22. 自由
臨時セキュリティスキャンを掻い潜り、マコトがレジスタンスの面子と打ち解け始めてから数日が経過した。先の功績もあって彼女の評価は改められ、地下に潜るレジスタンスの有機資源たちから受け入れられたのだ。
未だにマコトは有機資源の肉を食べることができないが、そこはまだ配給が止まっていない潜入組の完全栄養食を分けてもらうことで、何とか誤魔化しながら生活している。特別扱いだ、といい顔をしないメンバーももちろん一定数存在したが、今のところは不備なく暮らせていた。
働かざるモノ食うべからず。その言葉通り、ここでは働けない有機資源から厨房に連れていかれる。マコトはしばらく地下に身を隠しながら、レジスタンスに持ち込まれた電子機器のメンテナンスを行っていた。
「ここでも機材整備をするとはね……」
苦笑いを浮かべながらも、操作盤から目を離すことはない。レジスタンスが保有している電子機器はお世辞にも質がいいとは言えず、マコトはミスがないよう慎重に慣れない機材を弄っていた。画面に流れる文字列は、E-terが開発した基本コードを流用しているため仕様に戸惑うことはない。
いつも使っていたゴーグルは首から下げたままだが、電源は落ちている。E-terから仕事用に配給された機材を使えば、いつ逆探知されてもおかしくない。できる限りここにある機材で作業をしろ、とのアツオからの言葉にマコトは大人しく従っていた。自分が原因でレジスタンスの本拠地が特定されるのも本意ではない。
真剣にモニターと向き合う彼女の肩に、キョウヤは水が詰まったボトルを軽く押し当てた。差し入れだ、と言いながら彼はそれを手渡す。
「マコトが来てくれて助かったぜ。俺たちの中でソフト整備ができる有機資源はそんなに多くないからな」
「キョウヤだって整備班だったじゃん」
「担当してたのはハードだけどな。ソフトも一応できるけど、しばらく俺は電子機器を触るなってオッサンに言われてるんだよ。まあ、そのせいでレジスタンスだってバレちまったんだから仕方ないよな」
「それもそうか……水、ありがと」
受け取ったボトルのキャップを開け、中身をほんの少し口に含む。無味無臭のぬるい水で唇を湿らせ、マコトは長く続けていた作業を中断して一息ついた。キョウヤもそれに倣うようにスキットルを懐から取り出す。作業服の裏地に縫い付けられている狼を模した印がわずかに顔を覗かせ、マコトはそっと目をそらした。
「そういえば、資材運びは終わったの? 今日は忙しいってオッサンたちが話してたの聞いたけど」
「おう、今は休憩中。もう少ししたらまた別のエリアにも機材を運びに行かなきゃいけないからな。お前も少し休めよ、マコト? 最近ここに缶詰らしいじゃねえか」
「私の仕事はいつもと変わらないから大丈夫」
「そうかよ」
地下に張り巡らされた下水道を何度も行き来して疲れたのか、キョウヤはよっこらしょ、と呟きながらマコトの横に腰を下ろした。私物であるスキットルの中身を煽っている姿は、どこにでもい得る有機資源だ。
疲労しながらもどこか満足そうなキョウヤの横顔が、以前E-terの整備をしていた時のタイガと重なる。決して似ているわけではないのだが、作業の合間に横に座る有機資源を見るとどうしても頭をよぎってしまうのだった。
自分もキョウヤもいなくなった後、十一エリアの整備班に所属している有機資源たちはどうしているのだろうか。タイガだけではない、他のメンバーたちは変わらずに仕事をしているのだろうか。首から下げたゴーグルに触れ、マコトはぼやけた思考に沈んだ。
言ってしまえば、有機資源などいくらでも代わりのある部品だ。担当有機資源がいくら消えようと、作業のタイムスケジュールに変更が加えられることはない。マコトと全く同一の有機資源は存在しないが、似たような技術を持つモノなどE-terが探せばすぐに見つかるだろう。そうしてきっとまた新しいEクラス有機資源が別のエリアから派遣され、査定で増えたEが再加入してくるのだ。
