6. 死体

 あれから、マコトは自分の居住エリアに戻っていた。走り疲れた足はさながら棒で、「蟻」としての仕事も相まって彼女の表情は疲労困憊の体を為していた。


「ただいま……」


 部屋のロックを掌紋で解除し、適当に靴を脱ぎ捨てて短い廊下を渡る。返事をするモノは当然誰もいなかった。

 作業服の上着も脱がないまま、備え付けの硬いベッドに突っ伏して顔を埋める。もう指一つ動かせない。マコトは埃臭い空気の中で深呼吸をした。

 配給までは時間がある。特別に与えられた休息を何とか過ごさなくてはいけない。


「……シャワー浴びなきゃ……」


 うっそりと身体を持ち上げて、作業服を脱ぎ散らかしていく。一般有機資源のようなホームヘルパーシステムはマコトの部屋には設置されていない。どうせ片付けるのも自分だ。部屋を散らかしたところで咎めるモノなどいないのだ。


 ごとり、と作業着のズボンが重い音を立てた。聞き慣れないそれに首を傾げ、マコトは下着姿のまま今しがた脱いだばかりの服を検めた。


「あ」


 ポケットを探れば、すぐにその正体は見つかる。昨晩ユズリと名乗った少年が残していった端末だ。マコトが持っている端末とは明らかに技術の差を感じる、最新鋭のモデルだった。軽量化を図るために出来る限り薄く設計されたボディは、最近開発の成功を謳っていた新素材を使用している。軽く、丈夫で、持ち運びがしやすく、情報の送受信が今まで以上にスムーズに行えると宣伝していたのは記憶に新しい。ロックを解除するには端末の所有者ユズリの指紋が必要らしく、マコトが電源に触れてもただ指紋を要求するポップが表示されるだけだ。


 マコトはため息を吐き、端末をベッドの上に置いた。仕事以外の預かりモノなんて初めてでどうしたらいいか分からず、とりあえず目立つところに置けば失くさないと思ったのだ。



 シャワーを浴び終わり、濡れた髪を粗悪なタオルで拭きながらマコトは自分の端末の時計を開いた。まだ配給後の仕事開始時刻までは余裕がある。それを確認し、彼女はベッドに座り込んで一息つく。まだ身体は疲れているが、幾分か気持ちは軽くなった気がする。


「E-terの整備期限って明日までだよね」


 独り言を呟きながら、自分の端末に搭載されたスケジュール表を開いた。動く気配も見せないユズリの端末とは違う、画面が分厚い端末が長いローディングを経て展開する。既に記入していた予定をスクロールしながら、マコトはぼんやりと右頬に手を置いた。


 ――そう言えば、アオイはどうなったんだろう。


 マコトがユズリと逃げ回っている間も、特殊追跡ドローンのサーチライトは何度か点灯していた。システムに対する反逆を企てたテロリストは、恐らくアオイの他にもいる。E-terの決して甘くない追跡ですら時間がかかるなら、それは追跡対象が多数いると言う事に他ならないからだ。


 システムに反逆し、テロリズムを企てるのは社会を裏切る行為である。E-terは全ての有機資源に隔てなく管理の目を向けているが、寛容なわけではない。罪を犯した者は漏れなく処罰の対象になるし、その罪が重ければ死刑も当然あり得る。特にEクラスは、その生活に不満を抱く者が多い。他のクラスに比べて反抗的な有機資源の割合が圧倒的に多いのは自明の理だった。

 最も、マコトはそういった対抗意識を持ち合わせておらず、「全てE-terが決めたことだから」といった持論で日々を送っていた。かつて教育機関「アテナ」で教わった「E-ter神様には逆らえない」という固定観念が彼女の価値観の根底を作り出していたのが理由かもしれない。


 支給された家具の一つである小型の衣類清掃機に汚れた作業着を放り込み、比較的綺麗な予備に袖を通す。配給時間前に並べば、昨日の分も一緒に受け取れるだろう。そう考えたマコトは、予定より少し早めに部屋を出ることにした。慣れた手つきで腰のカラビナに工具を取り付け、帽子を深く被り自分の端末を仕舞う。

 靴を履きながらマコトが部屋の扉を抜け、彼女の背後で重たい音を立てて自動で施錠された。


 ユズリの端末は、ベッドの上に置かれたままだった。


「マコト!」

「タイガ。作業お疲れさま」


 Eクラス物資配給カウンター。そこで無事に配給を受け取って、安堵に胸を撫でおろしたマコトに声を掛けたのは同じ十一エリアを担当しているタイガだった。タイガはマコトに近付き、一回りも二回りも小さいマコトの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。帽子ごと潰されそうになったマコトは小さく悲鳴を上げた。


「お前なぁ! 期限近いってのに特例措置で休息なんて良い度胸じゃねえか!」

「痛い、タイガ、帽子取れちゃう」

「おかげで進捗は最悪だ! 配給後の仕事は来るんだろう?」

「うん、もちろん。今日は終わるまで帰らない」


 そう言えば、タイガは満足そうにマコトの頭を離して近くのテーブル席に腰かける。マコトは頭を帽子越しにさすりながら、タイガの正面に座った。

 先ほど受け取ったばかりの栄養バーの包装紙を剥きながら、マコトがタイガに問う。


「でも、昨日までのスピードだと割と余裕あったんじゃないの?」

「それがな、昨日の夜中に突然新しい防衛システムを構築したから実装してくれとのお達しがE-terから来たんだよ」


 その言葉に、マコトの肩がぴくりと動いた。反応を見たタイガは不審な目をマコトに向ける。視線から逃れるように、マコトは自分が食べている栄養バーに意識を集中させようとした。


