2. 仕事

 ゴーグルをつけ、作業帽を目深に被りなおしながら仕事場に足を踏み入れる。そこでは同じ作業服の人物が数人慌ただしく走り回っていた。そのうちの一人がマコトの姿を見つけて声を上げる。


「何でお前がいるんだよマコト!」

「うるさいな。オッサンに呼ばれたんだよ。アオイの代わりにここのエラー見ろって」

「んだと!」


 血気盛んなアオイを無視し、マコトは彼の脇を素通りする。設置された大型のサーバーに自分の端末を接続、システムを起動した。胡坐をかいて床に座り込み、自分が一番作業しやすい姿勢を取る。点灯したモニターには大きく「圏外No-Signal」と表示されていた。


マコトは指を滑らせながら端末に向かって話しかけた。


「声紋認証。E、エリア十一担当、マコト」

「少々お待ち下さい。ただいまE-terの確認を取っております……完了致しました。エリア十一担当、e3839ee382b3e38388、マコト様。今日も誇りある成果を」


 穏やかな女声が流れ、画面いっぱいに作業ツールが表示される。その端には小さく「圏内Within」とアイコンが付いていた。注視しなければ分からない程に、慎ましいサイズだ。


「誇り、ねえ……」


 いつもと変わらない決まり文句である。これを聞くようになってからもう数年は経とうとしていた。


「アオイ。ここはやっておくから、そっちはハードの整備をお願い」

「指図すんな!」


 青筋を浮かべながら怒っているアオイは、別の仲間に宥められながら離れていった。もし自分がミスをして別エリアから担当でもない奴が派遣されたら、確かにいい気分はしない。マコトは若干の苛立ちを覚えたが、それよりも同情が勝った。胸中のもやはため息と一緒に吐き出す。


「さてと……E-ter。お喋りしよう。どこが悪いのかな」


 自分の仕事を全うする。それが整備士としてE-terに存在を許された、Eクラスの有機資源の生き方だ。


 ゴーグルに付属するセンサーが画面の情報をスキャニングして、目の前に視覚化されたE-terの回線を映し出す。エラーが出た個所を検索すれば、目の前に立方体が立体映像で展開された。その数か所に、赤いマークが点灯している。拡大して詳細を表示すると、セキュリティプログラムのバグで、Cクラスが入れないようになってしまったとの情報が出た。恐らく入力設定に間違いがあったのだろう。回線の上を走る情報がないから、今はメンテナンス中として全一般ネット接続が制限されていることが分かった。


「ここの入力か……」


 マコトは立方体の拡大を何度か試み、最大までサイズを大きくしてから作業に取り掛かった。今はアオイたちがハードの整備を行っているから、多少無理をしてもすぐに対処してくれる。


「ツール表示。介入コードの入力を申請」

「申請許諾。確認しました」


 E-terからの許可が下りた。マコトは棒状に視覚化された介入コードを、エラーの箇所に右手であてがう。触れた先から霧散するツール使い捨て介入コードに意識を集中させ、解析されたログを左手で片っ端からスクロールした。一瞬目の端を過った違和感に、マコトはスクロールする手を止めた。少し遡って、気になる箇所を探し出す。


「これか……ほんとだ。入力ミスになってる」


 ツールバーから修正パッチを選択し、設置した。認証の間をおいて、エラーを主張していた赤いマークがライトブルーに変化する。成功だ。


 一息ついて、マコトは別の箇所の作業にも取り掛かった。まだあと数か所残っている。ネット回線のメンテナンスが長引けば、回線を常用している有機資源からのクレームも免れない。そうなると配給の質と量が落ちるのは整備を担当しているEクラスのマコトたち整備士だ。



 一通りの作業を終え、凝った肩をほぐすように腕を回す。点検も軽く済ませて、大きく背伸びをした。汗で蒸れたゴーグルを外して目をこする。今日はいつもより多めに仕事をしたが、果たしてこれが配給に良い影響を与えてくれるのだろうか。


「おいマコト!」


 立ち上がって端末の電源を落としていると、背後から声がかかった。マコトが振り返った視線の先にいたのは、肩を怒らせて歩み寄ってくるアオイだ。作業終わりで疲れた表情をしているが、目は爛々と輝いている。


