4. 侵入

 目標の本拠地を突き止めれば、テロリストを一網打尽に出来る。そうすれば保管されているであろう新種のウィルスも解析に回すことが可能だ。マコトはそう考えて、目標が通過してきた経路を順々にたどっていた。


E-terが作り出した蜘蛛の巣Webの上を、慎重に綱渡りしていく。道中で不審な暗号が発見された。恐らくこれが後続の侵入者に向けた道標だろう。


「仕事が雑……でも暗号は新しく開発したんだ」


 今後のセキュリティレベルを強化するため、マコトはそれをサンプルとして回収した。Dクラスの有機資源が隣で使っている機材なら、少し時間を掛ければ解読できるだろう。

 不意に、サーバーに突き当たった。スキャンしてみるが、E-terの所有物ではない。


「不審サーバー発見。セキュリティスキャンを要請」

「ただいまスキャニングしております……脅威は発見できません」


 安全性は証明されたので、マコトは内部に侵入を試みた。もちろん、入ってきた痕跡ログを消すことも忘れない。キャッシュに履歴が残れば、後々面倒になるからだ。

 そこは、容量が小さいデータベースを改造して作られた、質の悪いサーバーだった。内部に残っている情報をウィンドウで表示するが、どれも今回のハッキング事件とは関係が薄そうだ。


「なんだ……代理プロキシか」


 要するに、ダミーを掴まされた。ここはウィルスの発信源ではない。


「じゃあどこかに出入り口が……あったあった」


 しばらく内部を彷徨えば、明らかにデータを改ざんされている箇所が発見される。カモフラージュのつもりだろうが、「蟻」の機材で見ればあまりにお粗末だ。


 改ざんデータを剥がせば、そこからまた回線が伸びている。侵入経路をマッピングした図と重ねて見ても、テロリストがここを通ったのは間違いない。マコトは先に進むことを選んだ。


 次も、その次も、発見したサーバーは全て外れだった。どれもE-terが廃棄した、Eクラスですら使用しない旧世代の機種を使用している。これだけのプロキシサーバーをどこから用意したのか、それも調査する必要がありそうだ、とマコトは頭の片隅で考えた。

サーバーを解析して、何か気になる痕跡が残っていないか調べていると、ログの片隅に知らない形式のファイルが落ちていた。隠されるように、コードの断片だけが見えている。


「何だこれ……」


 拡大し、ファイル名を確認する。


Plan_E.uto


 書かれていたのはそれだけだ。「uto」なんて保存形式は見たこともないし、今手元にあるツールでは開封することもできない。テロリストのウィルスの情報が入っているのかもしれない。マコトは、そのファイルを自らの端末に転送し、作業を続行した。


 しばらくE-terのウェブを彷徨っているうちに、とうとうマコトは目当てのサーバーを発見した。厳重にロックされた入り口に、マコトはここがテロリストの本拠地に設置されているサーバーだと確信する。


 視界の端に表示されている交戦状況を目の前に移動させ、まだ事態が動いていないのを確認する。Dクラスの「蟻」たちがE-ter内部への侵入を防いでいるのだ。


「ロック解除。攻性プログラム「蟻酸Formic code」の使用を申請します」

「ただいま確認しております……許諾確認。使用を許可します」


 音声認識によってE-terのご機嫌を伺い、攻撃する手段を得る。視覚化されたコンピューターウィルスがツールに追加されて、早く使ってくれと言わんばかりに点滅を繰り返した。


「「蟻酸Formic code」、使用します」


 宣言と共に、ウィルスが解き放たれる。敵味方を識別するコードが書き込まれているため、「蟻酸」が使用者マコトを攻撃することはない。

 攻性プログラムによって、セキュリティが融解していく。ロック解除までの時間がプログレスバーに表示されているのを見ながら、マコトは深く息を吐いた。数秒後に、バーは大きく「Completed」と書かれたポップアップに変化する。


 サーバーを覆っていた偽造用のIPアドレスが消え、本来の所在が明らかになった。マコトは素早くコンソールの上に指を滑らせて、新東京の2Dマップとサーバーを照らし合わせれば瞬時に座標が特定される。


「貧民区画……こっちだと第一留置所の近くかな」


 マップを衛星写真に切り替え、上空からの風景で確認すればそこはEクラスの第九居住区だ。マコトが住んでいるのは十一地区なので離れているが、確かここにはアオイたちが住んでいたはず。


