第一章 座敷童誘拐事件 ──憧れの作家は人間じゃありませんでした──7

 夏樹は、本村有紀子宅訪問についても、あさひの同行をあっさり許可してくれた。

「だって、男二人で女の人の家を訪ねたりしたら、警戒されちゃうかもしれないからね。あさひちゃんが一緒に来てくれた方が、話聞きやすいんじゃないかなーって」

 いつの間にか呼び方が「瀬名さん」から「あさひちゃん」になっている。が、別に嫌な感じがしないのは、あっけらかんとした夏樹の話し方のせいだろうか。

「俺のことも『夏樹』でいいよー。俺、堅苦しいの苦手なんだよね」

 そう言われても、さすがに呼び捨てはできず、「夏樹さん」で許してもらった。

 そんなわけで、梶原邸を訪れた翌日、あさひは再び御崎禅と共に夏樹の運転する車に乗っていた。座敷童誘拐事件の重要参考人に話を聞くために。

 しかしそれにしても、とあさひは思った。

「それにしても、しきわらしって、本当にいるんですねえ……」

「何ですか瀬名さん、しみじみと」

「いえ、すみません、なんかまだいまひとつ実感がわかなくて……」

「そうですか? あなたの口からそんな言葉が出てくるとは驚きですね」

「そりゃまあ吸血鬼がいるんですから、座敷童がいても別におかしくはないんでしょうけど」

「いえ、そういう意味ではなく」

「じゃあ、どういう意味なんですか?」

 あさひは首をかしげる。御崎禅がそれに対し口を開きかけたところで、夏樹が車を停めて「はーい、到着ー」と声を上げた。目的地に着いたらしい。

 有紀子の家は、古ぼけた二階建てアパートの一階にあった。

 訪問時刻は夜八時過ぎ。夏樹がインターホンを鳴らすと、チェーンロックのされた扉の隙間から、三十代初めとおぼしき女性が顔をのぞかせた。

「すみません、ちょっとお話を聞かせていただいてもいいでしょうか?」

 夏樹がそう言って警察手帳を見せると、女性はさっと顔をこわらせ、一度扉を閉めた。が、すぐにチェーンのはずされる音がして、再び扉が開く。

「あの……どうぞ。お入りください」

 言われて、三人で部屋に上がり込む。

 ちょうど夕飯を食べている最中だったらしい。座卓の上にはカレーライスが載った皿が二つ置かれていた。が、部屋の中を見回す限り、有紀子の他には誰もいない。

 部屋の中はそれなりに片付いている。が、一角だけ、やたらと大きな段ボール箱が積まれている場所があった。見れば、大型テレビだの掃除機だのと表面に書いてある。こぢんまりとしたアパートの様子には妙にそぐわない感じがした。

「あ、今お茶いれますねっ」

 有紀子が慌てた様子でカレー皿を座卓からどけ、キッチンに下げた。あさひ達が座ると、やかんをコンロに載せる。

「いえ、おかまいなく。どうぞ、あなたもこちらにお座りください」

 御崎禅が有紀子の顔を見つめながら柔らかい口調で言うと、有紀子は顔を真っ赤にして、はい、とか、いえ、とか口の中でもごもごと呟きながら、こちらに来た。やはり女性に対するこの御崎禅の美形効果は絶大なものがあるらしい。

 有紀子が座ったところで、夏樹が話を切り出した。

「本村有紀子さん。梶原善藏氏を、ご存じですね?」

「あ。ええ、はい……梶原さんのお宅で、お仕事をさせていただいていますので」

「あなたのお仕事について、伺ってもいいですか?」

 有紀子は少し困ったような顔をした。どう話せばいいのかわからないという感じだ。

 その様子を見て、御崎禅が助け舟を出す。

「座敷童のお世話係があなたの仕事だというのは、梶原氏からすでに聞いています。それについて、もう少し詳しく聞かせていただきたいんです」

「ああ……ご存じなんですね。さんくんのこと」

 有紀子は小さくため息を吐き、そして話し始めた。


 有紀子が梶原の家に雇われたのは、半年前のことだという。それまで勤めていた会社が倒産し、職を探していたところ、知人の紹介で梶原邸での仕事を知ったそうだ。

 家政婦のあつせんの仕事をしているその知人が言うには、仕事の内容は子守みたいなものだという話だった。ただし、仕事をさせてもらえるかどうかは『試験』を受けてから決まるとのことで、資格などは特に要らないという。

