友人になって」とお願いしたことは無いから、ゆっくり打ち解けていく感じだと思っていたのだけれど。


「友人? わたくしと、貴方が?」

「そう、仲良くなりたいと思ったんだ」

「……なぜか聞いてもよろしいかしら?」


 にこりともせずに私を見る。この黒い瞳の奥で、彼女は何を考えているのかしら。


「私と対等に話してくれそうなのは、君だけだから、かな」


 肩を竦めて、笑って見せた。今日までの間、まともに会話ができたのはアンジェリカくらいだったのよね。残念なことに。


「そう」


 彼女は少し、考え込んでいるようだったわ。だから、私は彼女を急かさないように、微笑んだ。


「考えておいて。友人になり得る相手だと認識して貰えるだけで、今日の収穫は大きいからね」

「大袈裟なのね」

「そう? 五年引き篭もってたから友人が少ないんだ。アンジェリカ嬢、君とは良い関係が築けたら嬉しい」


 アンジェリカは大きくため息をついた。けれど、否定はしなかった。肯定もされていないけどね。


「それで、私をここに誘った理由は、それだけではないんでしょう?」


 その黒い瞳は、何でも見透かしてしまうのかもしれない。私の二つ目の目的も、本当は知っていたりして。


「さすが。話が早いね」

「カフェテリアにわざわざ誘って、しかもこんな目立つ席を選んでおいて、「友達になりたい」が目的だったら逆に驚いてしまうわ」


 その通りね。私は大きく頷いた。彼女は状況を把握できる力も持っているらしい。女王様に相応しい、と言ったところかしら。


「確かに。その通りだね。では、単刀直入に言おうか」

「そうして貰えると助かりますわ。時間は有限ですもの」


 紅茶を一口飲むと、彼女は両手を膝の上に乗せて、姿勢を正した。


「では。この後誰かに「カフェテリアでクリストファーと何を話していたか」と聞かれたら、「授業前、朝から勉強や読書をしている女性がいて、非常に好感が持てた。と、言っていた」と、話して欲しいんだ」


この噂が広まれば、きっと朝の出迎えが減って、『クリストファー』と仲良くなりたい人達は、教室で読書や勉強をしてくれるでしょう。


「あら、回りくどい方法がお好きなのね」


 彼女は少し目を丸くさせて、私を見たわ。私のお願いは、彼女の予想からは外れていたのかもしれない。


「私が、直接一人一人に、「朝の出迎えをやめて欲しい」と言うよりも効果的だと思うけど」

「そうね。てっきりその役回りをお願いされるとばかり思っておりましたわ」


 そう予想しても仕方ないかもしれないわね。日に日に出迎えの人数は増えていたし、それに伴って殿下の機嫌も悪化していたもの。それに気づかない程、彼女も馬鹿ではないということ。


として?」

「ええ」

「女性を盾にして逃げる趣味はないから安心して」


 彼女は、目を大きく見開いた。なぜ驚くのかわからなくて、小首を傾げると、彼女は数度左右に首を振るだけだったわ。


「わかりました。噂くらい流しておきましょう。その代わり、私からもお願いがありますの」

「交換条件か。何かな?」

「明日、我が家で行うカロリーナの誕生日パーティで、カロリーナと一曲踊って頂きたいのです」


 確かにミュラー侯爵家からは、招待状が届いていたわね。行くと返事を送った筈。


「そんなことでいいのかな? 別に構わないよ」

「ええ、よろしくお願いします。あの子、貴方と踊りたいと言ってきかないのよ」

「それは光栄だね」


 カロリーナとは一度、ダンスを踊った。そう、お母様が作成したリストの三番目の女の子。そして、殿下の婚約者候補なのよね。リストに、カロリーナの名前はあったけれど、アンジェリカの名前は無かったのよね。婿になり得ない『クリストファー』は不要ということかしら。


 カロリーナ、彼女のことは覚えているわ。アンジェリカと同じ黒髪黒目の勝気な女の子。でも、ダンスの間、花が咲いたように笑っていたわ。そこはアンジェリカと正反対。


 アンジェリカも笑えばもっと可愛くなるわ。


「何かしら?」


 私はまたアンジェリカの顔を見つめていたらしいわ。怪訝そうに眉を寄せる。殿下の眉間の皺も心配だけれど、彼女の眉間も心配だわ。


「いや、笑った顔が見たいな、と思っただけだよ」

「なっ……!」


 回りくどいのは嫌だと言うから、素直に伝えて微笑んだら、彼女は声を荒げてきまった。皆の視線が私達に集まっているわ。早めに退散しようかしら。


 私は紅茶を飲み終えると、立ち上がった。彼女はまだ怖い顔をして絶句している。


「大丈夫かい?」


 向かいに座る彼女の顔を覗き込んでみると、白い頬が段々と赤くなっていったわ。もしかして、怒っているのかしら。


「うるさいわね。この悪役顔に、笑顔は似合わないわよ」


 私から離れるように、顔を背けてしまったわ。笑顔に何か嫌な思い出でもあるのかしら。小さな頃に悪口を言われたとか?


「笑顔が似合わない人なんて、この世にいないよ。そんなに心配なら、今度こっそり見せて。友人として、似合うか確かめてあげよう」


 私は思わず、彼女の頭を撫でた。最近癖になりつつある。シシリーから、不用意に女の子の頭を撫でるな、と言われているのに、この有様だわ。


「それじゃあ。アンジェリカ嬢、例の件よろしく」


 何を言っても、最後まで彼女は私を見なかったし、笑顔も見せてはくれなかったけれど、いつか友人として笑顔を見せてくれるようになったらいいわ。


 それにしても、この後どうしようかしら。カフェテリアで待っているつもりだったけれど、出てきてしまった。


 私はカフェテリアの扉から、庭園に出た。その先に建つ、煉瓦造りの大きな建物が目に入ったわ。


 確か、図書室だったかしら。王宮に次ぐ蔵書量だと聞いている。専門書の数は王宮より多いかもしらないわね。暇つぶしに行ってみましょう。


 私は、図書室に足を向けて歩き出した。

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