1. 起動
数多の配線が、木の根のように絡み合って床に広がっている。それらは全て一台の大型コンピューターに接続されており、モニターから洩れる光に照らされて有機的な輝きを持っていた。
その配線の中に埋もれるように、作業帽がひょこひょこと動く。薄汚れた作業服を着た人影が暗い部屋の真ん中で手元の端末を操作していた。胡坐をかいてその足に端末を置き、データが更新される度に画面に触れては何かを修正している。情報を追っている目はゴーグルによって隠され、ただブルーライトを反射するだけだ。その人物は時折困ったように唸りながら、何度も頭を悩ませて端末を操作していた。
絡んだ配線の障害をまたぎながら、一人の男性が入ってきた。電子端末をいじっている人物と同じ作業服を着ている。彼は仕事に没頭している人物を見て舌打ちをすると、乱暴に配線をかき分けて吠えた。
「おい、マコト! 作業終わったら戻れ!」
「あ、ごめんタイガ。すぐ戻るよ」
マコト、と呼ばれた人物は振り返り、慌てたように端末の電源を落とす準備に取り掛かる。
「作業中断。ここまでの作業記録をデータベースに更新。To doリストのチェックと継続準備の設定を要請します」
「確認いたしました。少々お待ちください……ありがとうございました。E-terに対する敬愛をお忘れなく」
涼やかな女声が端末から響く。液晶から光が消えたのを確認してから、マコトは立ち上がって尻に付いた砂ぼこりを叩いて払い落とした。掃除が行き届いていない空間に長らく留まっていたのだ。作業服が汚れるのはいつもの事だが、それでもマコトは服の埃を払わずにはいられない。配線の隙間を縫うように慣れた足取りで歩いてくるマコトを、タイガは一瞥してから来た道を戻っていく。マコトは端末を持ったままその後を追った。
配線が張り巡らされた部屋を抜け、無機質な白い廊下に出る。そこはシミ一つない、衛生的な場所だった。先程までマコトが作業していた部屋とは大違いで、ここは掃除も人の目も行き届いている。明るい光の下に出て少し目を細めたマコトは、自分のモスグリーンの作業服がすっかり埃で白っぽくなっていることに気が付きさらに顔をしかめた。落ちそうにない汚れに諦めの目を向ける。作業服のジッパーを下げ、腰に巻きながら歩いているマコトを見て、タイガが言った。
「いつまで仕事してるんだお前は。まさか一生あそこに閉じこもってるつもりか?」
「まさか。ただの作業じゃん。タイガは冗談が好きだね」
「冗談じゃねえぞ全く……配給の時間だから、それ食ったら一回帰れ」
「え、やだよ。まだ確認も終わってないのに」
あっけらかんとした声色で肩を竦めながらマコトが返す。電子情報を投影するゴーグルを首下に引き下ろしながら言葉を続けた。
「大体、整備の期限は明後日でしょ。私が帰ったら今のペースだと終わらないよ」
「そうだけどな。お前最近ぶっ続けで作業してんだろ」
「そのくらい別になんてことないって。仕事しないと配給だってまともにもらえないし」
廊下を抜けて、屋外へと続く扉にマコトが触れた。マコトの掌紋をスキャンした鉄製の大扉が、重苦しい音を立てて開いていく。タイガは、真面目な奴だ、とため息を吐いた。
「何でお前みたいなのがEなんだか、俺には理解できんな」
その言葉に、マコトが一度目を丸くしてから笑う。その口調と表情は穏やかだ。
「そんなの、E-terが私に望んだからに決まってるじゃん」
しばらくタイガとマコトは作業の進捗を確認しながら道を進み、とある部屋に入った。同じような服の集団がカウンターにひしめき合っている。大人数が作り上げるざわめきを聞きながら、マコトは壁に掛けられたモニターを見上げた。
「そっか。ちょうど配給始まったばっかりなのか」
「やっぱこの時間は混雑してんなぁ……」
はあ、とため息を吐きながらタイガは頭を掻く。部屋に設置されている大型のモニターに表示された待ち時間は約九十分。このままでは配給を受け取る前に休息が終わってしまう。
Eには厳格なタイムスケジュールが組まれており、それに従って日々を過ごしていた。もちろん、従事しなければ処罰の対象になるし、配給の質と量も落ちる。E-terの監視の目から逃れることは、マコト達Eの有機資源には許されていないのだ。
