35.友1
毒されているな、と感じる。私は今日も同じように広がる光景に溜息をついた。
「おはようございます。クリストファー様」
口々に声が掛かる。今日も色とりどりの美しいドレスに身を包んだ少女達がアカデミーを華やかにしている。編入から数日経ったところで、入り口までの花道はなくならない。それどころか、増えてさえいるような気がするわ。
「皆、おはよう」
笑顔で返事をすれば、黄色い悲鳴のような声が響き渡る。ここまでが、習慣化しているのが少しだけ憂鬱。
最初、この花道を回避すべく、私はいつもよりも随分早くに来たことがある。しかし、人数が少なくても、彼女達はアカデミーの門の前でしっかりと花道を作って待っていた。
彼女達は、親にウィザー公爵家との渡りを付けるように言い含められているのかもしれない。その為の朝の花道だとしたら納得がいくわ。
アカデミーの入り口の扉を抜けてすぐの所に、殿下が壁に背を預け、不機嫌そうに待っていた。
「アレク、おはようございます」
「ああ」
殿下の様子を伺うように、近くには人集りが出来ている。これも最近では日常茶飯事となっている。殿下にはここで待つ必要はないと一度告げたのだけれど、「構わない」の一言で一蹴されてしまったわ。私が構うのだけれど。
二人並んで歩けば、人が両端に避け、また花道が出来上がる。
「クリスはよく平気だな」
眉を寄せて苦々し気に言う殿下の目線は、花道に向いている。
「平気なものですか。私は殿下が羨ましいですけどね」
「なぜだ?」
「王族専用の門には、花道はできないでしょう?」
アカデミーでは、王族も通うことが考えられているため、王族専用の入り口やサロンなど、王族のみが使える空間が数多く存在するらしいわ。国王様もそこを使っていたのだと、先日説明された。
「明日からは、あっちを使えば良いさ」
「あっち」とは、つまり王族専用の門をくぐれと言うのだろうか。
「それはさすがに醜聞になり兼ねますよ」
「ならば毎朝屋敷まで迎えに行くか?」
一緒にご登校? それもさすがにご遠慮したい。しかも毎日、王太子殿下自ら迎えに来てもらうなんて、醜聞どころの騒ぎではなくなりそう。
「そこまで行くと命の危険すら感じますから、どちらも遠慮します」
「だが、今日の様な状況が続くのは煩わしい」
アレクの横顔がとても苦しそうに歪んでいて、毎日大騒ぎのアカデミーに嫌気がさしているのは明白だわ。私も大分辟易しているのだけれど。
「わかりました。もう少し落ち着いて学業に邁進できるよう、何か案を考えてみましょう」
そう、ここは王立アカデミー。この国で一番の学び舎の筈。毎日こうも社交に勤しむのは関心ならないもの。
「クリスが言うと、簡単に実行できそうだな」
殿下が目を細めて小さく笑った。久しぶりの笑顔に私は少しだけ、浮足だってしまったわ。私が立ち止まると、殿下も一緒に立ち止まった。彼が小首を傾げたので、笑顔で返したわ。
恭しく胸に左手をつけて、軽く膝を折りゆっくりと礼をした。
「お褒めにあずかり光栄です」
大袈裟な態度に、彼の表情が一変する。いつもの仏頂面。
「今のは嫌味だったんだけどな」
「そうでしたか。私はてっきり「最高の友を持った」と言われたのかと思いました」
胸に手を当てたまま、また大袈裟に項垂れて見せた。殿下から否定の言葉はなく、フイッと顔を背けられてしまったわ。
「行くぞ。今日から授業だろ?」
「ええ、そうでした。急がなくては」
私達は廊下を急いだわ。この三日間、私達はひたすら試験を受け続けていたの。このアカデミーは、社交のシーズンが終わる夏から始まる。冬から編入した私達は、半分程周りから遅れていることになる。
でも、大抵の貴族の家では家庭教師を雇って、子供が幼い頃から必要な教育を施す。勿論、王族もウィザー公爵家も例外ではないわ。
時にはアカデミー以上の内容を習っている筈。
王立アカデミーの授業には、二種類ある。選択授業と必修授業。
