20. 行動

 結局、マコトはあれ以上の有機資源の肉を食べることはなかった。正確には、食べられなかったという方が正しいだろう。


 カップに入れられた水をちびちびと口に含みながら、マコトは沈鬱な表情で地面を眺めていた。周りでは、マコトの吐瀉物を数人の有機資源が片付けている。そのうちの一人、キョウヤが困ったように笑いながら、落ち込んでいるマコトを見て言った。


「そんな顔すんなよマコト。最初はショックかもしれないけど、そのうち慣れるから」

「慣れる、のかな……」


 掠れた声で呟きながら、マコトは飲んでいる水に目を移した。揺らぐカップの水面には青ざめた自分の顔が反射している。ぬるい水が入ったカップを両手で包みながら、マコトは小さくため息を吐いた。


 その時、通路から慌てたような足音が聞こえてくる。しかも、複数だ。顔をあげれば、通路の向こうからランプを持った有機資源が走ってきていた。


「どうした? 何かあったか?」

「臨時セキュリティスキャンだ! ここのサーバーもスキャンエリアに含まれてるから、すぐに細工しないと!」

「そんな急にか? オッサンからの連絡にはなかっただろ?」

「ゲリラ実施らしい! 急げ!」


 その言葉を受け、次々に駄弁っていた有機資源が立ち上がり通路を走っていく。

 臨時セキュリティスキャン。有機資源でネット回線に触れたことのあるものなら誰でも知っている言葉だ。E-terが提供しているインターネット回線は、日々拡張を続けている。「進化する端末Evolution-terminal」の名前の通り、そのシステムは進化しているのだ。だがその反面、末端に齟齬が起きることも少なくない。そのため、そういったエラーやトラブルを発見するために回線内を一斉点検するのだ。そして、そのトラブルシューティングを任されているのがマコトたちEクラスの整備士というわけだ。


 マコトは慌ただしく走っていく有機資源たちをただ目を丸くして見ていた。普段何気なく行われているスキャンが、ここまで脅威となるなど考えたこともなかったのだ。


「お前も来い! 整備士だったんだろ!」


 見知らぬ有機資源に怒鳴られ、身体が竦んだ。そのままその男は駆け出して行ってしまう。焚き火の周りに残されたのはマコトだけで、すっかり辺りは静かになってしまった。


 持っていたカップは、マコトの動揺を示すように表面が小さく波打っている。この時初めて、自分の手が震えていることに気が付いた。そのカップをゆっくりと地面に置き、拳を強く握りこむ。

 震えて碌に力も入っていないそれで、マコトは自分の太ももを叩いた。躊躇いを殺すように、何度も何度も拳を打ち付ける。


「……よし」


 誰に聞かせるでもなく、マコトは呟いた。そのままゆっくりと立ち上がり、他の有機資源たちが向かった方向へと進む。一歩、また一歩とゆっくり出していた歩みは次第に早くなり、いつの間にかマコトは暗い通路を必死で駆けていた。





 ほかの有機資源が向かった先は、大きな部屋だった。床や天井は大量の電線で埋め尽くされていて、一歩踏み出すのも一苦労だ。その部屋の中を、慌ただしく有機資源たちが走り回っている。配線を踏まずに隙間を縫って移動しているのを見ると、彼らはここに随分と慣れているらしい。


 ぶら下がる配線たちの合間に、マコトは見知ったシルエットを見かけて吠えた。


「オッサン!」

「マコトか! ちょうど良いところに来た!」


 こっちだ、手招きされ、マコトは配線を踏まないように慎重に進んでいく。呼ばれた先には、中規模のモニターがあった。枠の端がひび割れていて、よく見れば表面も傷だらけだ。これも恐らく廃棄された品を改造して使っているのだろう。


「話は聞いたか?」

「臨時セキュリティスキャンでしょ。偽造IPは使えないの?」

「一斉点検だからな、代理プロキシを経由させてもそこが同時にスキャンされたら意味がない」

「ネット回線を切れば位置情報を特定されることもないと思うけど」

「馬鹿言え。一回切ったら繋ぎなおすのにどれだけ時間がかかると思ってるんだ」


 マコトは顎に指を添えて必死に頭を回転させていた。普段の仕事で行っているスキャンの手順を思い出し、そこに穴がないか考えを巡らせていた。


代理プロキシもダメ、偽造IPも使えない……オッサン、スキャンまであとどれくらい?」

「大体三十分だ。時間がねえぞ……何か、アイデアは」

「二分ちょうだい、ちょっと考える」


 マコトは目を閉じ、いつもの自分の作業を暗い視界の中で思い浮かべた。


 基本的に、一斉点検は有機資源の手作業で行われる。スキャンしたエラーにその場ですぐさま対処できるように、というE-ter側の判断だ。コンピューターによる点検ならば効率は圧倒的にいいが、後処理をするのは結局有機資源である。ネットワーク回線に繋がっている全ての電子機器から送られてきた情報をプログラムにかけて解析し、問題がないか確認してまた次の情報を処理する作業に戻る。ソフトの整備を担当しているEクラスが一番嫌がる重労働がこのセキュリティスキャンだった。