「私、一回住居エリア戻るよ。おなか減ったから、今日は備蓄で賄う」
マコトは少し考えてからそう言った。スケジュールは決まっているが、配給は仕事の時間外に受け取ることもできる。配給を受けてつけているカウンターは年中無休なので、睡眠前の休憩時間に取りに来ることができるのだ。最も、自分の時間を削ってまで来る人間は稀有だが。タイガはマコトの言葉に納得したように頷いた。
「それがいいだろ。帰って飯食って仮眠したら戻って来いよ」
「考えとく。じゃあねタイガ」
「おう」
手を振って見送るタイガに、マコトは同じように手を振って返した。周りの作業服たちは二人を気にする素振りも見せず、我先にとカウンターに詰め寄るだけだ。マコトは作業服のポケットに手を入れて、背中を丸めながら人込みの間をすり抜けた。こんなの、配線を避けるのと同じことだ。すっかり自分の身体に染み付いた行動に、マコトは人知れず苦笑いを浮かべるしかなかった。
この国の首都、新東京は高層建築物が多い。そのため絶えずビル風が強く吹き付け、塵や砂を巻きあげながら渦巻いていた。情報流通管理機構E-terの管理区域。その一角にあるEクラス専用居住ビル地上八十四階の窓辺で、作業服の人物が配給された食料の袋を広げた。
マコトはその風に前髪を揺らしながら、備蓄していた栄養バーを齧る。味気ない食事だが、これもEにとっては日常だ。残っていたのがビタミン剤でないだけ、今日はまだマシな方かもしれない。
ビル風に乗って、どこかのエリアにある広告塔の音声がうっすら聞こえてきた。聞くモノの興味を掻き立てるようにプログラミングされたフィルターが掛かっている。その声は出来るだけ多くの耳に、自社の製品の魅力を伝えまいとしていた。
「平面のクオリティを棄て、その先へ! 我が社の映像技術はとうとう過去の表現力を超えました――」
マコトはぼんやりと聞こえる宣伝を聞きながら、用済みとなった栄養バーの包みを丸めて握りしめた。
どうせ、この宣伝の最後の文句は決まっている。いつだってそうなのだ。
「――尚、この商品はAからCまでの皆様を対象としています。お求めの方は個人の識別カードをご用意して、お近くの店頭にご相談ください」
「……ほらね」
誰に言うでもなく、マコトは独り言ちる。そんな新技術が自分の地位であるEまで回ってくるのに、一体どれほどの時間が掛かることやら。ため息を吐いたところで、どうせ救いなんてありはしない。全知全能のE-ter以外を信仰する自由など、この新東京に住む有機資源には与えられていないのだ。
E-ter。それはこの社会を支配する大型演算処理システム。「
そして、E-terはその名の通り進化する。情報を取り込み、自身のデータバンクの中で昇華して、また新たな情報を求める。起きた出来事を題材にしてその効率を検証。データベースにある知識と照合して分析を行い、結論を導き出して効率的最適解を見つけ出す。そんな次世代の演算処理システムが、マコト達の生活の頂点に君臨しているのだ。
腰についていた通信機がアラーム音を鳴らした。最新型とは程遠い大型の旧式だ。重たくて仕方ないが、これでもやっとEクラスに導入された機種である。慣れた手つきで起動すると、ノイズ混じりの聞き慣れた男声が聞こえてきた。
「マコト、食事の時間にすまん。今平気か」
「大丈夫だよオッサン。何? なんかあった?」
「アオイ達が整備してた回線でエラーが出たらしい。見てくれ」
「分かった」
味気ない食事の時間は終わりだ。マコトは丸めた昼食の包装を作業服のポケットにねじ込んで、呼ばれたエリアに歩を進める。
これでまた配給の質が上がればいいんだけど。
その呟きに混じった僅かな期待はビル風に溶け、誰にも聞かれることなく消えた。マコトの声には、他人の興味を引くようなプログラムを掛けられてはいなかった。
これは、生まれてから死ぬまでE-terに管理された一人の有機資源の物語。システムの為に生き、システムの為に死んでいく存在の、一つの記録である。
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