ⅩⅩⅢ.【三月兎のお茶会】

 三月とはいっても、内地のそれとは気温からして違う。野外でお茶会をするのに、コートを着込み、毛布を抱えていくことを検討するくらいだった。

 場所は当然、中庭だ。

 先客は二、三人いたのだが、“勿忘草”のファミリィがぽつぽつと集まるころになると、いなくなってしまった。最後にやってきた沙羅が、小さな声で「ジナイーダの部屋に声をかけに行ったけど──いなかった」と茉莉に伝えているのを聞いて、眞紘はまたか、と落胆した反面、どうしてかどこかでほっとしてもいた。

「──めずらしいじゃないの、夢吾。あなたから定例会を開こうと言い出すなんて」

 魔法壜の紅茶とコーヒーをテーブルに並べながら、茉莉は夢吾にそう言った。

「いや、さ。眞紘が気になることがあるっていうもんだから」

 俺たちのファミリィにまつわる事件について──と、夢吾が意味深長に笑いかけてくる。

「あら。なにかありましたの、眞紘」

 千紘が興味津々、といった様子で眞紘と距離を詰めてきたので、弁解する。

「いや。別に事件とか、そういうのではないけど……他の生徒から、気になる噂を聞いて、夢吾に質問したんだ。そしたら、改めて説明してあげるって言うものだから」

「そうそう。俺としては、単なる立ち話で終わらせるにはちょっとね、って出来事だから、さ──」

 不意に、夢吾をじっと見ていた紅一が口を開く。

「サルヴァトーレのこと?」

 空気の色が変わった気がした。

 全員が、まるで口にしてはならない名前を口にしたかのように紅一を見ている。当の本人はその視線の色に気づく様子もなく、「──話してなかったの、」と、寧々に訊ねた。

「ウン。タイミングがなかったし、ね」

 寧々は、赤い巻き毛を指先でくるくるといじりながら返す。今日の彼女は白いリボンのカチューシャをしていた──当然、スカートで。白い太腿を寒そうにこすり合わせている。

 夢吾が、ぱん、と軽く手を叩く。マジックショーの始まりのようだった。

「──事件はこの中庭で起きた」

 一月の終わりごろだったんだけど、と、大仰にでもなく、淡々とした口調で彼は話し続けた。

「サルヴァトーレっつーのは、まあ俺たちより下の学年だったけど、態度はデカくて、ほぼ同学年の友達みたいな感じで、よぅく一緒にいた。仲良い奴らはトトーって呼んでたけど、混乱するから今はサルヴァトーレで統一するよ。ま、名前から分かるとおり、海の向こうから来たもんで、例によってこの余りもののファミリィに入れられたのさ──ここに来るまでにも色んな国を転々としていて、ワケありだって噂が特に根強かった」

 ふうん、と眞紘と千紘は同時に相槌をうち、目を見合わせた。

「──どんな雰囲気の方でしたの?」

 二人の疑問を代表して、千紘が質問する。

「なんていうんだろう? 恰好いい奴だったけど──アウトローな感じがした。『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンみたいなさ」

 美男の代名詞である俳優に喩えられるとは、なかなかである。千紘が「それはお会いしてみたかったわ」と頰に手を当てた。眞紘も、写真か、肖像画でもあるのなら見てみたかった。

「そんなサルヴァトーレが、一月の終わり、なんでもない日のこの中庭で──消えたんだ。あの迷路の中でね」

 人差し指で、緑の迷宮を指す──灰水色の空を背負った、茨に取り囲まれし深い緑の立体物。それは植物のふりをした奇怪な生命体のように、独特の圧を放っている。

「この迷路の手前には、俺と茉莉、それから紅一がいた」

 ちょうどこんなふうに──と、夢吾は名前を挙げたメンバーを順に指し示していく。

「定例会の日だったんだ」

「寒かったわね、やたらと」

 そう言う茉莉は今日も寒そうだ──マフラーもコートもない白い頸が寒寒として見える。

「そして、この迷路を抜けた先──野外劇場があるだろ? そこには、沙羅がいた。寧々は補習で休み」

「ちょっとー、言わなくたっていいじゃん」

 寧々がふくれる。

「俺たちはスノードロップを探してたんだ。ロマンチックだろ? まあ、本当は通りすがった先生に、暇なら聖燭節シャンドルールの飾りに使うから摘んでこいって、頼まれたからなんだけどね」