逃げ出したマコトたちは不良品扱いだ。壊れた機械部品も、E-terに従わない有機資源もかのシステムからすればどれも同じこと。E-terへの反逆に手を貸している以上、社会は
「どうしたマコト、考え事か?」
「えっ、あ、なに?」
名前を呼ばれて急激に浮上した意識は、突然掛けられた言葉に反応できずに上手く言葉を紡ぐことができない。しどろもどろになるマコトを見て、キョウヤは思わずといった様子で噴出した。
「っぷ、あはは。ごめん。なんかぼーっとしてたからまた変なことでも考えてるのかと思って」
「あー……まぁ、否定はしないけど」
ついさっきまで考えていたことを思い出し、マコトは表情を強張らせた。それを見たキョウヤは、座ったまま後ろに倒れこんで口元に笑みを浮かべる。マコトに同情したのか、それともただ憐れんでいるだけなのか、その顔からは判断できそうにない。わざとらしいため息を吐いて、キョウヤはひらひらと手を振りながら言った。
「やめとけやめとけ。ここでは生きること以外にモノを考えない方がいい。頭の中がごっちゃになって、しんどくなるだけだからな」
「その口ぶりだと、まるでキョウヤがそうだったみたいだね」
「……まあ、な」
笑顔のままのキョウヤを見て、マコトは自分の手を見た。相変わらず、手入れも碌に出来ていない荒れた掌だ。一般有機資源向けに作られている広告の女性モデルのしなやかで細い指先とは明らかに違う。むしろ、それなりに規則的な生活を続けていた頃よりも荒れが際立って見える。
「……E-terに従ってタスクをこなしてた時と、あんまり変わらない気がする」
「何がだ?」
「生活が。システムの外の世界ってもっと自由で、縛られないものだと思ってた」
「自由……ねえ」
マコトのその言葉に、キョウヤの目元が苛立ちに歪む。キョウヤは上体を起こして座り直し、ただ黙り込んでしまった。何も言わず、手元のスキットルの蓋を無意味に指先で弄ぶだけだ。
そもそも、自由とは何なのか。マコトは自分が漠然と思い浮かべていた事柄に疑問を持ち始めていた。一般有機資源が受けているE-terの恩恵をEクラスの有機資源も受けられることが自由なのだろうか。アツオの言葉を信じるなら、レジスタンス「フェンリル」の発足理念もそこにある。不公平な社会の在り方を変え、全ての有機資源が平等に生きていく世界を作り出す。そのために、有機資源の階級制度を作り出した今の社会の象徴であるE-terを打倒する。だが、本当にそれで自分たちは自由で公平な存在になれるのだろうか。
「……キョウヤはさ、どうしてレジスタンスに入ったの?」
マコトは、ずっと疑問に思っていたことを口にした。それは、彼女がキョウヤのスパイ活動をE-terに密告した時から抱えていた疑問だった。質問を受け、キョウヤは驚いたように両眉をあげる。
「突然だな」
「そんなことないよ。前から不思議に思ってた。どうしてキョウヤがレジスタンスに入ろうと思ったのか、ずっと聞きたかったんだ。なんで?」
マコトの問いに、キョウヤは答えようとしない。沈黙が二人の間に広がり、ただスキットルの蓋と本体が立てる小さな金属の擦過音が聞こえるだけだ。マコトも答えを急かすようなことはせず、ちびちびとボトルを傾けて喉を潤した。
やがて、考えが固まったのかふとキョウヤが口を開いた。
「お前、有機資源の死体が火葬場じゃなくて火力発電所に送られるってのは知ってるよな」
「うん」
「あれ、見つけたの俺なんだ」
驚いて顔をあげれば、キョウヤは苦笑いを浮かべて話を続けた。
「きっかけは些細な事だったんだけどな。ある晩、俺は一人で酒を飲みにいつもの露店に行ってた。疲れてたし、だいぶ飲んだから俺も酔ってたんだ。そこから自室に戻ろうとしたとき、路地裏で知らない奴の会話が聞こえてきた」
「……何を、話してたの」
当時の事を思い出すように、キョウヤは何もない天井を睨みつけた。その瞳が何を考えているか、マコトには感じ取れなかった。
彼の話は、残酷なものだった。
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