Ⅰ 運命の輪 WHEEL OF FORTUNE 「彼女はふた股をかけられているのか?」3

「では、彼の気持ちを占ってみますね」

 シャッフルしたカードをめくって、上から順番に置いていく。

 今回選んだのは、『ヘキサグラム』と呼ばれるスプレッド。上向きの三角形と下向きの三角形を重ね合わせた、ろくぼうせいの形をモチーフにしたものだ。六芒星の各頂点と真ん中の位置に七枚のカードを並べると、「過去」、「現在」、「未来」、「占いたい相手の状況」と「相談者の本心」、さらに、「対応策」と「最終結果」が浮かび上がる。

 最後の一枚を最終結果の位置に置いた。『ソードの四』の逆位置。壁に長剣が飾られた室内で、男が目を閉じて横たわる絵柄だ。

 ソードの組は、攻撃や苦痛を連想させる絵柄ばかりで、キーワードもネガティブなものが多いけど、解釈次第なのでぜんぜん問題ない。

 私は並んだカードの絵柄と睦実の話から、ひとつのストーリーを作り上げていく。

「コウさんは、とても頭が良くて思いやりのある人ですね。他人のために何かしたいという気持ちが強い」

「そうだと思います。今まで会った誰よりもしっかりしていて、大人なんです」

 頰をうっすらと紅潮させる睦実。本当に彼が好きなんだな。よし、最後の仕事かもしれないし、思いっきりポジティブにリーディングしちゃおう。

「睦実さんも真面目で優しい性格だから、コウさんと強くかれ合った。過去のカードが、〝喜びを分かち合う〟という意味がある『ペンタクルスの六』の正位置なので、二人はお互いをベストパートナーとして意識していたんだと思います」

「はい。最初はすっごくいい感じでした」

「ただ、彼の状況を見ると、〝バランス〟を現す『正義』のカードが逆位置になっています。コウさんは今、仕事と恋愛との間でバランスがうまく取れていないようですね。あなたは彼を信じきれなくて弱気になってるけど、彼が旅行に行こうと言ったのは本心だと思います。出張から帰ってきたら、二人の仲は進展するんじゃないかな」

「進展する?」

「最終結果に『ソードの四』が逆位置で出ています。これは、〝停滞していた物事が再び動き出す〟ことを現しているんです」

「へえー、そうなんだ」

 カードの絵柄を示しながら説明していたら、彼女がどんどん前のめりになってきた。

「対応策のカードは〝コミュニケーション〟を意味する『カップの二』の正位置。二人とも、まだ本音で話をしていないようなので、お互いのことをちゃんと理解すれば不安はなくなるはずだし、未来に〝両想い〟の意味がある『ワンドの四』が正位置で出ているから、恋人同士になれる可能性は十分にありますよ」

 すると、睦実が意外そうな顔をした。

「本当に? じゃあ、彼には本命の恋人はいない? わたしだけってことですか?」

「ちょっと待って、もう一度見てみますね」

 心の中で「彼は睦実だけを本気で思っているのか?」と問いかけながら、もう一枚だけカードを引き、机の上に置いた。

 ──やった! 『運命の輪』の正位置。転機やチャンスを暗示する幸運のカードだ。

 このカードを引かなくても、答えは決まっていたけどね。こんなに愛らしくてひたむきな目をしている女の子に、ふたまたをかける男なんていないって。

「すごくいいカードが出ました。彼はあなただけを思ってます。次に会うときは、もっとじっくり二人で話してみてください」

(……そう、彼はふた股なんてかけてない)

 ──今、頭の中でささやき声がした。もしかして、神様のお告げ?

「彼は、ふた股なんてかけてない!」

 私は巫女みこにでもなったような気分で、自信たっぷりに告げた。

「……ホントですかぁ?」

 睦実が疑いのまなしを向けてくる。

「わたし、もう自信がないんです。友だちも、『彼が会わなくなったのは興味をなくしたからだよ、出張なんて噓』って言ってたし……」

 なんだ? この想定外のリアクション。

「私のカードには、恋愛に発展する可能性があるって出てますよ。コウさんは誠実な男性だと思います。彼が旅行に行こうと言ったんだから、それを信じましょ」

 笑顔で励ましながら、相手が幸せになれる魔法をかけていく。

「大丈夫。あなたが彼を心から大事に思っていれば、必ず伝わります!」

 これで決まった!

