23. 記憶
俺があの時聞いたのは、有機資源の処分の話だった。一瞬見ただけだったがAクラス、しかも情報管理局の制服を着てたのは分かった。だから俺はすぐに身を隠した。アルコール類は違法取引だから、見つかったら色々面倒だからだ。せっかく酒を提供してくれる珍しい店なのに、俺のせいで治安維持の連中が乗り込んだりしたら申し訳ないなと思っての行動だった。
貧民区画の路地は入り組んでるから身を隠すにはもってこいだ。さっきも言ったが俺はあの時酔ってたから、何か面白いものが知れるかもしれないと思ってそのままそいつらの話を聞くことにした。今でも覚えてるよ、あいつらの会話。
Aクラス職員は二人いた。片方は肩に「蟻」のエンブレムが付いてたから多分情報管理局と「蟻」の両方に所属してたんだと思う。
「蟻」がまず口を開いた。
「手こずらせやがって……発砲許可が下りてなかったのに」
「始末書が大変そうだな」
「安寧を維持するためには仕方ない。サプレッサーが付いててよかったよ」
「ここらに有機資源は来ないだろ? こんな時間だし」
「万が一だって当然あるだろう。何事も絶対とは言い切れない」
そう言って、「蟻」の男は手元に視線を下ろした。見つかったらやばいってことは分かってたけど、俺は物陰からこっそり顔を出してみてみたんだ。二人とも俺に背を向けながら喋ってたし、物音さえ立てなければ大丈夫だと思ったからな。
その日は晴れていた。月明かりが入り組んだ路地裏を照らすくらいに、雲一つない綺麗な夜空だった。その差し込んだ月明かりが、「蟻」の男が持っていたものを照らしたんだ。
銃だった。一般有機資源ですら持てない代物を、あの男は持っていた。銃火器なんて、E-terが有害指定したアーカイブの中にある暴力映画でしか俺は見たことがない。俺は素行がいい子供(幼生有機資源)ではなかったから、たまにそういった娯楽を求めてお遊び(ハッキング)を行っていた。だから、銃が命を奪う道具だというのは知っていた。そんな日頃の行いの結果が査定Eだったのだが、それは今はどうでもいいな。
「本当にこいつがE-terの不穏分子なんだな」
「この前のテロで「蟻」が検出したんだ、間違いない。情報を吐かせる前に殺してしまったのは悔やまれるが、まあどうせ次もあるだろう」
その時初めて、俺は二人の足元に何かが転がっているのに気が付いた。最初は大きな荷物かとも思ったが、それにしてはやけに形が歪だ。それに、Aクラスの有機資源が呑気に路地裏で荷運びなんてするはずがない。銃を持っているならば猶更のこと。
「ったく……逃げ回るからこうなるんだよ。大人しくしていれば安楽死でもさせてやれたのに」
銃を手にしていない方が、足元の塊を軽くつま先で小突いた。バランスを崩したそれは、ぐらりと揺れて傾く。
物陰で息を潜めている俺と、その塊の目が合った。それには目が付いていた。何かを訴えるように開かれたその目は、苦悶と絶望に彩られている。
それは紛れもなく死体だった。命が消えたその有機資源は知らない奴だったが、蹴られても何も言わない姿に冷や汗が背中を伝ったのは今でも鮮明に覚えている。それが生理的嫌悪からなのか、恐怖からなのかは分からなかった。
「この死体はどうする? ドローンにでも運搬させるか?」
「出動要請を出せばまた書類が増える。火力発電所はここからそう遠くないんだろ?」
「まあな。これを担いでいくのか……」
「二人なら問題ない」
「死体を好き好んで持ち運ぶ有機資源なんていねえぞ」
「ゴミも有機資源も、燃料になれば全部同じだ」
「はいはい……」
口ぶりから察するに、立場では「蟻」の方が上のようだ。息を殺しながら、身を縮こまらせる。少しでも音を立てれば殺される、そう思ったからだ。身体中に回っていたはずのアルコールに酔っている場合ではなかった。酩酊とは違った吐き気が喉元にせりあがってくるのを必死にこらえながら、俺はただ存在感を希釈しようとするほかない。
このまま早く立ち去ってくれ、と心の中で叫んだ。幸いにも火力発電所は自分が身を潜めている路地とは逆の方角にある。
頼む、気付かずにさっさとどっか行ってくれ。
だが、俺の思いなんて知らないように彼らは会話を続けた。突然、「蟻」の男が死体の作業着を脱がし始めたのだ。その奇行に驚いたのは何も俺だけではなかった。
「うわ。何やってんだよお前、そういう趣味か?」
「そんなわけないだろう……あぁ、あった」
作業服のジッパーを下ろした状態で、胸倉をつかむように襟元をはだけさせる。月光に照らされて浮かび上がったのは、狼のマークだった。そう、レジスタンス「フェンリル」のシンボルだ。
男は自分の端末で、レジスタンスのマークを記録していく。死体の服をひん剥いて写真に収めるなんて悪趣味な行為にも限らず、男の表情は真剣そのものだ。
対して、それを見るもうひとりの男はひどく顔をしかめていた。しきりに端末の時刻を確認しているが、「蟻」の男の様子から別段予定があるわけではなさそうだ。
「そのマークに何の意味があるんだよ」
「知らないのか? 今まで捕縛したレジスタンスの連中は皆このマークを衣服のどこかに付けていた。流通ルートが洗えれば奴らの撲滅に一歩前進できるだろ」
「それでサンプル集めか」
「そういう事だ」
