19. 資源
「これから食料をレジスタンスの連中に配りに行く。顔合わせもしなきゃだろうし、マコトも来いよ。持つの手伝ってくれ」
キョウヤの言葉にマコトは黙り込んだ。未だに彼女の胸中には複雑な思いがわだかまっている。自己認識が「資源」ではなく「生き物」に近いマコトとしては、やはり自分と同じ有機資源を殺して食べるというのが信じられなかった。
そもそも、有機資源を食べるという行為はレジスタンスの理念と矛盾しているはずだ。アツオがマコトをレジスタンスに勧誘した際、彼は確かに「Eクラスの不当な扱いをやめさせる」と言った。にもかかわらず、今マコトの目の前には同族殺しが行われている証拠がある。これはアツオの言う「不当な扱い」ではないのか。それとも、極限状態ならばそれすら許されるとでも言うのだろうか。
「マコト?」
「あ、うん……分かった、手伝うよ」
差し伸べたマコトの手に、キョウヤが渡した有機資源の肉が乗せられた。生理的な嫌悪感から手を引っ込めそうになったが、何とか気力を振り絞って包みを握りしめた。「食料を運ぶ程度の雑用も出来ない役立たず」だと思われたら、それこそ今度は自分がこの肉の塊になる番だ。
今までは壁一面に並べられた食料に気を取られて気が付かなかったが、よく目を凝らして見れば部屋の突き当りには恐らく解体用の機材とスペースが確保されている。申し訳程度の調理設備も存在感なく置かれ、ここがまさに
拭いきれなかったのか、暗がりの中からぼんやりと浮かぶ血痕から目を背けるようにマコトは目を閉じた。ふと、気になったことが口から洩れた。
「これ、ここの食糧庫にある分でどれくらい殺したの」
食糧庫はそれなりに大きい。入り口付近に吊るされているランプの灯りでは部屋全体をしっかりと照らせないほどには奥行きがある。その両端に設置された棚いっぱいに収められた食料は少ないとはとても言えず、一体どれ程の有機資源が形を失って肉塊になったのか疑問に思ったのだ。
キョウヤは少し考える素振りを見せてから、マコトに言った。
「……マコト。この世界には聞かない方が自分の身のためってこと、結構あるぜ」
「それって」
「この話はやめだ。早く飯を運ばないとうるさいからな、行くぞ」
無理やり話を中断し、キョウヤはマコトから逃げるようにそそくさと荷物とランプを抱えて部屋から出て行った。暗闇に包まれた
「へえ、お前が「蟻」の」
「マコト、識別番号はe3839ee382b3e38388。よろしく」
「女か、珍しいな」
マコトから食料の包みを受け取った男性有機資源は、彼女を見て眉をあげた。能力による階級を設けられた今の時代、性差による思想差別は遠い過去に消えた産物と思っていたが、ここではその限りではないようだ。
焚き火を囲んで談笑している彼らを見ながら、マコトは口を開いた。
「レジスタンスに女性有機資源はいないの?」
「ほとんどいないね。いたとしても、もうとっくに俺たちの腹の中さ。レジスタンスに参加して生活を変えたいEクラスの女なんて、ほとんどが新しい有機資源を生成するための卵子提供を割り当てられているような奴だ。ろくな活動の手伝いも出来なきゃ、何か役に立つような技術も持ってない。そういうのは早々に
「ま、最期は食われて俺たちの糧になるって役目を果たせてよかったんじゃねえか」
「違いない」
大きな笑い声をあげながら、男たちは手元の包みを乱雑に引き剥がしていく。足元に落ちていた先端の鋭い鉄棒を拾い上げ、包みの中身を適当に刺した。それを、焚き火にかざして焼き始める。肉から煙が上がり、その煙は天井付近に取り付けられた通気口から逃げて行った。
一見すれば、ただの和気藹々とした食事会だ。仲間同士で笑い合いながら食事を共にする。以前にもマコトは同じような雰囲気の中で他の有機資源と食事をしたことがある。Eクラスが出入りする貧民区画の一角、違法ながら酒類を出している露店での思い出だ。酔って散々な目にあったのはアルコールのように苦い記憶だが、それでもみんなが楽しそうだったのはよく覚えている。
あの時と、よく似た空気だった。違うのは食べているものが自分たちと同じ有機資源であること、焚き火を囲んでいる面子がどれも知らない顔だということ、そして全員がE-terに対する反逆を企てているということだ。
肉が焼ける匂いが立ち込める。今まで嗅いだことのない匂いに、マコトは顔をしかめた。これまで生きた中で、アテナの加工済み即席食品と配給される栄養完全食以外のモノをマコトは口に入れたことがない。マコトに割り当てられた仕事はE-terの整備だったので、調理をしている最中の素材に触れたことがなかった。