 ──と思ったんだけど、睦実の表情がどんどん曇っていく。

「本当に、コウさんはわたしと会いたいと思ってくれるのかな? 期待して避けられたらもう立ち直れない。それに……」

 上目づかいで私の顔をうかがいつつ、睦実が話を続ける。

「こんなこと言っていいのか分かんないけど、さっき占ってもらった占い師さんに、『相手には本命の恋人がいる』って言われたんです。昨日の占い師さんにも、『彼とは相性が悪いからやめた方がいい』って言われたし、もうひとりは、『彼はヤバい隠し事をしてる』って……。だから、先生の言うことがどうしても信じられなくて……」

 そうか。彼女は占い師をハシゴし続ける優柔不断な人なのだ。悪い結果ばかり告げられてきたから、疑心暗鬼になっているのだろう。

「次の占い師さんが先生と同じことを言ってくれたら、信じられるかもしれないけど……」

 なにそれ。イライラしてきた。

「もう、ふた股かけられてるとしか思えなくて、すごくつらくて……」

 辛い状況で頑張ってる人なんて、あんた以外にもいっぱいいるんだからね! ここにもひとり! って言いたいけど、グッとこらえた。

「……もう、死んじゃいたい……」

 はい出た。死にたい。それって、簡単に口にしていい言葉じゃないから。

 あー、もう我慢できない!

 嘆き続ける睦実を放置して、ポケットからシガレットケースと携帯灰皿を取り出した。くわえたタバコに火をつけて、煙と一緒に本音を吐き出す。

「だから?」

「は?」

 ひようへんした私の前で、睦実が目を大きく見開いた。

「さっきから、あの人に言われたー、この人に言われたーって繰り返してるけど、肝心の自分の気持ちはどうなの? 私にもやめた方がいいって言われたら、あんたその彼のこときっぱりあきらめるわけ?」

「諦めたくないけど……それが運命なら仕方がないから……」

 運命? そんなもん、自分次第でどうにでも変えられるんだよ!

「あんたの好きは軽すぎる。そんなにペラッペラだと、占い師の食い物にされちゃうよ!」

 口から勝手に言葉が出た。睦実のタレていたまゆじりり上がる。

「ひどいっ! わたしは本気で悩んでるのに。っていうか、あなただって占い師じゃない!」

「どの占いを信じるのも勝手だけど、誰かに言われただけで簡単に諦めるのはやめたほうがいい」

「誰かに言われてその気になっちゃうほうが、ダメだったとき辛いじゃない!」

「何でダメになるって決めつけるの? 傷つくのが怖くて逃げたくなる気持ちは分かる。でも、他人の言葉で心にふたをしちゃだめ。ちゃんと自分自身で考えてケリをつけていかないと、何か問題が起きたとき、人のせいにするようになっちゃうよ。そういうクセがつくと、他人からも現実からも平気で逃げるようになる。彼のことが本当に好きなら、その気持ちから逃げちゃだめなんだよっ!」

 ──ふと我に帰ると、冷ややかな空気が流れていた。

 またやってしまった。このお節介な説教グセと、カッとなると乱暴な言葉づかいになってしまうのが、占い師としての致命的な欠点なのに。

 携帯灰皿でタバコの火をみ消しながら、軽くせきばらいをした。

「ごめんなさい。言い過ぎちゃいましたね。とにかく、まだ諦めないで……」

「もういいです。いくらですか?」

 怒り顔の睦実がバッグから財布を取り出した瞬間、またさっきと同じささやき声が聞こえた。

(……マジで諦めなくていい)

 神様? ──いや、違う!

