24 疑念

「地上に出たい?」

「うん。危ないのは分かってるんだけど、どうしても外に出たいんだ」


 不審そうに細められたアツオの視線を受けながら、マコトはそう言った。マコトが差し出したその手には、整理した情報を複製した記録媒体が握られている。地下道には生ぬるい風が吹き込み、彼女の前髪をわずかに揺らしていた。


 マコトは今日、アツオに頼まれていたデータの解析結果を手渡すために拠点を離れて地下道に来ていた。解析するデータはどれもE-terから奪取した暗号化されている機密情報だ。


 選挙と称した人選方法が、実は全てE-terが選抜した有機資源を役職にはめ込むためだけのパフォーマンスに過ぎないという事実。配給による効率的な有機資源の支配方法に関する記述。重罪を犯した有機資源に対して留置所で行われていた、非人道的な矯正プログラムについての情報。葬儀システムの実態と、火力発電所に送った有機資源たちの情報や綿密な情報統制の裏付け資料。蓋を開ければ、E-terの汚い面が次から次へと溢れてくる。死体を火力発電所で燃やしてE-terの動力にしている事はマコトも既に知っていたが、改めてはっきりした資料を目の当たりにするとやりきれない思いがあった。


 機材のメンテナンスをしながら合間を縫って解析を進める二足の草鞋を履く毎日は決して楽なものではなかったが、何も考えずに作業に没頭できる時間があるのはマコトにとっても好都合だった。考えれば考えるほど、自分が何をしたいのかが分からなくなってしまう現状だ。慣れた機材メンテナンスを行うだけの仕事だと、どうしても脳が思考を止めてくれなかった。


 ただ、中にはマコトの技術をもってしても解析できない不審なデータファイルもいくつか存在していた。どんなツールを使用しても一向に開く気配を見せないそれらは全て、「uto」という形式で保存されていた。レジスタンスの拠点に身を寄せるメンバーにも聞いてみたが、誰もこの「uto」というファイル形式については知らなかった。


「せっかく久しぶりにこっち来てくれたから、オッサンの意見も聞いてみようと思って」

「うーむ……そろそろ警戒レベルも引き下げられてるだろうから、まあ夜なら問題はないだろうが……いいのか? 地上に出れば見つかる可能性も当然高まる。捕まりたくないなら地下ここで大人しくしてるのが賢明だと思うがな、俺は」


 渡された情報媒体を受け取り、アツオはそれを再生端末に差し込みながら中身を確認した。光の刺さない地下道では、アツオが使用している端末のバックライトとマコトが持ってきた油圧ランプだけが辺りを照らしている。


 真剣なアツオの横顔を見ながら、マコトはぼんやりと思考を巡らせた。地上に出る危険性はもちろん承知しているし、治安維持部隊に捕まれば命がないのは分かっている。それでも、マコトはあの少年にただ会いたかった。自分を取り巻く環境(レジスタンス)の本質を知ってしまった今、何を言っても受け止めてくれるユズリの優しさを求めていたのかもしれない。


「……でも、外に行かなきゃいけない理由があるんだ」

「理由だぁ? 欲しいものがあるならキョウヤにでも頼んで配達してもらえばいいだろ」

「違うよ。会おうって約束した有機資源がいるから」


 その言葉に、端末の画面をスクロールしていたアツオの手が止まった。顔をあげてマコトと合わせた視線には、険を含んだ色が浮かんでいる。眉間に寄った皴が彼の不信感を如実に表していた。何故そんな顔をするのか。まさかそこまで露骨に嫌な顔をされるとは思っていなかったマコトは意表を突かれた。


「お前、そいつは信用できるのか?」

「え?」

「一般有機資源の連中は信用ならない。クラスはどこだ? ここの情報は漏らしてないだろうな?」

「ま、待ってよオッサン。ユズリはそんなんじゃないって」

「ユズリっていうのか、そいつは」


 詰め寄ってくるアツオに戸惑いながらも、マコトは自分が知っているユズリが危険な有機資源ではないことを告げようとした。


「ユズリは……」


 だが、彼女の言葉はそこで止まってしまう。自分がユズリについて知っている情報が、それほど多くないことに気が付いたのだ。Nクラスで、もうすぐE-terのクラス査定があるという事。アテナの寄宿舎で暮らしているという事。身長はマコトと大して変わらない事。そしてマコトに対して優しく接してくれるという事。それ以外に、マコトはユズリについて知らない。