「『試験』って何ですか、っていたら、『とにかく、その家の子供と遊んでこい』って言われて……正直、よくわからなかったんですけど、でも仕事が欲しくて。梶原さんのお宅を紹介してもらったんです」

 有紀子が梶原邸を訪れると、応対したのは梶原善藏その人だった。すぐにおもちゃがたくさん置かれた部屋に連れていかれたが、肝心の子供が見当たらなかった。戸惑う有紀子に、梶原は「二時間後に様子を見に来る」と言い置いて、去っていった。

 有紀子が途方に暮れていると、しばらくして、視線を感じた。

 振り返ると、押入れが少し開いていて、その隙間から子供がこっちを覗いていた。

 有紀子が話しかけると、すぐに子供は押入れをぱしんと閉めてしまった。仕方なく押入れに向かって話しかけること五分、再び有紀子が途方に暮れ始めたとき、そーっとまた押入れが開いたのだという。

 わずかな隙間から差し出されたのは子供向けの童話が幾つも載った本で、有紀子はそれを「読んでほしい」と言われているのだと解釈した。有紀子が声に出して本を読むと、時折小さな笑い声が押入れの中から聞こえた。

 そして、梶原に言われた二時間が過ぎ去る直前に、その子供は押入れ越しに、自分の名前が「三太」であることを教えてくれた。

「そのことを梶原さんに伝えたら、『合格だ』って言われて……それ以来、週に四日、三太くんの遊び相手として、通うことになったんです」

 三太は部屋を埋め尽くすゲーム機やおもちゃにはさほど興味を示さず、追いかけっこやかくれんぼなどを好み、有紀子は三太を探して勝手に他の部屋に出入りしては、家政婦や基喜やその妻にたしなめられた。

 そのうちに有紀子は、奇妙なことに気が付いた。

 家政婦も、基喜夫妻も、その子供の明人も、そして善藏でさえ──三太の姿が見えていないかのように振る舞っているのだ。三太が彼らのすぐ傍を駆け抜けても、見向きもしない。三太は彼らにとって、まるで透明人間のような存在だったのだ。

 一度など、基喜の妻のに「あなた、一人で家の中走り回りながらしやべるの、やめてくれない? 気持ち悪いから」と真正面から言われたことがあった。そのとき、有紀子のすぐ隣には三太がいたというのにだ。

「最初は、よく意味がわかりませんでした。あんなにたくさんおもちゃを与えて、遊び相手まで雇って、それなのに三太くん自身のことは無視するなんて……どういうことなんだろうって、不思議でしょうがなくて。でもすぐに、ひどいって思いました。皆して三太くんが存在しないみたいに振る舞って……一種の虐待じゃないかと、思いました」

 美奈子はあまり家にはおらず、たまに帰ってきてもすぐに派手に着飾って出ていくような人だった。明人のことは多少は可愛がっているようだったが、三太には見向きもしないので、もしかしたら三太は美奈子とは血のつながりがないのかと思ったほどだった。

 三太は──無口な子供だった。有紀子と遊んでいるときには声を上げて笑ったりもするが、他の人の前では一切喋らない。彼らに無視されていても泣きもせず、ただ時折、ひどく寂しそうな顔をすることはあった。有紀子は、三太のことが可哀想でたまらなかった。

