5. 邂逅

 投棄されたガラクタの合間に立って、少年はこちらを見ていた。

 透き通った肌は汚れ一つなく、E-terに大切にされているのが良く分かった。目の上で揺れる前髪は柔らかに波打っていて、彼の目にほの暗い影を乗せている。緩く持ち上がった唇は、かつて教育機関で見せられた美術品みたいだ。

 時折、髪の隙間から見える瞳は翡翠色に濡れて、マコトに遠慮ない視線を突き刺した。


「お姉さん、もしかしてEクラスの人?」

「そう、だけど」


 不信感からマコトは低く答えると、少年は破顔してこちらに近付いてきた。遠くで輝くサーチライトの余波で、二人が向き合う路地裏も照らされる。マコトはその時、初めて彼が着ている服装を目の当たりにした。


 彼は、E-ter直属教育機関「アテナ」の制服に身を包んでいた。「アテナ」とは、有機資源のクラスを決めるための施設で、全ての有機資源がこの「アテナ」で教育を受ける。満十五歳になって、E-terからの告知を受け取り、初めて有機資源は社会に出てシステムに奉仕するのだ。

 少年は、皺ひとつない純白のシャツの上に、灰色のカーディガンを羽織っている。まだクラスが決められていないことを意味するNのエンブレムが、誇らしげに胸元に輝いていた。見たところ、年齢は十四、五歳だ。もうすぐE-terの階級査定が行われるのだろう。


 近付いてきた少年は、マコトの手を取った。突然の事で目を白黒させているマコトの顔を、少年は珍しい生き物を見るように覗き込む。


「僕、Eを見るのは初めて。名前はあるんでしょ? それとも識別番号を聞いた方がいい?」

「ま、マコト。識別番号はe3839ee382b3e38388」

「長いね。名前で呼んだ方がいいかも」


 連日の作業で手入れも出来ていないマコトの手を、少年は何度も面白そうに撫でている。マコトは相手を傷つけないように、だが抵抗の意思を見せて手を引っ込めた。胸元で両手を抱え込み、また触られないようにする。


「あの、Nクラスならこんな所にいないで、早く寄宿舎に帰らないと。職員が探しに来るよ」

「知ってる。さっきからずっと追いかけっこしてるんだ」


 事も無げに放たれた言葉に、マコトは顔面蒼白になった。この状況で発見されたら、マコトが少年を連れまわしていると勘違いされてしまうかもしれない。Nクラスに悪影響を及ぼすのはE-terが禁止している事項の中でも重罪だ。今度は二十時間の矯正プログラムだけでは済まないだろう。


 そんなマコトの嫌な想像が現実に投影されるように、少年がやってきた方角から騒がしい足音が聞こえてくる。聞く限りでは複数人だ。


「あぁ、来ちゃった。お姉さん、こっち」

「へっ、あ、いや、あの」


 せっかく握りしめていた手を無理やり取られ、マコトは少年に半ば引きずられるような形で連行された。すぐ脇にある細い道に入り込み、雑多に積み重ねられた電子機器を踏み越えて走る。むやみやたらに動き回りながら、マコトはふとあることに気が付いた。


 ……――まずい。追い詰められてる。


 足音は徐々に減っているが、別の方角から声が響く。囲まれそうになっているが、少年はそれに気が付いていないようで、ただその長い足を動かしていた。

 ここで捕まれば、マコトも少年も処罰の対象だ。

 躊躇いを捨てて、マコトは少年の手を握った。今度は少年が瞠目する。そのまま彼女は彼の手を引いて走った。


「こっち!」


 少年の翡翠の瞳と、マコトの琥珀色の視線がかち合う。夜闇の中、間近で交差したそれは、しかしすぐさま離れた。マコトが手を引いて先導しながら、二人は今まで通っていた道を曲がって不要物廃棄エリアに入り込んだ。