 マコトの脳裏に、アオイの言葉がよぎった。


『何でもかんでもE-terが、E-terがって、いい子ぶって満足か』


 不可解なエラーが起きた回線。E-terが廃棄した機材を改造した粗末なプロキシサーバー。アオイの住まいであり、テロリストの本拠地だった第九エリア。状況証拠から考えれば、きっとこのテロを先導したのはアオイだ。まだ確証はないが、マコトの「蟻」としての直感がそう告げている。


 マコトは空いた右手を自分の頬に置いた。まだ痛みは残っているし、若干熱を帯びている。唇を噛み締め、マコトは固く目を閉じた。左手の親指が置かれているコンソールのキーを押せば、通報は完了する。そうすればE-terから出動要請が出たPSが犯罪者アオイたちを一網打尽にし、彼らの反逆に然るべき罰を与えるだろう。E-terに反逆することは死を意味する。そんなのはEクラスの有機資源でも知っている、至極単純なことだ。


 彼女の刹那の躊躇は、しかしマコト自身によって振り払われた。目を開けて、現実を直視して、その指がコンソールに触れる。タイムラグなしに、「Sending」と映るウィンドウが表示された。


「座標をE-terに送信しています……」


 ゴーグルに付いた骨伝導スピーカーから女声が響く。マコトは脱力し、座っていた椅子に体重を預けた。力なくコンソールから滑り落ちた腕を何とか持ち上げて、かけっぱなしだったゴーグルを首に引き下ろす。


「終わった……」


 そう、終わったのだ。マコトの仕事も、アオイたちの未来も。


 そんな感傷に浸りながら低い天井を見上げていると、背後から声を掛けられた。ずっと状況を後ろから見ていた上官だ。


「マコト。今回の功績であなたは減刑されました。今日はこのまま居住地区に戻り、配給の時間までを特例的に休息とします。E-terに感謝してください」


 感情のこもっていない話し方だ。マコトは疲れた身体に鞭打ち、腰に下げた帽子をかぶった。返事もせず、そのままサーバー積載車から降りる。夜風がやけに冷たく感じて、マコトは作業服の襟を立てた。


 Eクラスの有機資源に送迎車が用意されるわけもなく、マコトはゆっくりとした足取りで自分の居住区に向かっていた。酷く疲れている。身体もそうだが、一番疲労が溜まっているのは心だった。

 高層建築物の隙間、薄暗い路地裏を歩いていく。酷い夜だ。マコトは帽子を目元まで下ろして、胸中を換気するように深呼吸をする。それでも、やはり彼女の心が晴れる事は無かった。


 ……――だって、私はアオイを売ったのだ。


 テロを起こしたとはいえ、一緒に仕事をしたことのあるEクラスの有機資源を身代わりにした。あそこで通報しなければ自分が反逆罪で殺されるとはいえ、見知ったモノをE-terに差し出してしまった。その悔恨と恐怖がない交ぜになった感情が、今のマコトを支配していた。下を向き、惨めに背を丸めて歩くしかできない自分が、ただ虚しい。どんなに唇を噛み締めても、時間を戻す技術をE-terは開発してなかった。


 俯いたマコトの視界に、いつも携帯している旧式の端末が目に入った。先程の「蟻」としての仕事を思い返し、気分はどん底だ。

 端末のランプが、データを受信したことを告げている。そういえば、何か見慣れないファイルを転送していた。マコトは辺りを見回し、誰もいないことを確認してから端末の電源を入れた。


 時間を掛けて起動した端末で、新しく保存したファイルを表示する。当然だが、このファイルを開くほどのスペックをマコトの端末は有していなかった。

 その時、上空を特殊追跡ドローンが飛び去って行くのが目に入った。サーチライトを四方に向け、重罪を犯した有機資源を探している。その白い光が一瞬マコトを照らし、あまりの眩しさに彼女は目を瞑った。過ぎ去った頃を見計らって、そっと目を開ける。


 いつ現れたのか、路地裏の片隅に一人の少年が立っていた。彼は柔和な笑みを浮かべ、マコトに優しく声を掛ける。涼やかで、美しい少年だった。


「こんばんは、お姉さん。良い夜だね」

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