「ん、あぁ。お疲れ様、アオイ」

「お疲れ様、じゃねえよ! 人の仕事取って楽しいかお前!」


 その一言に、マコトはげんなりした。感謝されることはまずないだろうとは思っていたが、まさか罵倒が飛んでくるとは考えていなかった。しばらく端末をいじり、完全にモニターから光が落ちたのを確認してから、マコトはアオイに向き直る。


「取ったつもりはないよ。オッサンが行ってくれって言ったから来ただけ」

「それで俺の配給はどうなってもいいってのか?」

「知らないって。アオイがバグなんて残さなきゃよかった話でしょ」

「何だと……!」

「落ち着けよアオイ! マコトの言う事も正論だろ!」


 周りの制止を振り切って、アオイはマコトの胸倉を掴んだ。自分より背の高い男に襟を持ち上げられて、足が浮いたマコトの表情は苦しみに歪む。深くかぶっていた帽子もぽしゃり、と情けなく地面に落ちた。


「痛いよ、アオイ」

「お前はそうやっていつもスカして、むかつくんだよ! 何様のつもりだ! Eのくせに「蟻」に入隊できたのがそんなに偉いのか!」


 突き飛ばすように離れた手が、強かにマコトの身体を打つ。反動で尻もちをついたマコトは、咳き込みながらアオイを睨み上げた。


 「蟻」。E-terが管理する社会に住むなら、この部隊の名前を聞かない者はいないだろう。E-terに反抗の意思を見せる不届き者テロリストからのサイバー攻撃に対抗するために、E-terが選出したシステム安全運用特化部隊。「Anti-Network-Terrorists」の略称で、通称ANTだ。女王蟻E-terに奉仕する働き蟻ANTとは誰が呼んだのか、いつしか彼らは「蟻」と呼ばれるようになっていた。


 この「蟻」を、E-terは基本的にDクラスの有機資源から指名する。最下級のEにはサイバー攻撃に対抗する技術を持つ有機資源が、あまりに少ないからだ。A~Cの有機資源は頭脳労働を行うため、テロリストとの電脳回線における戦闘に身を置くことを嫌がる。だからこそ、下級クラスである有機資源に整備士や戦闘員の仕事が回ってくるのだった。そして、その数少ないEから選出された「蟻」のうちの一人がマコトなのだ。


 マコトは服の襟を正して、落ちた帽子を拾い上げた。軽くはたいてそれを深く被り、アオイと目を合わせないように俯きながら立ち上がる。


「私が「蟻」なのはE-terがそうであれって望んだからだよ。……仕事、取っちゃってごめんね。気を悪くしたなら謝るけど、「蟻」だってことが気に入らないならその文句はE-terに言って」

「あ?」

「じゃあ私帰る。ここにいると、どんどんアオイに嫌われそうだし」


 仕事は終わった。自分が担当しているエリアでもないのに、長居する必要はない。マコトは小柄な身体をさらに小さく見せるように背を丸めて部屋を出ようとした。その肩を掴んで止めたのはアオイだ。


「だから、そのスカした態度が気に入らないっつってんだろ!」


 力任せに肩を引かれて、無理やり顔を合わせる。作業帽のつばからアオイを見上げたマコトの視線は、酷く冷えていた。


「……何? 話も仕事も終わったよね」

「何でもかんでもE-terが、E-terがって、いい子ぶって満足か」

「E-terに従わない有機資源は必要ないんだよ、アオイ。死にたくなかったら従順でいようってだけなんだけど」

「何もかも諦めたその顔が気に入らないんだよ!」


 アオイは拳を振り上げてマコトの頬を殴打した。がつん、と嫌な音が響き、周りが一瞬水を打ったような静寂に包まれた。殴られて口の中が切れたのか、マコトは血混じりの唾を床に吐き出す。帽子の影から覗いた視線は、苛立ちと憤怒で濡れていた。

 マコトがアオイに掴みかかり、その髪を引っ張って地面に引き倒す。顔の中心を殴りつけ、アオイが反撃をしても二人の乱闘は収まりそうにない。


「二人ともやめろよ!」

「おい、誰かPS呼んでくれ!」


 騒ぎを見ていた作業服たちは、慌てて手元の端末の緊急連絡ボタンを押す。警備システムProtection Systemが搭載されたドローンのサイレンが部屋に溢れたのは、その数分後だった。

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