肉を焼いていたうちの一人が、ふとキョウヤに声をかける。
「キョウヤ、この肉の番号は?」
「e383ace382a4e382b3だ。この前壊れた有機資源だな」
「あぁ、あいつか。ビビリのくせにレジスタンスに入って、最期は抗不安薬の打ち過ぎでぶっ壊れたんだったかな?」
「体内に薬の成分が残ってないのか確認済みだから、心配はないと思うけど」
「抗不安剤ならむしろちょうどいいんじゃねえか?」
焦げつき始めた表面を指でつついて弄びながら男は続けた。
「こんな地下に籠ってたら気が滅入っちまう。食べ物にそれくらいパンチが効いてりゃ少しはマシになるだろ。それこそ、抗不安剤の打ち過ぎで壊れたりすることもないだろうしな」
「そもそも薬だってそんなに多くない。備蓄を荒らしてた奴がいなくなってアツオの旦那も清々したろうさ」
まだ生焼けのそれを歯で豪快に食いちぎる。
……――こんなの、野蛮だ。
食い散らかされ、地面に落ちる肉片を見ながらマコトは顔をしかめようとしたが、眉間に皴を寄せるだけに留めた。少なくとも、仕事を共にしていた
「新入り、お前も食うか」
「……いらない、お腹空いてないから」
そう言った直後、マコトの腹の虫が存在を主張するように大きく鳴いた。個人情報管理室での長い労働と治安維持部隊からの逃走を経て消耗した身体は、とにもかくにも栄養を求めていた。タイミングが悪すぎる、と顔を赤くして腹を押さえるが後の祭りだ。
「何だよ、やっぱり腹減ってるんじゃねえか」
声をかけた男が、食べかけの肉をマコトに差し出した。表面が焦げ、中はまだ火が通っていない。噛み千切られた断面をまざまざと見せつけられ、マコトは今度こそ顔をしかめた。
「お前も配給を止められた口だろ? ここでは食事の時間ってのは決まってるからな、食えるうちに食っとけ」
「でも」
頑なに拒否の姿勢を崩さないマコトを見て苛立ったのか、男は舌打ちをして立ち上がった。マコトの前に仁王立ちをして、まるで
「……いいか、これはただの飯だ。元々どんな姿だったとか、どうやって食べ物になったのかとか、そういう事は忘れちまえ。お前はこれを食って生きる。それだけでいいだろ」
ずい、と押し付けられた鉄の棒を、マコトは咄嗟に受け取ってしまう。先端に刺さった塊を見ながら、それでも彼女は躊躇った。
これを食べたら、自分は同族殺しだけでなく共食いという唾棄される行為まで犯してしまうのだという意識がマコトを苛んでいた。有機資源は確かに資源だが、確かに生きていたのだ。「資源」という観点で見れば、目の前の肉がクローン技術で生成された動物の肉と何ら変わりないと頭では理解している。だが、それでも感情が追い付かなかった。
有機資源を燃料にして動いているE-terも、有機資源を食料にして生きているレジスタンスも、マコトの目には同じように映っていたのだ。
「……くそっ」
小さく悪態をついて、マコトは肉に口を寄せた。生臭さが鼻を突き、生理的な反応で手が止まる。
「……食わないのか、それ?」
馬鹿にしたように男が言う。その言葉を受け、マコトは苛立ちに乗せて勢いのまま肉に歯を立てた。
筋線維を噛み切り、咀嚼する。筋張っていて、噛むたびに嫌な食感が顎に伝わってきた。臭いを感じないように、息を止めて嚥下する。
アテナで提供されていた即席食品の肉とは似ても似つかぬ品だ。E-terの食品管理基準をクリアした品物と同じレベルの食品であるはずがないのは分かっていたが、ここまで有機資源の肉が不味いと思っていなかった。
不意に、マコトの胸中をわだかまっていた不安と不快感が一気に食道を遡ってきた。自分と寸分違わぬ有機資源を食べた罪悪感がこみ上げ、有機資源の肉が自分の身体の一部になるという嫌悪感が喉元までせりあがってくる。マコトは思わずうずくまって口を押さえたが、胃酸が逆流してくる感覚を止めることはできない。
そのまま、地面に向かって盛大に嘔吐した。
「う゛えっ、ごほっ、うっ」
「おいマコト、大丈夫か」
慌ててキョウヤがマコトに駆け寄る。背中をさすられながら、マコトは胃の中身をひっくり返すように吐き続けた。
だから、彼女は気が付けなかった。周りの有機資源の冷たい視線に、そしてその唇が「腰抜けが」と動いていたことに。
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