男は納得したように「蟻」の男を眺める。手を貸すつもりがないのか、ずっと立ったままだ。
「しかし……「F」とはまた皮肉だな」
「あぁ、そのマークか? 狼でFってことはフェンリルでも象ったつもりなのかもな。教養データベースで見た気がする」
「俺が言いたかったのはそういう意味じゃない」
「と言うと?」
「E-terが呈している階級はEまでだ」
その言葉を聞いて、あぁ、と男が漏らした。俺の存在に気が付く様子がない二人を、息を殺して物陰からそっと伺う。
「Eより下だなんて、自分たちで公言しているんじゃ世話ないな」
「蟻」の男の口元に浮かべられた笑みは歪で、月明かりに照らされ不気味に輝いている。階級による差別思想があるのは知っていたが、ここまで露骨なものを俺は初めてその時目にした。
「……――そうして、俺はその時聞いた「フェンリル」って単語をもとにここにたどり着いたのさ。入ってきたばっかりの頃はあの死体が頭をちらついてしばらく悩んだけど、今はもう大丈夫だし。あんまり気のいい話じゃなかったな、マコト……マコト?」
自分の過去を語り終えたキョウヤは、黙ってしまったマコトの顔を覗き込んだ。途中までは相槌を打っていたが、話が進むにつれてどんどん顔色が悪くなっていったのだ。
「もう終わった話だし、お前がそんな顔する必要ないだろ」
「でも、悪い事聞いちゃったかなって……」
俯いたまま、マコトは消え入るような声で呟いた。握られていたボトルの中身はすっかり空になっている。長い事話し込んでいたとマコトは改めて感じた。
まさか、キョウヤがレジスタンスに入る動機になった出来事がそんなに凄惨だとは思わなかったのだ。彼の行動の根底にあるものの重さに、マコトは少なからずショックを受けていた。
ただ、E-terの支配が及ばない世界を見たいとだけ願った自分の動機が、あまりに軽く思える。差別にぶつかって憤りを感じたキョウヤのような信念も、全てのクラスの有機資源が公平に暮らせるように尽力するアツオのような情熱も、生憎彼女は持ち合わせていない。強いて言うならば自由に対する不明瞭な期待があるが、レジスタンスとしてE-terに反逆旗を翻す精神的な支柱には到底なりえなかった。期待など、浮かんでは消える泡と同じだ。ふとしたきっかけで崩れることもある不安定なそれは、決してマコトの芯足り得る要素にはならない。
「私、どうしてレジスタンスにいるんだろう」
ふと、口から小さな疑問が漏れ出た。高尚な理想もなく、漫然とただ流されるままにここにいる。生活水準も含めて、マコトはE-terに従事していた時と何も変わっていないのだと悟った。
何となく生きて、何となく過ごしている。社会に飼い慣らされている、と言ってもおかしくない生き方だ。
「違う生き方を求めて、ここに来たはずなんだけどな……」
膝を抱え、絞り出すように声帯を震わせる。アテナで寝食を共にしていた友人たちが一般有機資源に選ばれた時と同じ感情が、マコトの胸中に巣食っていた。そして、彼女はこの感情の名前を知っている。
ふつふつと胸の底から沸き上がり、喉を掻きむしりたくなるほどに苛立ちを覚える。頭の中は妙に冷え切って冷静なのに、腹に溜まる不快感は酷く熱い。周りは何も悪くないのに、目に見えるありとあらゆるものに八つ当たりをしたくなるような感覚。
――……これは、劣等感だ。
自分が持っていないものを保持している他人を見て、酷く惨めな気分になる。
膝に顔をうずめたまま静かになってしまったマコトに、キョウヤは何も言わなかった。気まずいのか、ただ自分の頭を掻いてスキットルの中身を呷るだけだ。
と、その時キョウヤの端末から小さなビープ音が鳴った。休憩終了の合図のようだ。
「悪い、俺そろそろ行くわ」
「……うん」
「あー……まあ、何だ。あんまり思い詰めるなよ。さっきも言ったけど、ここでは生きること以外に考えない方が身のためだからな」
それだけ言い残して、キョウヤはまた自分に課せられた仕事に戻っていった。マコトは、作業を再開させる気にもなれずただ指先で点検中だった端末をつつくだけだ。
「しっかりしなきゃ……」
端末には、レジスタンスのメンバーが今まで秘密裏に集めてきたセキュリティに関する情報が表示されている。全て暗号化されているそれは、レジスタンスの数多の命の上に成り立っている代物だ。
狼の紋は服に刻まれていないが、それでもマコトは今フェンリルのために働いている。気持ちを切り替えなければ、明日死体になるのは自分かもしれない。分かってはいても、まだマコトの心境は穏やかではなかった。
ふと、マコトは違和感を感じた。モーターの駆動音にも似た小さな音が、どこからか聞こえてくる。その正体は、すぐに分かった。音の出所は、彼女がいつも肌身離さず持っている作業ポーチだ。規則的に震える端末に触れ、それがメッセージの受信に伴うシグナルだと判断したマコトはそっと取り出す。今のマコトにメッセージを送信するモノなど、一人しかいないからだ。
≪マコト、会いたいよ≫
宛名が書かれていなくても、送り主が誰だか分かる。マコトは端末を掻き抱いて、小さく呟いた。
「……ユズリ……」
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