選択授業は、剣術や馬術と言ったものや、文学から農学、医学と多岐に渡り、秀でた者は、卒業後、専学コースでより深く学んでいくらしいわ。専学コースからは、多くの研究者や医師などを輩出している。
貴族の中でも、爵位を継がない次男以下の子息は、専学コースに進み、国の中核を担う仕事を目指している者が多い。この話はお父様の受け売りなんだけど。だから、アカデミー入学者は次男、三男が多いらしいのよね。
必修授業は言わずもがな、この国を支える貴族の子女ならば必ず習わなくてはならないことを学ぶ。
しかし、殿下と私は、夏から始まった半年分の必修授業を受けていないため、試験を行うことになったの。試験に受かれば、授業は免除、落ちれば補講を受けて補填することとなったわ。
はじめは、どんな難しい問題がくるのかと、胸がドキドキ言っていたわ。すごく不安だったの。でも、試験問題を見て、私は呆気にとられたわ。
試験を終えて、私は殿下と顔を見合わせたわ。そう、あまりにも簡単だったんですもの。殿下も気持ち同じだったみたいで、いつも以上に難しい顔をしていたわ。
「簡単過ぎやしませんか?」
「ああ、あんなの初歩の初歩だな」
そう、幼い頃に習い終えている、そんな内容だったのよ。これを必修授業と称してやっているのか、と思うと頭が痛くなる。
私もあの時は笑顔を忘れて真顔になってしまったわ。
その日の内に、必修授業の試験は全て終えた。多分全教科満点だと思う。殿下も多分全問解けたと言っていたわ。
本来なら登校二日目には皆と同じように授業を受ける筈だったのだけれど、二日目の朝、大量に吹き出る汗を拭いながら私達の前に現れたのは、このアカデミーの管理をしている、シーガー氏だったわ。
彼からの申し出は、特別に必修授業免除の試験を受けることが可能であるというものだった。勿論、私達はすぐに頷いたわ。そういう理由から、登校開始三日間は試験三昧だったというわけ。
「クリス、お前は確か剣術は取っていなかったな」
「ええ。剣術も体術も入れていませんね」
「相変わらずだな」
殿下の大きいため息が、私に訴えかける。私はそのため息に、微笑むだけに留めた。
社交界にデビューする前、王宮に通って殿下と勉強は共にしていたけれど、剣術や体術、馬術だけは必ず断っていたのよね。男の人に触れる可能性が大きいものは避けなくてはならないもの。
だから、剣術も体術も馬術も全て選択授業だったのにはホッとしたのよ。
「アレクも充分すぎる程お強いのですから、もう不要ではありませんか?」
一度だけ、殿下の剣術の稽古を見せて貰ったことがあるわ。研ぎ澄まされた剣技に、鳥肌が立ったのを覚えている。
「まだだ。大切な人を守るにはまだ足りない」
真剣な眼差しが返ってきた。思わず私は、肩を抑えた。
それを見て、殿下の眉が少しだけ寄ったの。私はとても慌てたわ。だって、『クリストファー』の肩には傷がないことを殿下は知っているのですもの。肩の傷を押さえる意味がないのよ。
誤魔化さなくては。
「では、何者かに襲われたらよろしくお願いしますね」
こんなことを言えば、きっといつもの様に悪態をついてくる筈だ。「なんで私が」と返事をしてくれれば、私は「残念」といつもの様に返事ができるもの。
「そうだな。お前のその細い腕では戦えそうにないからな」
殿下はいつもの様に悪態なんてつかなかった。それどころか、普段見せないような笑みまで見せてくる始末。
予想外のことに、私は結構混乱していたわ。でも、ここで『クリストファー』の仮面を放り投げるわけにはいかない。
「友を置いて逃げるの趣味はないので、死ぬまで襲われないように、毎晩祈りを捧げましょう」
「ああ、それが良い。そうしてくれ」
私が祈る様に両手を胸の前で組めば、殿下は楽しそうに笑った。こんなに笑う殿下を見るのは、六年振りだわ。
こうやって、友としてでも、また笑顔を見せてくれることが今はとても嬉しい。私は殿下の笑顔を見て破顔した。
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