ⅩⅩⅣ.【第二の謎・解答篇】
場は、水を打ったように静まり返っていた。だが、明らかに皆の態度は変化していた──当惑、高揚、そして疑念。
眞紘は背筋を伸ばし、まずは混乱を表情に浮かべている紅一のほうへ体を向ける。
「紅一は、あの迷路の道順を憶えてるのかい?」
「憶えてるっていうか……」歯切れ悪く、紅一は首をひねる。「マッピングできてるわけじゃないけど、入ったら迷わずには出られるかな。時間はかかるけど」
眞紘は、テーブルの上に置かれていた紙ナプキンを何枚か取って、手元に置く。
「僕が想像してるやり方で、紅一があの迷路を通ってるなら、この説は成立する」
紅一は素直に姿勢を正す。興味津々、という態度を隠さない夢吾や寧々は、反対に少し身を乗り出した。茉莉、仁、沙羅は姿勢を変えず──だが、視線は確実に眞紘に集まっていた。
「はじめに、僕たちがファミリィのところへ案内された日…つまり、昨日のことなんだけど。
案内してくれた菫之助が、あの迷路を通る時、こう……迷路の壁となっている生垣に、ずっと触りながら歩いていたんだ。迷いなく歩いてたから,道を憶えているのかと最初は思ったけれど、たぶん違う。
迷路には、片手を壁につけて、離さずに歩くっていう解読法があるんだ」
「左手法、ってやつだな」
夢吾が、左手を顔の前に翳した。眞紘は頷く。
「そう。彼はたぶん、いつも左手…右手かもしれないけど、とにかく、どちらかの壁──あの迷路の場合は生垣だけど──に手をついて進むことで、道順を憶えていなくても必ず迷路から出られるんだ」
「それって、絶対どんな迷路でも解けるものなの?」
寧々が興味津々で訊いてくるので、眞紘は紙ナプキンにペンを走らせた。
「場合による。例えば、ええと……」少しペン先を迷わせてから、ぱっと四角い図形を描き、線を足していく。
「こういう迷路なら、ほぼ全ての道を通りながら確実に出られる。最短ではなくなるけど」
【図1】
https://kakuyomu.jp/users/bookmark0710/news/16818093088129795639
ボールペンの赤で、入り口の左側の壁からスタートして、線をなぞる。ほどなくして、迷路は解かれた。
【図2】
https://kakuyomu.jp/users/bookmark0710/news/16818093088129834013
「えーっ、無敵じゃん」
「壁が全部繋がっている迷路ならね。でも、こういう迷路なら──」
【図3】
https://kakuyomu.jp/users/bookmark0710/news/16818093088129856675
「この中央にある四角形の部分には、一度も入ることはない」
独立した壁で構成された中央部を囲い、宣言する。
【図4】
https://kakuyomu.jp/users/bookmark0710/news/16818093088129881186
「でもこれ、この四角形には入らなくても、迷路からは出られるってことだよな」
夢吾の指がトントン、と紙を叩いた。彼の青い眼と視線があう。悪戯っぽい表情に、彼は次に眞紘がなにを言いたいのかわかっていることを悟る。
「夢吾の言うとおり、目的が迷路から出るだけならね」
えっ、と、誰かの声が小さく漏れた。
「あの迷路に、この図で言う四角形の部分が存在するとして、そこに外部への出入り口があったら?」
「出入り口?」
「出入り口、ねえ」
紅一は頓狂な声をあげて、仁は鼻で笑う。
「ミステリのトリックだとしたら最低だな。『密室だと思ったら実は隠し扉がありました』だって?」
「うん。これがミステリなら、読者に提示されていない事実の後出しはタブーだけれど、僕はなんとなくヒントは示されていたと思う」
全員が沈黙していた。眞紘の言葉の続きを待っている。唾を飲み込み、眞紘は努めて冷静に、余裕を持って皆の顔を見渡した。