 そうして、半年が過ぎた頃だった。

 三太は、有紀子が帰ろうとすると、引き止めるようになった。

 だが、梶原は、有紀子が契約時間を過ぎて家にいるのを良しとしなかった。なんとかなだめすかして三太を置いて帰ったが、後ろ髪をひかれる思いだった。

 そして一週間前のこと。

「いつものように梶原さんのお宅から帰って……アパートに着いてふっと振り返ったら、三太くんがいたんです。こっそりついてきちゃってたみたいで」

 慌てて梶原邸まで送り届けたが、翌日にはまたついてきてしまった。再び梶原邸に戻したが、やはり有紀子が家に帰ると、後ろについてきていた。帰るように何度説得しても、どうしても聞いてくれなかった。

 梶原に電話でそのことを伝えると、車に乗って梶原本人がアパートまで来たが、三太はどこかに隠れてしまい、連れ帰ることはできなかった。梶原は激怒したが、肝心の三太がいなければどうしようもない。梶原が帰ると、三太はまたひょっこりと姿を現した。

 以来、三太は有紀子のアパートから離れないのだという。


「私もどうすればいいのか……でもあの家で、三太くんはひどい扱いを受けています。しきわらしだなんて呼ばれてるみたいでしたけど、でも座敷童って、ようかいのことでしょう? そんな呼び方をして、存在を無視して……どんな事情があるのかはわかりませんが、私には、あの家で三太くんが幸せに暮らせるとはとても思えません」

 有紀子はそう言って、少しまなしをきつくした。

「できるものなら、私、三太くんを引き取りたいです。法律的な手続きとかは、これから調べてみるつもりですけど」

 決意のこもった口調だった。

 まるで母親のような顔をしていた。

 ああこれは無理かもしれない、とあさひはその顔を見て思った。有紀子は本気だ。座敷童を梶原邸に連れ戻そうとしても、断固反対してくるだろう。

「それで、三太くんは今、どこに?」

 夏樹が尋ねると、有紀子は首を振り、

「さっきまでそこでカレーを食べてたんですけど、隠れてしまったみたい。誰か来ると、いつもそうなんです。一体どこに隠れてるのか、私にも見つけられなくて」

 すると御崎禅が、すっと視線を部屋の隅に向けた。

 明るいとびいろひとみが、何もないはずのそこをじっと見据える。

「──いますね、そこに」

 御崎禅が言った。

「気配を消すのをやめて姿を見せなさい、ここにいる全員に見えるように。我々は今、あなたの話をしているんですよ」

 御崎禅の瞳が、ほんの一瞬、赤く光った。

 途端、今の今まで何もなかったはずの壁の前に、小さな男の子の姿が出現した。まるで壁からわいて出たかのようだった。

 あさひは思わず息をんだが、それ以上に驚いた様子だったのは有紀子だ。

「えっ? え、三太くん、今どこから出てきたのっ!?」

「彼は先程からずっとそこにいましたよ」

 御崎禅が言う。

「人外の存在は、いわば人間達の認識のはざで生きるもの。存在を悟られぬよう、己の気配を消したり、人間達の認識能力をごまかしたりして、まるで自分がそこにいないかのように思わせることができるんです。まして座敷童は、人間の家にひそかにみつき暮らすものです。普段から、普通の人間には認識できないくらい気配を消して生きている。けれど、それでも時折、彼らの姿が見える人間がいる。本村さん、あなたのようにね。たまたま波長が合うのか、人間にしては勘が鋭いのかはわかりませんが」

「ちょ……ちょっと待ってください、あなた一体何を言っているんですか?」

 有紀子が、御崎禅の言葉を押しとどめようとするかのように片手を上げた。どうやら有紀子は、三太のことを人間だと信じ込んでいたらしい。

 御崎禅はそんな有紀子に向かって、静かに告げた。

「梶原氏はあなたに言ったんでしょう、座敷童の世話役としてあなたを雇う、と。三太くんは人間じゃありませんよ。本当に、座敷童なんです」

「え、だって、そんなの……いるわけない、でしょう?」

 有紀子が御崎禅と三太を見比べて首を振る。が、その口調はどこか自信なげなものに変わりつつあった。

 シャツに半ズボン姿の三太は、表情こそ若干乏しい感じはするものの、見た目は明人と変わらないくらいの年の、普通の子供のように見えた。あさひだって、目の前で三太が姿を現すところを見なければ、人間でないなどとは思わなかっただろう。

