第2話

ハルが歩道橋の真ん中で止まる。

つられて、私も足を止める。


「ユメちゃんは明日卒業するの?」


私は何も答えない。

車の通らない歩道橋の下では小学生くらいの子供たちが数人でサッカーをしている。

キャアキャアと楽しそうな声だけが聞こえる。


何処にでもあるただの寂れた歩道橋。

何処にでもあるような平和な街並み。

なのにここには大人だけがいない。


「向こうの世界では、選挙権が18歳以上に引き下げられるんだって」

「へぇ。詳しいね」

「友達がよく僕に手紙をくれるんだ」


そうだ。ハルの一人称は“僕”だった。

なんだか不思議な気持ちになる。


「ユメちゃんはね」


ハルがまた歩き出す。

それに合わせて私も一歩踏み出す。


「ユメちゃんはね、卒業するべきだよ」


何それ。なんか、ヤな言い方。

まるで自分はここに残るみたいじゃない。

少しだけムッとして言い返す。


「私だけ、あの世界に戻れって言うの?」


ハルは何も言わない。

先を歩くその背中に私は言葉を投げつける。


「世界は他人で溢れてるの。学校っていう狭苦しい虫かごの中に飼われた私たちはどうなると思う?食い潰されて、終わり。だったらいっそこのまま、親も教師も、大人だけがいないこっちの世界で生きてく方がよっぽど生きやすいじゃない」


ハルの足が止まる。

歩道橋を降り終わった私たちは、数日前に落ちてきた東京タワーの目の前にいる。

その東京タワーに向かってハルが叫ぶ。サッカーをしていた少年たちが振り返る。


「『少年も残酷、少女も残酷です。優しさなどというものは、大人の狡さと一緒にしか育っていかないものです』!!!」


何時か何処かで聞いたセリフ。

ハルはよく本を読んでいた。

教室でも、帰り道に寄ったミスドでも、スタバでも。

きっとその本の一節だろう。

詳しいことはあまりよく思い出せないけれど。


ハルの大きな目が私を捉える。

色素の薄い、透き通った茶色の瞳。


「そうだよ。大人は狡いんだよ。

僕たちが一人で本を読む、一人で音楽を聴く、一人で街を歩く。実際にやってみれば何てことない。全然惨めなことなんかじゃない。なのに、学校にいるとそんな当然のこともわからなくなっちゃうんだ。一人でいることが、まるでとんでもない罪であるかのように感じるようになって、僕たちは皆、それを恐れる。嫌いな人間と友好関係を築かなくちゃいけなくなったり、そいつらの為に共通の敵をでっち上げたりしなくちゃいけない。大人たちは勘違いしている。そういった処世術は僕たちの方が強く要求されているのに、大人たちは、自分の専売特許のようにそれをひけらかす。くだらないよ、ほんと」


ハルが自嘲気味にハハッと笑う。

その横顔が、一瞬なんだかとても大人っぽく見えた。


そして、こっちに来てからずっと私の頭には靄がかかっているように何かがボンヤリと漂ってる。それと引き換えに私は何か大事なことを忘れている気がする。何かとても、大事なことを。


「でも世界ってのは、僕たちが思う程いいもんでも、悪いもんでもないからさ…」


そこでハルがひとつ深呼吸をする。

ハルが食べてるチューイングガムの微かな葡萄の香り。薄紫色の甘い匂い。


「眼って、結局なんなんだと思う?」


ハルがプクーッと膨らませたガムがパチンと弾ける。


「なんだろう……神?」

「ふふ。ゴッド!」

「ゴッド!!!」

「違うよ」

「違うのかよ」


アッハッハと二人で笑う。

特に何にも面白いことなんて無いけど、私たちは笑う。


「…眼はね、見ているの。頑張ってる僕も。頑張ってない僕も」

「監視員なの?」

「違うよ」

「じゃあ何」

「審査員だよ」


そう言ってハルは空を見上げた。


私は止めようとしたけれど、遅かった。ハルの首がスローモーションのように、角度を変えてゆく。

怖くなって私は下を向いて目をきつく瞑った。

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