 何故、自分はここまであの少年に心惹かれているのだろうか。首を傾げても答えは出てこない。

 口ごもったマコトに対し、アツオは眉間に皴を刻みながら言った。


「マコト。そのユズリってやつの識別番号はないのか」

「知らないよ。識別番号じゃなくてもアテナに在籍してる幼生有機資源の名簿を調べれば……でも、そこまでしなくちゃいけないかな。別に悪い子じゃないって分かってるよ」

フェンリルの本拠地ここが割れるような事態になれば大騒ぎじゃ済まない。どんな些細なことでも危険が回避できるならそれに越したことはないぞ」


 アツオの意思が固いのは表情からも見て取れる。マコトはため息を吐いて肩を竦めた。逆探知をしてまでユズリの身元を突き止める必要性が感じられなかったからだ。きっと彼はこれ以上説得しても納得しないだろう。いくら一般有機資源の中にはレジスタンスに対して良い感情を抱いていないモノがいるとは言っても、疑いの目を必要以上に周りに向けるのはあまり気乗りしない。しかしマコトがユズリについて知っている情報が少ないのもまた事実だ。

 やれやれ、と前髪をかき上げながらも、マコトは自分の端末をユズリから受け取ったルーターに無線接続した。足が付かないようにIDを登録せず、ゲストとして回線に潜り込む。


「……あれ?」

「どうした」

「ユズリのデータがないんだよ。アテナの幼生有機資源名簿も確認してみたけど、今あそこに滞在してる有機資源一覧の中にユズリの情報が見つからない」


 アツオにも見えやすいように端末を傾け、画面の一部を指差した。そこはE-terが管理している「全現存有機資源一覧名簿」が映し出されている。その中の「教育機関アテナに在籍中の幼生有機資源名」と書かれたページだ。有機資源の人口管理のために作られたこの一覧は本来ならば存在を秘匿されている。だが、マコトはレジスタンスが流出させた情報からこのページを割り出して発見したのだ。大したセキュリティも設置されていなかったことから、この情報はE-terにとってあまり重要ではないのだろう。


「ここ、ユウヤの次がユナになってる。検索をかけてもユズリの名前が出てこないの」

「この一覧、本当に最新版か? 日付は?」

「一番新しい更新日は昨日だから間違いないと思う。最近の幼生有機資源製造日も一昨日の日付になってるし」

「どういうことだ……」


 それを聞きたいのはこちらだ、とマコトは顔をしかめた。苛立ちと困惑がない交ぜになり、冷静に考えようとしても脳内は混乱している。


 ――……何故、ユズリの情報が出てこない。


 この有機資源の情報は全てE-terが管理している。培養器から幼生有機資源が出てきた時点で自動的に登録されるのだから、漏れがあるわけがないのだ。それなのに、E-terには「存在しない有機資源」とされている。


 では、あの少年は何だったのだろう。


 今まで端末を通じて連絡を取り合っていた“ユズリ”は?

 わが身可愛さにEクラスの有機資源をE-terに告発した罪を懺悔した“ユズリ”は?

 一緒に廃棄された水族館に足を踏み入れた“ユズリ”は?

 アテナの職員から手を取り合って逃れた“ユズリ”は?

 あの夜、マコトに声を掛けてきた“ユズリ”は、一体誰だったのだ?


「おい、マコト」

「オッサン……ごめん、私も何が起きてるかよく分からないんだ……私がユズリだと思ってたあの子って、一体何なんだ……?」


 くしゃりと前髪を掴み、唇を噛みしめても答えは見つからない。緩くウェーブ掛かった茶色い髪の毛も、すらりと伸びた長い足も、触れた時の暖かさも、澄んだ緑の瞳もはっきりと思い出せるのに。それなのに、マコトはあのユズリという存在について何も知らない。


 動揺を隠せないマコトを見て、アツオはため息を吐いた。


 その時、小さなビープ音が地下道に響き渡る。出所はマコトのポケット。マコトとアツオは顔を見合わせた。


 恐る恐る端末を取り出し、震える指で画面に触れる。


「……ひっ」


 思わず取り落とした。かつん、と硬い音を立てて端末が冷たい地面に横たわる。煌々と輝く画面は、数件のメッセージを受信したことを示していた。アツオはゆっくりとそれを拾い上げ、そこに表示されている文字を目で拾う。徐々にアツオの眉間に皴が寄った。


 そこには、こう書かれていた。


 ≪マコトへ≫

 ≪気が付いた?≫

 ≪僕が何者か分からないんだよね≫

 ≪明日の夜、教えてあげる≫

 ≪あのゴミ捨て場で会おう≫

 ≪待ってるからね≫

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