3. 働蟻
「十一エリア担当、e3839ee382b3e38388、マコト。本日未明、九エリア担当のe382a2e382aae382a4、アオイともみ合い、乱闘騒ぎに発展。PS搭載ドローンの出動申請の原因はお前たちだ。間違いないな」
「間違いありません」
ドローンに拘束されたマコトは、俯きながらか細い声で肯定した。目の前で端末に映し出された罪状を読み上げながら、名前も知らないBクラスの有機資源が威圧的なため息を吐く。
殴り合いに発展したマコトとアオイは、あの後警備ドローンに拘束され最寄りの治安維持施設に押し込まれた。目の前のBクラスは街の治安を守るお飾りのようなもので、結局有機資源を罰するのはE-terの仕事だ。
腰に下げていた連絡用の端末は取り上げられ、今それを目の前の治安維持職員が確認している。やがて検査は終わったのか、その端末はまたマコトの手に戻ってきた。いつもの重みに安心していると、マコトを拘束しているドローンから男声が鳴った。
「Eクラス、e3839ee382b3e38388、マコトの処罰が決定致しました。速やかに第三留置所に輸送後、二十時間の矯正プログラムを受けていただきます」
「だそうだ。よかったな、刑罰が軽くて」
ゴミ捨て場にへばりついた汚物と同類、と言わんばかりの目つきでBクラスの男がマコトを見た。
社会的地位が低いEクラスの有機資源は、他の階級から軽蔑の対象として見られる事が多い。E-terの選択は常に正しいものとして教育されているので、そのE-terが能力的に劣っていると判断した相手を蔑まずにはいられないのだ。
「連行いたします」
警備ドローンがマコトを急かす。マコトは、ただ一礼して治安維持職員に背を向けた。
連れてこられたのは、新東京の貧民区画にある第三留置所だ。最下級であるEの有機資源が問題を起こせば、よほどの重罪でない限りここに来る。掃除が全くされていない、窓もない小さな部屋。埃臭くて、実に不衛生だ。今から二十時間、ここでマコトは矯正プログラムを施行されることになる。
「まもなく、プログラムが始まります。ヘッドセットをつけて、モニターをご覧になってお待ちください」
感情のない録音された声がスピーカーから聞こえ、そのまま警備ドローンは別の配属箇所に戻っていった。タイヤの駆動音もなく、ただ静かに小部屋の扉が閉まるのをマコトは見届ける。マコトは疲れたように床に座り込んで壁にもたれかかった。
アオイに殴られたところが痛い。腫れて熱を持った頬に手を当てて、マコトは疲れたように目を閉じた。モニターが点灯し、かつてこの国がまだ自然財産を有していた頃の環境映像が流れる。Eクラスが見ることのできない植物、四つ足で動く小さな生き物、どれもマコトは本物を見たことが無い。興味もないそれを薄く目を開いてみてから、マコトは固い床に寝そべって目を閉じた。ヘッドセットは、まだ壁に掛けられたままだ。
どうせ見たところで、何かが変わるわけではない。
「Eの矯正なんて、どうせ形だけ取ってればいいんだもんね」
ため息混じりに呟く。扉だけは頑丈で、脱走はできそうにない。そもそも逃げ出すつもりもないので、マコトはただしばしの休息を取るだけだ。壁に掛けられているヘッドホンからは、精神安定用のフィルタリングが施された電子音が微かに漏れている。モニターが映し出す光だけが部屋を照らし、それに背を向けてマコトは身体を丸めた。作業服の襟を掻き合わせて、寝やすい体勢を整える。
二十時間後には迎えが来る。マコトはそっと、腫れた頬を撫でた。
外側から扉のセキュリティが解除される音で、マコトは目を覚ました。体感時間ではまだ十時間も経っていない。身体中の関節が油を差し忘れた歯車のような軋みを訴えるのを感じながら、ゆっくりとマコトは上体を起こす。扉の外側には、小奇麗な制服を着た男性が立っていた。その胸元には、削り出しによって加工された精密なシルバーのエンブレムが輝いている。中央には合成サファイアがはめ込まれていて、これが意味する部隊をマコトは知っていた。
「おはようございます、e3839ee382b3e38388、マコト」
「……「蟻」の上官が、どうしてここに」
「仕事です。中規模の攻撃が行われています。早急に出動を」
「でも、まだ処罰が」
「E-terからの要請です。準備をお願いします」
何の感情も抱かない声色だ。恐らくEクラスと必要以上の接触を持ちたくないタイプなのだろう。マコトは目をこすり、床に置きっぱなしにしていた作業帽とゴーグルを腰のカラビナに取りつけた。ホルダーに連絡用の端末を差し込み、立ち上がって男性に歩み寄る。
