3.決断の春
私が涙
シシリーがどんな説明をしてお父様とお母様を呼んだのかわからないけれど、お父様とお母様は慌てた様子で私達のお部屋に入ってきた。
お母様はすぐにベッドの際に座る私達に駆け寄ってきて、肩よりも少し上の方で切ってしまった私の髪を、確かめる様に何度も何度も手で梳いている。
やつれたお母様の顔がすぐ側で涙に濡れていた。またお母様を泣かせてしまったわ。
「クリストファー、ロザリア。説明してくれるかい?」
お父様はお母様の後ろに近寄ると、床に膝をついて私達と視線を合わせた。優しくお母様の肩を抱くと、お母様も自らの涙を拭って、私達に目を向ける。いつだって冷静なお父様は、こんな日も冷静だ。お父様は絶対に私達の話を聞かずに咎めたりはしなかった。今回も、私達の考えを聞こうとしてくれている。
お父様の目をじっと見つめ返し、私は小さく頷いた。
「お父様、お母様。私、『クリストファー』になろうと思うの。……いいえ、なるわ。『クリストファー』に。お兄様として社交界でデビューするの。お兄様のご病気が治るまで、『クリストファー』として生きることにしたのよ」
上手に言えた。お兄様と何回も練習した言葉。声は震えてなかったかしら。心配していると、「大丈夫だ」と、私の右手を握っているお兄様の手に力がこもった。
「お父様、このままじゃ、私もお兄様も十六歳でのデビューは難しいでしょう? それではウィザー家は駄目になってしまうわ。でも、私がお兄様の代わりに『クリストファー』として生きれば……、お兄様のご病気が治るまでお兄様の代わりができれば、ウィザー家の憂いは無くなると思ったの」
五年前、お兄様は病に倒れた。今でも長い時間外に出ることができない程、身体は弱っている。社交場などに顔を出せるような状況ではなかった。同じ頃、私は左肩に大きな傷を負ってしまった。左肩から胸にかけてできた傷は五年経った今でも痛々しく残り、ドレスを着ると、より一層目立っていてしまう。
「ロザリア、それでは貴女の人生はどうするの?クリストファーの代わりをして、クリストファーが元気になったら、貴女はロザリアに戻るのよ?」
私がクリストファーになって、晴れるのはウィザー家の憂いだけなのかもしれない。お母様は私の未来を心配してくれている。ウィザー家よりも私自身のことを心配してくれていると思うと、ほんのり心が温かくなった。
私はお兄様の手から離れると、お母様の右手を両手で握った。不安からかしら、お母様の右手はすっかり冷え切っていた。温めるように、しっかりと包み込んだ。そして、真っ直ぐにお母様の瞳を見つめる。お母様の瞳は私達のそれよりもずっと薄い、空の様な色をしている。お母様の瞳はに映る私は、今にも涙の海に溺れてしまいそうだったけれど、スッキリとした顔をしていた。
「大丈夫よ、お母様。お兄様が元気になったら、私はロザリアとしてお兄様のお手伝いがしたいの。私、お兄様と一緒にずっとお勉強していたのよ? きっと役に立つわ。お兄様が王都でお父様のように働いて、私が領地で仕事をしても良いと思うの。だから、安心して? ね?」
お母様からお父様に視線を移した。お父様のお顔もより真剣になっている。ごめんなさい、お父様。私達は知っているの。お父様とお母様がこれからのことを悩んで、そして嘆いていたことを。お兄様のご病気は一向に治らない。私は肩の傷が原因で社交からも縁組から遠ざかってしまった。
私が肩に傷を負った事件のことは有名だから、それを理由に私達は社交場から遠ざけられていたけれど、もうあれから五年。私達は十五歳になる。そろそろ潮時なのは、屋敷の中で膝を抱えて生きていた私でもよくわかっていた。
私達が寝静まった後、お母様は毎晩のように泣いていた。いつも腫れた目を隠すようにお化粧をしているのはわかっているのだもの。
「ロザリア、その選択肢を選んでも幸せかい? クリストファーはどうだい?」