「外部への出入り口というと大げさかもしれない。要は、しばらくの間身を隠していられる場所があればいいんだ。
サルヴァトーレが、野外劇場にも、中庭にもいないとわかれば、みんな動揺してその場を離れ、彼を探し始める。実際そうだったんだろう? 必ず誰かが迷路の出入り口を見張り続けているなんて、事件が起こるとわかっていなければ不可能だ。隠れていて、タイミングを見計らって、こっそり出ればいい」
「まあ、あの状況ならな」
夢吾は腕を組んで宙を睨む。当時を思い返しているらしい。眞紘は続けた。
「この大きさの生垣を管理するのに、内側にも水道設備や、園芸用品をしまう場所があった方がいいんじゃないかと思うんだ。いちいち、ホースや必要な道具を持って、入り口から迷路を通って水を撒いたり手入れをするより、効率がいいと思う」
「確かに」寧々が大きく頷く。「アタシが水やり係だったら、迷路の真ん中に、ジョウロを持ってわざわざ入るなんてめんどくさくってやってられない」
「僕もそう思う。──サルヴァトーレは、夢吾と茉莉と紅一の目の前で、迷路に入る。彼は迷路の構造を知っており、内部に存在する『どことも壁が繋がっていない空間』の内部に身を隠す。しばらくして、紅一が反対側に走っていき、ずっと出口側にいた沙羅に、サルヴァトーレが出てきていないことを確認する──その段階で、彼はまだ内部にいる。紅一は、出口側から、壁に左手をつきながら迷路に入って、通過した道に彼がいないことを確認した──あってる?」
「うん」緊張した面持ちで、紅一はこくんと頷いた。
「同じくらいに、こちら側からは夢吾が入る、同じやり方で。紅一と途中で出会い、お互いにサルヴァトーレを目撃していないことを確認する。そのあと、二人はそれぞれの出口からでたの?」
「俺はそのまま出口に向かったし、紅一は入り口に行ったよ」夢吾が返事をした。
「二人が迷路から出たタイミングにどのくらいズレがあったかはわからないけど、どちらかが出てすぐに先生を呼びに行ったわけじゃないよね? 友達が迷路から出てこないのはおかしいけど、そんなにすぐに事件だと騒ぐほどのことでもない。あたりを探してる間に、サルヴァトーレがうまく脱出するくらいの時間はあったんじゃないかな」自信はないけど、と声が小さくなってしまった。
黙って聞いていた仁が勢いよく舌打ちした。眞紘はびくっと体を跳ねさせてしまったが、茉莉が無言で彼の肩をはたき、反対側の肩を夢吾もばしばしと叩いた。
「正解! っていうのも変かな、真相はわかんないんだから。でも、話を聞いた仁もおんなじ結論を出したんだぜ」
「俺の方が速かった」
ぼそりと呟いた仁に、夢吾が笑い崩れる。
「実際、あそこの迷路の中央には給水塔があるんだ。真ん中に近くなるにつれて、生垣の丈が高くなってるだろ? 給水塔は近年建てられたものだから、この学園の景観にそぐわないって理由で隠されてるらしい。あの生垣全体に水を撒けるようになってるんだ」
「詳しいわね。さては探った?」
「仁が確かめてみろって強情だから。二月の休み中に、三日間かけて探索したよ。実は地図も作った」
「それ、俺も誘ってよ!」紅一が悲鳴のような情けない声を出した。「全く知らなかったんだけど」
「お前、帰省してたじゃん」
「アタシいたんだけど!」
「お前、誘ったじゃん。迷路めんどくさいから嫌って断られたよ」
「憶えてないー!」
駄々っ子のように寧々が騒ぐのを横目に、紅一はぐったりと落ち込んでいる。「なんだー、俺、実はずーっと考えてたんだよ。神隠しとか……」
「そんなわけはないだろ」
仁に冷たく言われ、さらに紅一の肩が落ちる。
「千紘はなにかある?」
角砂糖を紅茶に落とそうとしていた千紘に声をかけると、彼女は顔をあげ、少し考えてから微笑んだ。
「もうひとつ、とてもつまらないアイデアでよろしければ」
また、皆が黙り込み──場の空気が変わる。今度はなんだと、お互いに目線を交わしながら、千紘の次の言葉を待った。
