4.シシリー先生の殿方講座

 幼い頃、何度もお兄様とお洋服を交換して、『取り替えっこ』という遊びをしていた。大人しかったお兄様とは対照的に、私は毎日庭園を馳け廻るような元気な子供だったからか、お父様やお母様の元を訪れるお客様はよく騙されてくれてとても楽しかったのを覚えている。


 小さな頃は、 活発な子供だったこともあって、服装を変えれば大人達は、男の子だと騙されてくれたけれど、今はそうもいかない。成長するにつれて男と女では、どんどん違う生き物になっていく。双子の私達だって全然違う。姿形は似ているけれど、お兄様と私では全く別の人間だ。今では、服装を変えるだけでは間違える方が難しいだろう。


 私は早速、シシリーと完璧な王子様になるための作戦会議を始めることにした。


「シシリー。まずは問題点をあげようと思うの。何故今の私が男性に見えないのかがわかれば、おのずとやることは見えてくる筈よ。今日上げた問題点を一つ一つ直していけば、『クリストファー』に近づいていくと思うの」


 真っ新なノートとペンをテーブルに広げて、私はシシリーと向かい合った。シシリーは私の大好きな紅茶を入れてくれる。バターをふんだんに使ったクッキーも添えられた。準備は完璧である。


 ここはウィザー公爵邸の別邸。小さなサロン。お兄様と私が十歳の頃から住んでいる場所。別邸は本邸と庭園を挟んで反対側に作られた小さな建物だ。本来はお客様が泊まれるようにと建てられた物らしい。公爵家という立場もあって、本邸には多くの人が行き交う。療養中のお兄様には落ち着かない場所だからと、五年前にこの別邸に二人で移った。私がお兄様と離れることを良しとするわけもなく、結果的に別邸にはお兄様と私が暮らしている。


 本邸で寝起きするお父様とお母様も時々こちらに泊まられることがある。お母様の侍女であるメアリーも、良くこの別邸に訪れては私達とお話をしてくれたり、髪を切ったりしてくれていた。この別邸の中と裏庭。庭園の一部が五年前からから私の世界の全てになった。


 一年中花が咲き乱れているこの世界が私は大好きなの。お父様とお母様とお兄様と私。皆で笑っていられる世界。


 けれど、私がこの世界に閉じ篭って得られる幸せの期間は短い。だからこそ、私は『クリストファー』にならなければならない。


「そうですね。問題点、ですか。……まずは、話し方ですね。男性と女性では大きく違いますから。慣れ親しんだ話し方ではあると思いますが、ここはきっぱりと別れてしまいましょう!」

「ええ、そうね。話し方を治すのはとても難しいわね。いいえ、難しいなどと、言ってはいられないのよ……いられない、ね」


 話し方を変えるのはとても難しい。だって普段使っていない言葉遣いなんだもの。それに、少しの気恥ずかしさも混じっていた。


「男性らしく話すためにも、沢山お話しを致しましょう。そうすればすぐに慣れますわ」

「そう……だね、ああ、難しいわ……ではなくて、難しいね」

「ふふふ、いつか社交界で人集りができるであろう、麗しのクリストファー様のこんな姿を見ることができる数少ない人間であることを、私は神様に感謝しなくてはなりませんね」


 失敗してもシシリーは上機嫌だ。乙女心は良く分からないものね。私も一応乙女なのだけれど、シシリーの喜びは共感できるとは思えなかった。


 今日私ができたことといえば、シシリーの話に耳を傾けながら、時折ぎこちない言葉を返す程度だった。シシリーには、練習の為にも、もっと話すようにと言われたけれど、五年も俗世から離れてしまっていて、私の持っている話題と言えば、お兄様の話と庭のお花のこと。家庭教師や読んだ本から学んだことくらいしかない。つまりは、殆どがシシリーと共通の話題なのだ。


 比べてシシリーは、仕事で町にも足を運んでいる。時には市場や繁華街にまで出歩いたりもするらしい。そういえば、以前お土産にと、可愛らしい栞を買ってきてくれたことがある。本邸で仕事をする侍女や料理人、庭師等様々な人と話す機会も多いようだ。屋敷の外にも友人や知人も多いと聞く。話題の豊富さもさる事ながら、シシリーは話すのがとても上手い。ついつい私は、本来の目的を忘れて聞き役に回ってしまうのだ。


「私も、シシリーの様に話し上手になりたいよ。シシリーはとても話が上手だし、沢山のことを知っているから、ずっと聞いていられそうだよ。それにひきかえ、私は駄目だね」


 私は自嘲気味に笑うと、シシリーがきょとんとして、私を見た。そして、慌てたように手と頭を大きく振って、大袈裟に否定する。


「いいえ! 大丈夫ですわ、クリストファー様。今のは女性だと知っている私でも、キュンとしてしまいました。殿方は少しくらい話し下手で宜しいのです。今は……話し方を治す為にも沢山お話しした方が良いかと思いますが、多くの女性は話すことが大好きですから、殿方は女性の言葉に耳を傾けて、時折頷き、褒めてあげたり、甘い言葉の一つでも言って下されば、大抵の女性はクラリ……ときてしまいますわ!」