 思わず立ち上がって、後ろで休ませていた少女を見る。

「もしかして、あんたの声だったのっ?」

 少女は地面からゆらりと身を起こして、私の横にやって来た。そして、サングラスの位置を両手で直してから、唇をぎこちなく動かした。

「……かれ……き……とおもう」

「えっ? 何?」

 声が小さくて早口で、何を言っているのか分からない。

「もっと大きな声で、ゆっくりしゃべって!」

 少女に近寄って耳を澄ます。睦実もあわてて近寄ってきた。

 額を寄せるように立つ三人の女に、通行人のオジサマが好色そうな目を向けているけど、そっちはガン無視して少女を凝視する。

 彼女は息を大きく吸い込み、睦実に向かって口を開いた。

「あなたは、ふた股をかけられたんじゃない。彼は、競馬の騎手なんだと思う」

 少女というよりは、歌い過ぎた女性歌手のようなウィスパーボイス。でも、意志の強さを感じさせる声で、彼女が一気にしゃべった。

「競馬の騎手?」

 睦実がきようがくの表情を浮かべた。

「そう。それも地方競馬じゃなくて、中央競馬の騎手。中央競馬のレースが開催されるのは、土曜日と日曜日だけ。騎乗が決まっている騎手は、レース前日の夕方までに〝調整ルーム〟と呼ばれる宿泊施設に入るの。競馬は公営ギャンブルだから、調整ルーム入りした騎手は不正が起きないように外部との接触を禁じられる。電話もメールもSNSもだめ。だから、土日は連絡が取れなかったんじゃないかな」

 少女のまだあどけなさを残す口元から、意外過ぎる言葉が飛び出した。

「じゃあ、そこがコウさんの言ってた『外部との通信が出来なくなるところ』?」

 睦実が興奮の面持ちで少女ににじり寄る。

「おそらく」

「でも、彼はイベント会社のスタッフだって言ったんだよ。なんで噓ついたの?」

「あなたが兄のことを泣きながら話したから。『ギャンブル癖と借金が原因で親に勘当された』って聞いたあとだったから、自分がギャンブルに関わる仕事をしていることを、言い辛くなってしまった。それで、とっさに〝競馬の騎手〟を〝イベント会社のスタッフ〟と表現した。競馬もイベントだし、実は大噓を言っていたわけではない、と推測できる」

「……コウさんが、わたしに気をつかって?」

「たぶんね。彼が月曜と火曜日にしかあなたに会わなかったのも、中央競馬の騎手なら説明がつく。騎手は減量する必要があるでしょ。土日のレース前は水分すら取らなくなるらしいから、週の後半にカフェで食事なんてできないはず。彼が『夕飯はビールだけで済ますことがある』って言ってたのも、減量のためなんだと思う。小柄な人みたいだし」

 少女は早口でズバズバ指摘していく。睦実もすっかり彼女のペースに巻き込まれている。

「ってことは、コウさんが北海道に出張しているのも噓じゃないの?」

「おそらく本当。というか、その情報があったから、中央競馬の騎手なんだなって確信した。だって、今は夏競馬の最中だから」

「え? え? 夏競馬ってなに?」

 この世の終わりのような顔をしていた睦実が、どんどん明るくなっていく。

「毎年、夏に開催される競馬のこと。その時期になると、東京とか京都とか、主要競馬場での開催は休みになって、北海道とか九州とか、ローカル競馬場での開催がメインになるの。いつもは東京にいる中央競馬の騎手たちも、『七月から九月の頭くらい』までは、ローカル競馬場で騎乗することが多くなる。彼がずっと北海道にいるのは、はこだてさつぽろか、北海道にある競馬場のレースに出場してるからなんじゃないかな」

「なるほど、夏競馬か。だったら、土日にほかの女性と会えるわけないよね」

 すっかり少女を信じてしまった様子の睦実が、納得したように言った。

 確かに、夏競馬というイベントがあるなんて、私も知らなかったなあ……って、少女の競馬情報に感心している場合ではない!

