16. 人間

 しばらくキョウヤの尻を見つめながら進んでいたマコトは、開けた空間に出て大きく伸びをした。低い姿勢を維持していたせいで腰が少し痛む。


 ここは、一般有機資源の生活排水を浄水場まで運ぶ排水路だ。入り口まで漂っていた悪臭の正体はこの排水だ。


「ここから少し歩くがそんなに遠くはない」

「こんなところを拠点にしてたんだね……」


 そう呟いたマコトは、ふと自分のゴーグルにまだマップが映っていることに気が付いた。現在の所在地が点で表示されている。


「ねえ、キョウヤ。さっきのジャミングってもう効果が切れた?」

「いや、そこまで短くはない。あと十分程度なら保つはずだが」


 不審な顔をするキョウヤに、マコトは自分のゴーグルを外して中身を見せた。


「まだマップが出てる。E-terの電波を妨害できるなら、これも消えるはずじゃないの?」

「これは……マコト、お前珍しいもの持ってんな。そのルーター、多分E-terの回線じゃなくて衛星通信に繋がってるぞ」

「えい、せい?」


 見知らぬ言葉にマコトが首を傾げると、キョウヤは着いて来いと顎で示して歩きだした。並んで進みながら、キョウヤが話し始める。


「オッサンがE-terのサーバーから盗み出してきた情報にあったんだよ。なんでも宇宙に「衛星」って機械が飛んでるらしい」

「そんな技術、有機資源は持ってないでしょ」

「あぁ。だから、衛星を作ったのは有機資源じゃないって話だ」

「有機資源じゃない?」

「ニンゲン、て名前らしい。今はいないがな」


 ニンゲン。マコトはその名前を繰り返し呟いた。初めて聞く言葉だ。アテナの教育にもそういった固有名詞は一度も出てこなかった。マコトが頭を悩ませている間にも、キョウヤの話は続く。


「ずっと前にニンゲンってのはいなくなったらしいぞ。ただE-terを作ったのも、その衛星ってのを宇宙に飛ばしたのもニンゲンなんだとさ」

「へえ」

「そもそもあの簡易妨害電波発生装置ジャミングジェネレーターってのは、E-terが発している電波と同じ周波数のノイズをぶつけて通信を阻害するものだ。だから治安維持部隊のドローンには効果があるが、周波数がまるで違うものにはぶつけても意味がない。衛星から出てる電波とE-terの電波は別物だからな。そのマップ機能が生きててもおかしい話じゃない」

「見たことないマップ表示だったのは、その衛星から飛んできたのがE-terによる情報じゃないから?」

「多分な」

「じゃあこのルーターみたいにニンゲンの作った機械が使えれば、E-terに頼らなくても生活ができるの?」

「話はそう簡単じゃない。ニンゲンが作ったものなんてもうほとんどがジャンクパーツになってる。まだ使えるものが見つかるなんて稀なことなんだよ」


 ふう、と一息はいてからキョウヤが立ち止まる。


「まあ、これは全部オッサンからの受け売りだからな。俺が詳しいわけじゃない。もっと聞きたいことがあるなら直接自分で聞いてくれ」


 キョウヤが示したのは一枚の鉄扉だ。マコトは生唾を飲み込み、ゆっくりと扉を押し開けた。





 そこは、巨大な空間だった。中央には廃油を入れていたドラム缶が置かれていて、中で炎が燃えている。立ち上る煙は天井付近に設置された換気口に吸い込まれていた。時折火の粉が爆ぜる音だけが辺りに響き渡る以外は静かだ。


「キョウヤ、あれ、もしかしてライトの代わり?」


 マコトはドラム缶を指さして尋ねた。


 Eクラスといえども、普段の生活の基盤は確保されている。部屋の明かりや生活に必要な資材の動力は全て電気で賄われている。マコトが受けている配給は栄養バーがほとんどなので調理の必要もなく、暖房も気温に応じて自動管理されていた。

 キョウヤはここに慣れているのか、事も無げに言った。


「あぁ。ここはインフラが整ってないから明かりは火に頼るしかないんだよ。お前もここでしばらく暮らせば、今までどれだけE-terの設備に頼ってたか嫌でも分かるさ」


 ドラム缶の横を素通りして、キョウヤはさらに奥を目指した。マコトはゴーグルに映し出されるマップを見て現在位置を確認する。位置を示す点は一般有機資源のための娯楽施設を表示していた。どうやら、ここは地下のようだ。


「今日は今度の襲撃のための会合がある。オッサンもいるはずだから、マコトも聞いて行けよ」

「……そうだね、そうするよ」


 ゴーグルの電源を落とし、ルーターのスイッチを切る。今までテロリストを追い詰める側だったマコトが、いざ本人たちの話を聞きに行くのは何とも気まずい。だが、もう後戻りはできなかった。