 シシリーがおもむろに立ち上がり、拳を握り締めて力説する。あまりの力強さに、私は頷くしかない。


 でもね、シシリー。私は社交界に出て、女性をクラリ……とさせたいわけではないのだけれど、今言っても聞く耳は持ってくれなさそうね。


 その後もシシリーが話して、私が二言、三言返すお茶会が続いた。最後の一口、私が紅茶を飲み干すのを確認すると、シシリーはまっすぐ私を見た。


「クリストファー様。この時間、お話ししてわかったことがあります」

「なにかし……」


 すぐにいつもの言葉遣いが出てしまう。女性の様な言葉遣いが出る度に、シシリーが無言で首を横に振って止めるのだ。


「……なんだい?」


 言い直すと、シシリーは満足気に頷いてくれた。私はホッと胸を撫で下ろす。


「クリストファー様は『男性』として話そうとして失敗してしまうのですよね。今、クリストファー様の男性像はとてもあやふやなのではありませんか?」

「そう、だね……。男性の見本はお父さ……いいえ、父上やクロード、お兄様くらいしかいないけれど、皆違った個性があるから……」


 親子とは言え、お父様とお兄様では全然違う。寡黙なクロードも、礼儀正しい家庭教師も、一人一人違っていて、『男性』と一言で言っても様々だ。


「突然『クリストファー』という人物像を作り上げるのは難しいですよね。ですから、本来のクリストファー様、ロザリア様のお兄様の真似をしてみてはいかがでしょうか? お兄様の真似でしたら得意でしょう? 私は何度も騙されておりましたもの」


 お兄様の物真似。確かに幼い頃はお兄様みたいになりたくて、お兄様のお洋服を着て、お兄様の振りをしていたわ。勿論『取り替えっこ』と称して二人で遊んだこともあれば、ただお兄様と似た格好をして走り回っていたこともある。


「確かに、『お兄様』とは毎日話をしているし、彼の真似なら簡単そうだよ、シシリー」


 ここで優しく笑う。いつものお兄様の物真似。上手く笑えたかしら? お兄様はふわりと笑うの。あの笑顔を見るととっても幸せになれるのよ。


「そうですわ。クリストファー様。完璧です」


 力強く頷くシシリーに、心強さを覚えた。もしもシシリーが居なかったら、きっと今日は髪を切って終わりだっただろう。


「ありがとう、シシリー。君がいなかったら、きっと一年後のデビューは失敗していたかもしれない」


 私は、お兄様がいつもしてくれるみたいに、シシリーの頭をそっと撫でた。お兄様はいつも私の髪にそって、頬の辺りまで撫でてくれる。シシリーの栗色の髪の毛は後ろでしっかりと纏められているから、髪の毛に沿って撫でることはできない。仕方ないので、頬の辺りまで優しく手を滑らせた。あまりベタベタ触ると折角の髪型が崩れてしまうから、そっとよ。


 シシリーの髪の毛を触るのは初めてかもしれない。乳姉妹として、生まれた頃から一緒だったにも関わらず。お兄様はこんな風にシシリーの頭を撫でたりしたのかしら? 人の頭を撫でるって、結構心地いいのね。


 私の冷たい手が頬に触れると、シシリーは小さく肩を震わせた。小さなテーブルを挟んで向こう側のシシリーの表情は、西日が当たって良く分からなかった。シシリーはなかなか何も言ってくれない。何か変なことしたかしら? シシリーの頭を私の手が冷たくて不快だったかしら? 困った私は、小さく首を傾げた。


「……シシリー?」

「い、いえっ、大丈夫です。クリストファー様! 私は分かってますもの、クリストファー様は女性だって! だから大丈夫です。」


 シシリーは勢い良く頭を左右に振っている。両手は胸の前で不安げにゆれていた。「女性だとわかっている」というのは、男らしく無かったということを揶揄していのだろうか。それとも、やはり私の手が冷たくて不快だったのかもしれない。でも、これ以上追求するのも悪いような気がして、私は何も気にしていない素振りで、ノートを閉じた。


 用意したノートには、『クリストファー』になる為のもの……というよりは、シシリーが話してくれた街や人のことばかりになってしまった。けれど、とても楽しかったので、不満はない。それどころか、いつか私も外の世界を見てみたいと期待で胸がふくらんだ。


「シシリー。そろそろ菜の花を摘んで部屋に戻ろうと思う。今日、ロザリーと花を摘む約束をしていたんだ」


 私は、天井を見上げた。お兄様はお昼を待たずにベッドの住人となってしまった。熱が上がってしまったのだ。五年前からずっと診てくださっているお医者様のジン先生が、二、三日は続きそうだと仰っていた。今はこのサロンの上、二階のお部屋で眠っている。


 きっと、昨日、遅くまで無理をさせてしまったからだわ。やはり、クロードに代わりをお願いした方が良かったのかもしれない。


 お母様に贈る花は二人で選びたかったから、今日はお兄様の為に摘んで行こう。窓辺に飾れば夜に目が覚めてしまった時に、月の明かりで花を楽しむことができるだろうから。


「私もお手伝い致します。クリストファー様」

「ありがとう、シシリー。ロザリーも喜ぶよ」


 シシリーのお陰で一歩前へ進めた。何千歩の内の一歩かもしれないけれど、私にとって、今日の一歩は大切な一歩だ。











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