「ではお尋ねしますが、近頃妙に幸運に恵まれてはいませんか? 宝くじが当たるとか、抽選が当たるとか、何でもかまいませんが」

 御崎禅が言うと、有紀子はあっという顔で、部屋の一角に積まれた段ボール箱の山を振り返った。はたしてこの部屋に置ききれるのかもわからない、電化製品。

「あの、私、雑誌や新聞に載ってる懸賞に応募するのが趣味でっ……ここ数日、なんだかやたらと当たるようになってしまって……まさかそれって、三太くんが?」

「座敷童がいる家は、富み栄える。座敷童とは、そういう生き物なんですよ」

 そのとき、それまで壁際に突っ立ったまま不動だった三太が、突然動いた。有紀子に駆け寄り、その背中に隠れるようにしがみつく。

 有紀子は一瞬びくりとしたが、すぐに三太をかばうような姿勢になった。

 たとえ三太が人間ではないとわかっても、それでもなお彼女は三太をかばうのだ。

 御崎禅はその様子を見て、やれやれという顔をした。

「たまにいるんですよ。無条件で、人外のものに好かれる人というのが。あなたはそのタイプのようですね。──帰りましょう、夏樹」

「え、でもさ」

 さっさと立ち上がって玄関の方に向かう御崎禅に、夏樹が困った顔で有紀子と三太の方を振り返る。何も解決していないのに帰っていいのか、と。

「すでに三太くんは、ここを自分の家だと認識してしまっています。こうなるともう、梶原邸に戻すのは困難ですよ。梶原氏には、僕から説明しましょう。──本村さん」

 御崎禅はそう言って、有紀子を見た。

「三太くんを引き取りたいというのであれば、養子縁組等の法的な手続きは必要ありません。ただし、異捜に届けを出していただく必要がありますがね。それについては後日あらためて連絡があるでしょう。……けれど、ご用心を。三太くんはあなたよりもはるかに長生きです。そして、三太くんは、あなたの子孫にもくことになる。あなたの家は繁栄するでしょう、でも、幸運と不運は紙一重ですよ」

 御崎禅の言葉に、有紀子はほんのわずかにおびえたような顔をした。

 幸運と不運は紙一重。三太が呼び寄せる幸運は、しかしいつか三太が有紀子のもとを離れれば途端に消えせるのだ。一度得た幸運を手放す不安は、今後常に有紀子に付きまとうことになる。そして、その不安は、有紀子だけではなく、その子孫にまで受け継がれていくのだ。

 それは、ある種の呪いともとれなくはない。

 つまるところ、今の梶原の姿は、未来の有紀子か、あるいは有紀子の子孫のものになるかもしれないのだ。

 有紀子は、自分の背中にしがみついている三太をゆっくりと振り返った。

 三太は有紀子をじっと見つめていた。

 有紀子を見つめる三太の顔は、一見すると無表情にも見える。人間の子供の姿をしているけれど、三太は人間よりもはるかに長い時を生きてきた別種の生き物なのだ。

 けれど、三太の手は、すがるように有紀子の服をつかんでいた。その様は本当に、人間の子供と何も変わらない。

 三太の手は小さく幼く、有紀子以外に頼れる者を持たぬ手だった。

 一人にしないで、置いていかないでと、そう訴えかけている手だった。

 有紀子はもう一度御崎禅に視線を向け、それからぎゅっと三太を腕の中に抱きしめた。三太の頭を優しくなで、頰を寄せる。

 御崎禅は微笑み、三太に向かって言った。

「良い人にめぐり会ったようですね」

 三太は有紀子の腕の中から御崎禅を見上げた。

 そしてほっとしたような顔でかすかに笑い、ばいばい、と小さく手を振った。

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