お父様は私を見つめた後、お兄様に視線を動かした。お兄様が視界の端でしっかりと頷いている。
「私はお兄様と一緒で、お父様とお母様が笑っていてくだされば充分幸せよ」
「私も。今はロザリアを陰ながら支えることしかできません。でも、二人で進もうと決めました。父上、私達の我儘を聞いてくれませんか?」
お父様はなかなか返事をしてくれなかった。部屋に一つの音もしない。私達は、ただただお父様の返事を待った。
お父様の大きな溜息が部屋中を駆け巡った。お母様も私もお兄様も、真っ直ぐお父様の決定を見守る。
「本当に、お前達は幼い頃から頑固だったな。誰に似たのか……ロザリア、お前のデビューは十六歳。あと一年だ。あと一年しかない。確かにクリストファーと一緒学んだお前は、公爵家嫡男としての知識、教養は充分過ぎる程あるだろうね。しかしだ。男と女は違う。一年で男になることはできるかい? 泣いてはいられないのだよ?」
お父様は暗に『やめるなら今だ』と言っているのだろう。お父様はきっと私のことをとてもとても心配してくれている。だから、私は今日一番の笑顔を作った。心配しないで、お父様。ロザリアは『クリストファー』となって、ウィザー家を守ってみせます。
「お父様、ご安心なさって。泣き虫な私は、髪の毛と一緒に切り落としてしまったわ。男は簡単に涙を見せてはいけないのでしょう?」
「……全く。
お父様は立ち上がり、私達の頭を優しく撫でた。少しだけ困ったように笑ったお顔が、お兄様にそっくりで……いいえ、お兄様がお父様にそっくりなのよね。お父様はそのまま朝食を摂らずに王宮に出仕してしまった。
しかし、お母様はまだ、納得がいかない様子だ。それはそうでしょうね。だって娘が突然髪の毛を切って「男の子になります!」なんて、簡単に納得できないでしょう。
お母様への説得は時間をかけていくしかない。デビューまでには一年ある。お母様の笑顔がまた見られるように私は私のできることをしよう。
乳母であり、侍女のメアリーは短くなった私の髪の毛を見て驚いていたが、想像していたよりも静かだった。事前にシシリーから聞いていたからだろうけれど。
ずるいわ、シシリー。折角なら、メアリーの驚く顔も見て見たかったのよ。
「メアリー、お兄様みたいな貴公子にして下さいませ」
「かしこまりました。お嬢様。……いいえ、お坊っちゃま。世界中の女性が憧れるような王子様に致しますわ」
メアリーは優しい笑顔を浮かべた。お兄様の髪の毛も、いつもメアリーが切ってくれている。私は安心して椅子に腰かけた。シシリーが一緒に「貴公子ならば」と横から色んな注文をつけてくる。思わず笑って肩が震える度に、メアリーに注意された。
長くて綺麗な自慢の髪は、涙と一緒に封印してしまったけれど、新しく生まれ変わった私の姿は、本当に物語の王子様みたいだったの。自画自賛って笑われるかもしれないけれど。
「ロザリア様の
メアリーが満足そうに笑う。自信作だと言わんばかりに胸を張っていた。
「まあまあ! ロザリア様、本当に物語に出てくる王子様みたいですわ。風に揺れる柔らかい飴色髪の毛と、宝石のような瑠璃色の瞳。その瞳に見つめられながらダンスを踊ったら、きっと恋してしまうでしょうね」
シシリーが横から乙女のように頬を染め、褒め称えてくれた。私はと言うと、鏡に映った自分自身の姿を見て夢心地だ。本当に私ではないみたいなんですもの。
お兄様のお洋服に袖を通すとピッタリで、またシシリーが褒め称えてくれる。
「私、あと一年でクリストファーにならなければならないの。シシリー、私に手を貸して下さるかしら?」
シシリーの両手をギュッと握って、見つめる。シシリーは私よりも小さくて可愛い。シシリーは目をウルウルさせながら、私を見上げ、強く頷いた。
「もちろんですわ、ロザリア様。素敵な王子様になる手助けをさせて下さいませ!」
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