「劇場側にいたという、沙羅が嘘をついていたなら、話は変わってきますわね」
突然名前を挙げられた沙羅は顔をあげ、困ったように視線を彷徨わせた。なにか言いたいらしいが、咄嗟に日本語が出てこないらしい。「私は、…」と、口元に手をやって考え込んでいる。
「そいつはそれこそ、最低のシナリオだな。証拠として示されている証言がそもそも信頼できないんじゃあ、謎解きゲームが成立しないぜ」
夢吾が勢いよく笑い飛ばして、人差し指を立てた。「ごめんな、後出しだ。実のところ、そのとき劇場にいたのは沙羅だけじゃない。ナージャたちの演劇サークルが、リハーサルをしていたんだ──」
「あなた、本当に趣味悪いわね」
茉莉が低い声で夢吾に言い放つ。「なんでナージャたちのことを黙っているのかしらと思ったけど──」
「ごめん、ミステリのセオリーでいうならさ、ここはやっぱりこの場にいる“登場人物”だけで話を構成した方がいいかなって」
沙羅が軽くため息をついて、不満を表した。夢吾は手を合わせて、彼女に謝罪のジェスチャをする。
「けれど、だったら、やはり機を見てこっそり出てくる…っていうのは──少なくとも劇場側からは難しくなるのかな」
眞紘が己の仮説について再考の余地を示すと、夢吾がひらひらと手を振って遮った。
「──結局のところ、理由はわからないけど、たぶん別れの挨拶をするのが気まずかったとかいうくらいの理由じゃないかな。サルヴァトーレはそういうの、得意じゃなかったし。最悪、出てくる時に誰かとかちあってしまったとしても、罪を犯して隠れてたわけじゃないんだから、見つかっちゃったで済む話だったんだろうよ」
そう言われれば、確かにそんな気もする。眞紘は、会ったこともない少年が、悪戯心で緑の壁の中に隠された扉を開き、入っていく姿を思い描いた。その背中は無防備で身軽だ。
仁がまた、彼の癖らしい冷笑を浮かべて「あいつのことだ」と肩をすくめる。「計画がうまいこといって、お前たちがこうして年度が変わってもあーだこーだ言いあってるのを想像して笑ってるかもな」
「彼、あなたと同じくらい性格ひねくれてたものね」
茉莉に言われ、仁はまた、いつもの仏頂面になった。夢吾は懐かしむように腕を組んだ。
「ひねくれものだったけど、本当に、あいつは悪い奴じゃなかったよ。ま、よくメシくすねたりしてたけど……」
食堂での夢吾の様子が、眞紘の脳裏にぱっと甦った。あの時、硬直したのはサルヴァトーレのことを思い出していたからだろうか。しかし、それにしては態度がおかしかったような気が──引っかかった部分を手繰り寄せるより先に、会話は続いていく。
「俺たちは確かに誰もサルヴァトーレがここを辞めるだとか聞いたことはなかったけど、沙羅は少しだけ察してたらしいんだよな。ほら、あの……」
「母語が同じなものだから」具体的な出自に関する話題を、茉莉は避けた。「サルヴァトーレの方がここへ来て長かったから、彼女がときどきわからない言葉を訊ねてたのを見ていたわ。私たちより、故郷や、家に関する話はしやすかったのかもしれないわね」
眞紘は、俯いて立っている沙羅を見た。明るい色の髪と大柄な骨格は、異国の雰囲気が色濃いこの学園の中でもやはり少し異質に思える。他のメンバーの預かり知らないところで、きっと何かを感じていたのだろう。
それにしても、と眞紘はちらりと、千紘を見た。
花のようにたおやかそうに見えて、触れようとした瞬間、その棘の鋭さに鳥肌が立つような少女だ。しかも、その棘は──年頃の悪意ですらない。そうあるように自然に、薔薇がただそうであるように、彼女は存在している場所に波紋を起こす。
彼女は本当に、沙羅を疑っていたからああ言ったのだろうか? それとも──
答えは出ないまま、三月の風が溶けこんだ紅茶の表面のさざなみは、いつまでもやまなかった。
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