「……待てよ。今回の点検も有機資源が行ってるんだったら……」

「何か浮かんだか?」

「多分。今回はセキュリティの穴を多分突破できない。だから、有機資源の手作業の脆弱性に賭けてみよう」

「何をする気だ?」

「このエリアの情報が送られたタイミングで、離れたエリアの回線に深刻なバグを発生させる。それこそ、複数の有機資源じゃないと対応できないくらいの」

「そうか……セキュリティスキャンの実施はあらゆるネット回線を点検するから延長できない。そんなことをすれば一般有機資源からの苦情が出るからな」

「そう。だから、作業をしてる整備士たちを焦らせる。一番の懸念は、バグを修復してる間にこのエリアの点検をする有機資源が仕事を適当に終わらせてくれるかどうかだけど……」

「そこは祈るしかないな」

「何に?」

「何って、そりゃ神様だろ」


 からかうような口調に、マコトは苦笑いを浮かべた。


「神様なんて信じてないくせに」

「E-terを信仰するよりはずっとマシだ」

「……そう、かもね」


 マコトの小さなため息は、誰に聞かれることもなかった。






「こっちは準備できたぞ!」

「「蟻」の実力見せてくれよな!」


 レジスタンスの本拠地を守る作戦が、始まろうとしている。今回の作戦の概要はこうだ。


 まず、アツオがエリアスキャンを実施する班の中に潜むレジスタンスの一員と連絡を取りタイミングを見計らう。マコトたちがいる本拠地のスキャンに差し掛かった時に合図を送り、その瞬間に大規模な障害を引き起こすのだ。差し当たって必要なのは、バグを起こすためのプログラムだ。


「マコト、どうだ」

「ごめん、今ちょっと話しかけないで」


 声を掛けられたマコトは、旧式のコンソールにバグを引き起こすためのプログラムを入力していた。集中力を要するため、必死に画面だけを見つめている。使い慣れないコンソールの感触に苛立ちを覚えながら、マコトは指を動かしていた。


「点検中に起きたら嫌なこと……ネット回線……免許……エリア内の一般有機資源のデータ……そうなると必要なのはこっちのコードで……ダメだロックがかかってる……」


 ブツブツと呟きながらも、その指は止まらない。


 マコトが今作成しているプログラムは、指定したエリア一帯に存在する有機資源のネット免許を一時的に使用不可能にするものだ。免許が停止すれば、もう一度使えるようにするまでに時間がかかる。しかも、普段から生活をインターネットに頼っている一般有機資源にしてみれば免許の停止は死活問題だ。苦情も殺到するだろう。一番処理に手を焼くエラーと言われて、マコトはこの作戦を思いついた。問題は、エリアスキャン実施までにプログラムを書き終えることができるかどうかだ。


「エリアスキャンまであと十五分!」

「ゴーグルがないと使いにくいなこれ……!」


 マコトは苛立ちのままに舌打ちをして、次から次へと送られてくる一般有機資源の情報をコードの発動対象に組み込んでいく。これも全て、アツオたちレジスタンスが有事の際にと業務中に少しずつ盗み出したものだ。


「お前のゴーグルは逆探知対策してないからな。アオイの二の舞にはなりたくないだろ」

「分かってるよそんなこと……! 次!」

「転送しました!」


 新たに送られてくるデータ群がモニターいっぱいに広がる。ゴーグルがないため、それを分かりやすいように再整列することはできない。普段どれだけ自分がE-terの技術によりかかっていたかを思い知らされ、マコトの苛立ちはさらに募った。

 それでも、やらなくてはならない。


 ……――だって、私はまだ死にたくない。まだ、システムに支配されない世界についても知らない。キョウヤがどうしてレジスタンスに入ったかも聞いていない。それに、それに。


『僕はE-terじゃなくてマコトの話をしているんだ』


 まだ、ユズリにお礼を言っていない。システムの外に目を向けるきっかけをくれたあの子に、何も返せていないじゃないか。


「スキャンまであと五分です!」

「マコト……!」

「あとちょっと……あとちょっと……!」


 最後のデータ群を操作しながら、マコトはうわごとのように呟いた。モニターの左下に小さく表示されたタイムリミットが、赤く点滅し始めた。もう、時間がない。


「スキャン開始まであと三十秒……!」

「……間に合え!」


 最後のデータを落とし込み、マコトはキーを、その指で押し込んだ。


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