「マコト。お前さては何か知ってるな?」

「し、知らないよ」

「嘘が下手くそだな」


 にい、と口を歪めて笑うタイガに、マコトは諦めのため息を返した。


「……昨日は、ちょっとトラブルがあった。それだけ」

「それはお前の特例休息と関係があるんだな?」

「うーん……「蟻」の話だから守秘義務あるわけじゃないし、言ってもいいとは思うけど……いい気はしないよ」

「なんだなんだ。マコトがここで飯食うなんて珍しいじゃねえか」


 突然声を掛けられ、マコトは栄養バーを咥えたまま振り返った。そこにいたのは、同じく十一エリアの整備士たちだ。普段マコトが離れたところで一人昼食を取ることを知っている彼らは、わざとからかうようにマコトの近くの椅子に座り始めた。


「昨日はお疲れみたいだな」


 やって来たうちの一人、アツオ―愛称はオッサンだ―がマコトのすぐ隣に座る。マコトは口の中身を嚥下して頷いた。


「オッサンが言うから九エリアに行ったのに、そこで乱闘になるとは思ってなかった」

「あぁ、それは俺たちも聞いたよ。アオイとトラブルになったらしいな? マコトが留置所行きだって聞いた時は腹抱えて笑っちまったよ」

「酷いな。こっちは殴られて結構痛かったのに」


 わざとらしく頬を撫でれば、その素振りを面白がって周りの整備士たちは背中を丸めて苦しそうに笑った。


「どうせマコトの事だ、売り言葉に買い言葉で喧嘩になったんだろ?」

「そんなことないよ。別に私、アオイに喧嘩売ったりしないから」

「どうだかなぁ?」


 笑い声を大部屋に響かせながら、マコトの周囲はいつしか見知った面子で固められていた。


「いや、な? 俺がお前に言いたいのはそっちじゃねえんだよ」


 笑顔を固めたまま、アツオはマコトを見る。何やらいつもとは違った雰囲気に、マコトの背筋は自然と伸びた。その空気を察したのか、彼女の正面に座っているタイガも目を細める。


「マコト。お前昨日「蟻」の仕事に行ったろ」

「何で、知ってるの?」

「ちょっとした情報さ。これでもお前よりは長生きなんだよ」

「……うん、行った。Cの回線からテロリストが来たから昨日の夜応戦した」


 少し早口になりながら言えば、アツオは顎のひげを撫でながら唸った。


「……マコト。少し場所を変えよう。ここじゃ他の目が多すぎる」



 アツオがマコトを連れてきたのは、Eクラスの有機資源が作業の休憩を取るために設置された小さな部屋だった。掃除が行き届いている廊下とは違い、この部屋は昨日マコトが滞在した留置所と同じくらい汚い。手入れをする必要が無い、そうE-terが判断したからだ。

 そこにある硬い簡易椅子に腰かけ、アツオは自分の作業着のポケットから煙草を取り出した。


 煙草は身体に悪影響を及ぼすので、一般有機資源からは嫌悪されている。既にE-terは無害な電子タバコ「フラム」を開発しており、彼らが使うのは専らそちらだ。味よし、栄養バランスよしで悪影響も無ければ依存性も皆無、飲んだ後の匂いも自分で調節可能の代用品があるのに、わざわざ粗悪品を選ぶような有機資源はいない。

 例の如くEクラスにはフラムの使用許可は出ていないので、煙草を飲みたい有機資源はアツオのように旧世代の紙巻き煙草を利用するほかないのだ。


 アツオは煙草に着火させてから一息つき、マコトに一本差し出した。


「どうだ。一本吸うか?」

「いいよ。今そんな気分じゃない」


 マコトがにべもなく断れば、アツオは肩を竦めていそいそとそれを仕舞った。


「それで、ここまで連れてきて何があるの?」

「……マコト。死体がどこに行くか知ってるか?」

「は?」


 マコトは唐突な質問に眉をひそめた。からかっているのか、と思ったがアツオの表情は真剣そのものだ。決してふざけているわけではない。


「死体って……知らない。E-terの葬儀システムに沿ってEクラス墓地に埋葬されるんじゃないの」


 一般的な教養を答えれば、アツオは深く煙と共に息を吐いた。魂まで抜けてしまいそうなそれを見て、マコトの困惑は広がる。


「何、私何かおかしい事言った?」

「お前は知らないんだな。俺たちがどうして有機資源なんて呼ばれ方をされてるか」


 アツオは、まだ残っている吸いさしを床に落として作業靴の底で潰した。靴底と床がこすれる音が聞こえる。アツオは、一瞬だけ躊躇して、口をゆっくりと開いた。


「俺たち有機資源の死体はな、E-terの動力源になる火力発電所に送られるんだよ」

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