「あんたなんでそんなに競馬に詳しいのよ?」

「ネットニュースをくまなく見てるから。競馬でもなんでも、自然に知識が増えていく」

 得意ぶるわけでもなく、あくまでも淡々と答える少女。すごすぎてもう声が出ない。

「ちなみに……」

 再び少女が小声を発した。

「彼はB’zのCDを全部持ってるんだよね。好きなアルバムは『ELE《イレ》VEN《ブン》』だって言ってなかった?」

「そう! 『ELEVEN』。一番のお気に入りだって言ってた。なんで分かったのっ?」

 仰天する睦実に向かって、少女が冷静に語り出す。

「B’zが二〇〇〇年に出した『ELEVEN』のCDジャケットには、一九九四年のジャパンカップで優勝した競走馬、〝マーベラスクラウン〟の写真が使われている。競馬好きのあいだでは有名なアルバムらしいから、彼が騎手なら大事にしているような気がしたの」

「ちょっと待って、調べてみる!」

 ひとみを輝かせた睦実が、バッグからスマホを取り出して操作を始める。

「──あっ!」

 彼女は大声で叫び、画面を食い入るように見つめた。

「ある! 中央競馬の騎手リストに、コウさんの名前がある!」

「マジでっ?」

 私も大声で叫んでしまった。

「本当に騎手だったんだ! スゴイ!」

 少女の推理が当たったのだ!

「キャアッ!」

 またもや睦実が叫び、スマホ画面をタップする。指が震えている。

「メ、メッセージ来た」

「彼からのメッセージ?」

 彼女は何度もうなずきながら、感極まった表情でつぶやいた。

「〝約束の温泉、予約しておきました。早く会いたいです〟って……」

「もー、ラブラブじゃん!」

 本来なら「私の占い通りです」とでも告げるべき場面なのに、興奮のあまり素のリアクションしかできない。

「……ギャンブル関係の仕事だっていい。そんなの関係ないもん」

 スマホから私に視線を移した睦実が、

「先生、わたしね、わたし……超うれしい!」と涙ぐみながら飛びついてきた。

「よかったねー。誤解が解けて、本当によかった」

 私もウルッときて彼女の肩を抱きしめた。道端で泣きながらハグし合う女たちに、通行人が好奇の視線を送ってくるけど、そんなの気にしてなんかいられない。

 少女を見ると、少し離れたところでそっぽを向き、サングラスの位置を片手で直している。自分は関係ないから、と言わんばかりの態度だ。

 私の胸でひとしきり感動を味わった睦実が、体を離して深々と頭を下げてきた。

「ありがとうございました。先生に言われた通り、これからは自分の気持ちを信じます。ここで占ってもらってよかった。あなたは先生のアシスタントさん?」

「違う」

 一言だけ発して黙り込む少女。推理したことを語った時はあんなにじようぜつだったのに、自分の話をするのは苦手なようだ。

「そっか。あなたは占い師というより、探偵さんみたいだもんね。とにかくありがとね。先生、いろいろ言っちゃってすみませんでした。また占ってくださいね!」

 会計を済ませて私の名刺を受け取った睦実が、さわやかな笑みとシャンプーの香りを残して去っていった。

 彼女の姿が視界から消えたのを確認して、少女と改めて向き合う。

「今の何? あんた何者? もしかして、『占い館シーラ』のスパイ? わかった、オーナーが寄こしたんだ。独立したからって、ロイヤリティーなんて払わないからね! そもそも、払うほどの売り上げなんてないし……」

 被害妄想気味の私を遮るように、少女が口を開いた。

れい点」

「えっ?」

「リーディングは八十点、その後の説教でマイナス八十点、だから〇点」

 こ、このガキ、上から目線でなにを……。

「相手に意見を押しつけちゃだめ。それが正論でも、弱い人間にはつらくなることがある」

 ……悔しいけど、何も言い返せない。

「休ませてくれてありがとう、占い師さん」

「あっ、ちょっと待って……」

 引き留めようとする私にはお構いなしに、少女はにぎやかさを増した往来に消えていった。

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