「いつでも行けます」
上官は眉を上げたが返事をせず、そのまま留置所の廊下を歩み始めた。身長の低いマコトは置いていかれないように、小走りになってついていく。歩きながら、男性は話し始めた。
「時間が無いので手短に状況を説明します。今回の標的はE-terの回線の中でも最もセキュリティレベルの低い回線から侵入、内部からハッキングを行うことによって甚大な被害を誘発しようとしています」
「今のところの被害は?」
「現段階でセキュリティの二割が突破されています。どうやらテロリストが新開発したウィルスのようで、こちらでも対処に時間がかかっています」
男性がエントランスの扉を開け、マコトはその後ろを追い外に出る。窓が無かったために時間が分からなかったが、どうやら今は深夜のようだ。貧民区画に寄りつくモノなんてそもそもいないが、辺りは不気味なまでの静けさに満ちていた。
マコトはそこで、あることに気が付く。第三留置所の前、護送車を駐車するスペースに一台の大型車が停まっているのだ。側面には、上官が付けているエンブレムと同じマークが掲げられている。システム安全運用特化部隊「蟻」が保有するサーバー積載車だ。
「あちらです」
男性は笑み一つ浮かべず、真っすぐに車両を目指す。掌紋を照合して、その背面の扉を広げた。
中には、ハッキング対策のためにE-terが用意した特殊サーバーと攻性プログラムを使用するための大型端末が所狭しと並べられている。既に乗っていた数人がハッカーと交戦を開始しており、激しくキーを叩く音が嫌に大きく聞こえた。
「マコト。貴方はあちらで作業を」
上官が指した先は、他の作業員と少し離れたところにあるスペースだ。見れば、明らかに機種が古い。端末の状態も悪く、排熱が上手くいっていないのか酷い熱気がマコトを襲う。Dクラスの有機資源が扱える「蟻」の機材ですら、Eだからという理由でマコトが使用することは許されていないのだった。
マコトは、腰のカラビナに引っかけていた帽子とゴーグルを掛けなおし深く呼吸をした。
モニターの前に座り、キーボードに指を置く。ゴーグルに表示される情報にタイムラグが生まれないようにゴーグルと大型端末をケーブルで接続、電源を入れて起動を待った。ゴーグルに光が映りこみ、大きく「Anti-Network-Terrorists」と表示された。
「音声認識システム、起動申請」
「システム安全運用特化部隊、マコト様。音声認識を開始いたします」
骨伝導の音声がマコトの耳に届く。数瞬の間を置いてから、目の前に膨大な情報が展開された。
現在の防御プログラム損傷率。相手ハッカーの進行状況。使用されたコンピューターウィルスの解析結果。他の「蟻」達の動き。シミュレーションにより算出された今後のハッカーの行動予測。ありとあらゆるデータが視覚化され、ゴーグルの内部がいっぱいになる。それを眼球の動きで追いかけながら、マコトが声を上げた。
「進行を防いだところでどうせ後ろから援軍が来る。まずは侵入経路の洗い出しと、そのセキュリティホールの修繕を開始」
マコトの声に反応して、展開されている情報のラインナップが変化した。今までは雑多に表示されていたウィンドウが全て、テロリストが侵入した箇所を指すポインタに変わった。
侵入が発見された箇所は、聞いていた通り一番プロテクトの甘いCクラス一般回線だ。
「……おかしい」
マコトは回線のログを見ながら呟いた。この座標には見覚えがある。脳裏に過ったのは入力設定のミス。ちょうど今日、この回線のエラーを点検したばかりじゃないか。
まさかそれを見越して、テロリストたちはこの回線でハッキングを仕掛けてきたのだろうか?
マコトは雑念を払うように緩く頭を振り、目の前の作業に集中した。「蟻」の仕事は神経を使う。少しでも出遅れれば、取り返しのつかない大惨事を引き起こしてしまう可能性もあるからだ。
「表示座標を拡大。もっと見やすく」
目を凝らしてウィンドウを確認すれば、やはり対象は今日のエラーポイントの上を通っている。ここから遡れば、もしかしたらテロリストが本拠地として使っているサーバーを特定できるかもしれない。
マコトは忙しなく手を動かしながら、振り向くことなく自分の背後で状況を観察している男性に声を掛けた。
「上官。
「やれ」
「了解」
短いやり取りで、マコトの仕事は決まった。マコトは眉間に皺をよせ、
働き蟻の手に、迷いはなかった。
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