「ここは……」

廃棄エリアゴミ捨て場。こっちなら入り組んでるから、何とか逃げられるかもしれない」

「こんなところなのか……」


 興味深そうに周りを見ながら、少年がぼそりと呟く。マコトは一度だけ胡乱げな目を少年に向けたが、それよりも逃げることが先決だ。


「君、今ネット免許開ける?」

「え? あ、うん、できるよ」


 そういって少年はポケットから自分の端末を取り出した。マコトはそれを視認して、勢いよく少年の腕を引き脇道に入り込んだ。


「その端末ちょっと借りていい?」

「いいけど、何に使うの?」

道案内ナビゲーション。私はEだからネット使えないけど、Nクラスの君の端末ならE-terのマップにアクセスできる」


 ネット免許。それは、E-terがネット社会の安定のために考案した新しいルールだ。Cクラス以上、もしくはNクラスの有機資源がインターネットを使う際、不適切な投稿や害意ある記事の拡散を防ぐ目的で運用されている。他人を傷つけることなく、快適なソーシャルネットワークを構築するための決まり事だ。Cクラス以上なら誰でも無料で取得可能だが、何か問題を起こすと一定時間ネット回線への接続が出来なくなる。基本的にインターネットがなければ生活ができない有機資源が多いので、皆ルールE-terに従って生活しているわけだ。


 そして、そのネット免許にも当然穴がある。


「一つの免許につき、一枠だけ「ゲスト回線」ってのが作れるんだ。どうしてもログは残っちゃうし短い間しか繋げないけど、これなら免許が停止した有機資源もネット回線を利用できるから」


 マコトは首から下げているゴーグルを目に取り付け、少年の端末との有線接続を試みた。


「音声認識。ゲスト回線接続。ID登録なし」

「初めまして、ゲストユーザー。視覚化情報にタイムリミットを表示しました」


 普段マコトが自分の仕事用端末に設定している声とは違う女声が流れてくる。現実の光景にオーバーレイした情報ウィンドウに、「Limit:00:29:47」と映っていた。このゲスト回線は三十分制だ。


「へえ、お姉さんすごいね」

「一応E-terの整備が仕事だから」


 マコトはゴーグルの位置を調整し、少年の腕を掴む。顔認証を受けた少年の横には、「Yuzuri : Nclass」と書かれている。


「ゆず、り……」

「うん。僕の名前」


 ユズリ、と呼ばれた少年は嬉しそうに目を細めた。薄闇に浮かび上がる翡翠色の瞳が、マコトだけを映している。

 その時、背後から「いたぞ!」と声が届いた。


「見つかっちゃった」

「行こう」


 マコトは、ユズリから目を逸らして走り出す。その腕は、掴んだままだ。


「行くって、どこに?」

「とりあえず、職員に捕まらないルートで君を寄宿舎まで送る」

「え、僕帰らなきゃいけないの?」

「当然でしょ? 君はまだ子供幼生有機資源なんだよ」


 呆れたように走りながら言えば、少年は機嫌を損ねたようにむくれて呟いた。


「僕は子供じゃないよ。ちゃんとユズリって名前があるんだ」

「まだクラスを与えられていないうちは子供だよ。こんな風に、夜遊びなんてしてるなら猶更ね」


 ゴーグルに映りこむ経路を辿って、マコトは話し続ける。


「大体、どうやって寄宿舎を抜け出したの? あそこは警備が厳重なはずだけど」

「厳重だろうと隙はどこにでもあるよ。それは、お姉さん整備士の方がよく知ってるんじゃない?」


 答えをはぐらかされた。少年に答える気が無いと分かったマコトは、それ以上の詮索をやめた。


「四十メートル先、右方向です」

「他端末のGPSをオンに出来る?」

「申し訳ございません。ゲスト回線にそのような機能は搭載されておりません」

「だよね……」


 どうせそんなことだろうと思っていた。マコトは若干の落胆を覚えながらも、心の何処かでは分かっていた事態に頭を切り替えようとする。それを遮ったのは、ユズリだった。手を滑らせ、腕を掴むマコトの掌を優しく握る。驚いて目を丸くしたマコトには構わず、小さな声で端末に語り掛けた。