「あれ、見るからに暇そうにしてたあなたのせいよね。よく考えなくても」

「俺じゃないよ、サルヴァトーレの方が暇そうにしてただろ」

 じゃれ合うような茉莉と夢吾の口論を、仁の咳払いが制す。夢吾は改めて話し出した。

「ま、そういうわけで、俺たちは雪をかき分けて、枯れた芝生や茨の茂みにスノードロップが咲いていないか、ロシアの童話よろしく探していたわけだ。

 ──そうしたら、サルヴァトーレが立ち上がって、迷路を指さしてこう言った。

『俺が花なら、空がよく見えるところに咲くね』って」

 どきりとした。崖に面した野外劇場からは、湿原と空が触れあう地平線が見える──あの開放感は、同時に不安定さでもある、と眞紘は思っていた。

「そして、サルヴァトーレは、迷路に一人で入っていった。迷うような奴じゃないから、俺たちは気にも留めなかったけど、でも、入っていったところはみんな見てる。

 それから、三十分くらい経ったかな。日も落ちてきたし、そろそろ戻ろうという話になって、紅一が迷路の向こう、野外劇場の側にいるはずの沙羅とサルヴァトーレを呼びに行こうと、この迷路へ入った。

 茉莉と俺はこちら側で待っていたけど、誰も出てはこなかったし、迷路の外側──あの、茨の隙間──を通ってきた奴もいなかった。

 しばらくしたら、迷路を抜けた紅一が大きな声で、向こう側から叫ぶのが聞こえた。──『サルヴァトーレ、来てないって』。

 俺と茉莉は顔を見合わせたね。この迷路に入って、野外劇場でない別のところへ行くわけない。こちらの中庭側へ戻ってきたわけでもない──まさか迷路のなかに? でも、紅一が今、迷路を通ったはずだ。死角に隠れたりしていたのか? なんのために?

 いろいろ考えたが、その時はサルヴァトーレがまた変なことをやりだしたな、くらいにしか俺は思ってなかったな。探そうか、って話になって、紅一に大きな声でこう伝えた──『そっちから、迷路の中を通って戻ってきてくれ』って。

 それで、紅一は向こうの野外劇場側から、俺はこちらの中庭側から迷路に入って、中で出会った。それから、そのまま進んで迷路を出た──サルヴァトーレはどこにもいなかった。迷路の中で、煙のように消えてしまった」

 勿論、周囲を探したし、先生も呼んだ──だけど、どこにもいなかったし、その晩、寮にも戻らなかった、と夢吾は低く、囁くような声で言った。

「それきり、誰もサルヴァトーレには会っていない」

 思わず、眞紘は息を飲んだ。

 語り終わった夢吾は、少し冷めた紅茶をひと息に飲み干すと、にこにことしたいつもの表情に戻って眞紘たちにウインクした。

「まあ、ちょっと怖い話し方をしたけど、ただのちょっと奇妙な思い出話だよ。この学園にまつわる『不思議』って感じ?」

「──実際、三日くらい経ったら報せがきたわ。『身内に不幸があって、急遽帰国しなくてはならなくなった』って。もともと国に戻る予定があったのかは知らないけど、年度末に転校する生徒が多いのも確かだから」

 茉莉がいつも通りの淡々とした口調で補足したことにより、少し緊張していた場の空気がやわらぐ。

 千紘が、少し考えるそぶりを見せてから、夢吾に問いかける。

「サルヴァトーレという方が、その日、迷路に入ったのは確実なんですのよね?」

「そうだな。けっこう複雑だぜ、中は。さっきはああいったけど、隠れられる死角もまあ、無いことはないな」俺たちはちゃんと行き止まりデッドエンドも探したけど、と夢吾はそびえる常緑樹の壁に視線をやる。

 寧々は両手で頬杖をついてふくれっ面を挟む。

「アタシ、あそこ未だによくわかんないんだよね。入るとクラクラしてきちゃう。なんであんなところを通らないと、野外劇場に行けないようにしたんだろ?」

 眞紘は、しばらく──紅茶が冷めるほどの間──腕を組んで黙って考え込んでいたが、やがて顔をあげた。

「ひとつ、仮説は思いついたけど……」

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