「帰ったかキョウヤ……あぁ? マコトか?」

「オッサン……」


 キョウヤを出迎えるように現れたのは、アツオだった。アツオは一瞬驚きで目を見開いたが、すぐにキョウヤに向き直る。


「例のアレは?」

「持ってきたぜ。ただ、通報されて一つ使っちまった」

「通報だ? そんな連絡流れてねえぞこっちには」

「私が通報した」


 マコトの一言が、嫌に通路に響いた。険のこもったアツオの目も、心配そうにマコトを見つめるキョウヤの視線も、彼女はまっすぐに受け止める。


「……来い、マコト。ちょっと話がある」


 何の感情も読み取れない声色に、マコトはキョウヤを見るが彼も肩を竦めるだけだった。マコトはアツオに促されるまま、彼の後をついていくことにした。


 しばらく歩けば、簡素な小屋にたどり着く。瓦礫を寄せ集めたような狭い空間に、アツオは入っていく。マコトもそれに倣って中に足を踏み入れた。

 何かの油を入れた器に、煙草を吸うために使う着火装置で火をつける。雑多に物が積まれた部屋の内部が、炎の光によって照らされた。


 アツオはその中に埋もれていた椅子に腰かけ、先ほど明かりを灯したばかりの着火装置で煙草の吸いさしに火をつけた。マコトも、手近な簡易椅子を拾い上げて座った。勧められた煙草に、マコトは今度は手を付けなかった。

 煙を吐き出しながら、アツオが言う。


「……結局、お前もこっち側に来たのか」

「ちょっと、色々あって」

「キョウヤを通報したって言ってたな。何があった?」

「……オッサンはさ、私が「蟻」に呼ばれてしばらく担当エリアから外れてたのは知ってる?」

「あぁ、「蟻」の上官に連れていかれてから仕事に来なくなったあれだな」

「その仕事が、同じ十一エリアにいる反逆者の捜索だったの。あの後私は個人情報管理室に連れていかれて、ずっとスパイを探してた」

「どこから漏れた? 警戒はさせてたはずだが」

「この前の新防衛システムの導入テスト。あのウィルスの異常行動で「蟻」の上層部はスパイがいるって確信したみたい」

「あれか……」


 アツオは頭をガシガシと掻きむしって、紫煙を吸い込んだ。


「あれは俺も反対したんだがな。防衛テスト中なんて監視の目が多い時にわざわざファイアウォールの壊し方を探さなくていいって」

「じゃあ、あれはオッサンがレジスタンスにやらせたことじゃないの?」

若い連中キョウヤたちの独断だ。俺は指示しちゃいない」

「そっか……」

「それで? キョウヤが無事なのは有難いことだが、どうしてお前はここに来た」

「システムに支配されない生活を知るために」


 マコトは一度俯いてから、言葉を続ける。


「正直、私はE-terの恩恵がない世界なんて知らない。今日だって、電気に頼らない明かりを初めて見た。でも、新しく知り合った有機資源に言われたんだ。「僕はE-terじゃなくてマコトの話をしてるんだ」って」

「それで、システムの外に目を向けようってか」

「うん……私って、おかしいかな」


 そう尋ねれば、苦い顔をしたままのアツオは首を振った。


「おかしいかは分からん。だが、俺はレジスタンスこちら側にお前が来てくれて助かるとは思ってる。なんせ、俺たちが敵に回してるのは世界そのものみたいなもんだからな」

「世界……」

「E-terってのは、俺たちが暮らしている国の王様だ。いや、支配の度合いを言えば神にも近いかもしれん。その神様気取りの機械を打倒するのが俺たち「フェンリル」の目的だ。マコト、お前「フェンリル」ってのが何か知ってるか?」

「知らない。アテナの教材で聞いた気がするけど、覚えてない」


 アツオはそれを聞いて、積んである荷物の中から自分の作業服を取り出した。大雑把に広げたそれの裏地をマコトに見せる。

 以前にも見た狼のマーク。レジスタンス「フェンリル」に所属することを意味するそれは、今のマコトの目には勇ましく映った。


「フェンリルってのはな、昔ニンゲンってのが信じてた神話に出てくる狼らしい。でっかい神様を食い殺した狼……E-ter神様を倒そうとする俺たちにぴったりだろう」

「オッサンは、本当にE-terから有機資源を開放できると思ってるの?」


 マコトの問いに、アツオは答えなかった。煙草をもみ消し、吸い殻を足で蹴飛ばして小屋の隅に追いやる。


「これから、次の強襲についての会議がある。「蟻」の知識も聞きたい」

「……分かった」


 返事に満足したのか、アツオは深く息を吐いて立ち上がった。すれ違いざまにマコトの肩を叩いて、のっそりと小屋を出ていく。


 ……――E-terの指示じゃない、私の意志ってなんだろう。システムに管理されない世界で生きていくために、私は何をしたらいいんだろう。


 日々課されたタスクのせいで碌に手入れも出来ていない自分の手を見ながら、マコトはぼんやりと考えた。己への問いかけに対する答えも見つけられぬまま、彼女はしばらく自分の手を見つめ続けていた。

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