「GPS、表示」

「……かしこまりました。半径五百メートル以内の該当端末の位置情報をお知らせします」


 その声が途切れるや否や、マコトの目の前に表示されるマップと経路に新しい情報が追加された。


「これ、どうやって」

「内緒。それより、今は走らなきゃ」


 その言葉を肯定するように動く光点がマコトとユズリを追い詰めるため道の左右から迫っている。


「こっちじゃダメだ。戻ろう」


 その場で勢いよく止まり、二人は元来た道を急いで駆け戻った。


 息が切れて苦しい。普段はE-terのメンテナンスを屋内で行っているマコトは、体力の限界を感じ始めた。はくはくと酸素を求めて口を動かすが、吸気から入ってきたそれはすぐさま筋肉を動かすエネルギーと乳酸に変わっていく。足元から登る疲れに、思わず舌打ちが飛びそうになった瞬間、ユズリが突然背後からマコトの腕を強く引いた。


「うわっ」

「静かに」


 中の配線が飛び出した大型の廃棄機器の脇、周りから死角となった空間に押し込まれる。荒れた呼吸を整えるように、マコトは胸に手を当てて深呼吸をした。ゴーグルをよく見れば、辺りに追手と思わしき端末の位置情報がいくつも表示されている。呼吸の苦しさと疲れに意識を取られて気が付けなかった。


「どこに行った?」

「見失ったか」

「まだ向こうにいるかもしれない」


 ざわめきが、遠くからだが聞こえてくる。マコトが身を固くしていると、ユズリがそれを覆い隠すように近付いた。


 いくら幼生とはいえ、他の男性有機資源とここまで密着した経験など、マコトにはない。見つかってしまうのではないか、という緊張から心音が大きくなる。この音で居場所がバレてしまうのではないか、などという馬鹿らしい考えすら浮かんでくる始末だ。

 しばらく息を殺して保たれていた二人の沈黙を破ったのは、ユズリだった。


「ふう……よかった。もう大丈夫」

「あ、ありがとう……」


 ゴーグルに映った追手の位置情報は、既に探知圏外にいた。離れていくユズリを目で追いながら、マコトは戸惑ったように頬を掻く。


「いきなり引っ張られるからびっくりしたけど……おかげで捕まらずにすんだよ」

「僕もドキドキしちゃった。Eクラスの有機資源も女の人だと柔らかいんだね」

「なっ」

「また一つ勉強になった。クラスが低くても有機資源の質が変わらないってのは発見だよ」


 あっけらかんと笑いながら、ユズリは開けた路地に足を踏み入れた。少し離れた大通りを真っすぐ歩けば、寄宿舎にたどり着くはずだ。


「……じゃあ、私はこれで」

「そっか。Eクラスの君は許可がないとここから先に行けないんだ」


 ユズリが立っているのは、一般有機資源AからCクラスに配慮して夜間照明に切り替えられた通りだ。マコトが暮らしているエリアとはまるで違う。

 マコトは、自分のゴーグルに接続したままの端末を慌てて取り外そうとした。


「ごめん、これ今返す」


 有機資源全員に配布されているこの端末は、言ってしまえば身分証明書にもなりえる大切なものだ。だが、ユズリは緩く首を左右に振った。


「いいよ。今度受け取りに行くから」

「え?」


 ユズリは、端整な顔に微笑みを浮かべてマコトに振り返る。背負った夜景とは比べ物にならない程に美しい緑が、マコトをまた射抜いた。


「また夜に会おうね、マコト」


 それじゃあ、と歩き出す彼を、マコトは止められなかった。緊張とは違う動悸が彼女を襲い、それどころではなかったのだ。


 ……――こんなの、知らない。こんな感覚、E-terから教わってない。


 少年の背中が見えなくなっても、マコトは立ち尽くしていた。いつの間にか、ゴーグルの片隅に表示されているウィンドウは「Limit:00:00:00」となっていた。

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