ⅩⅢ.【ワンダーランド】

 思わず息をのむ。紅一も面喰らったようで、二人の顔を交互に見て「え、ええと」と、他のメンバーの方を振り返った。紅茶を注いだり、お菓子を食べていた茉莉と夢吾は苦笑いして口を開く。

「そんなことを言う人もあるわね。ここにいると暇過ぎて、噂話も立派な娯楽になるから」

「正確には──『呪われている。だから、この三月の王国に破滅をもたらす』だな」

「破滅?」

 ぎょっとして、声が大きくなってしまった。おとぎ話の予言のような、大それた言葉だ。こんなに大きな丘が、綿密に構築された学園が破滅するとは、どういうことなのだろう。

「この学園に入って、最初に聞かされる噂話さ」夢吾は眉を片方だけあげて、肩をすくめた。

「この学園の“七不思議”ってところかな」

「せっかくなんだし、マヒロとチヒロにも教えてあげようよ」寧々が両手を広げる。「この学園にやってきた“洗礼”としてさ」

「洗礼、か……」

 たかが噂話なのに、と思う気持ちと、あまりにも異質な、幻想そのものに入り込んだようなこの丘の空気に、どんな不思議もあり得るかもしれないと思う気持ちが混じりあった。それに、自分たちが『破滅をもたらす者』として注目されて、何やら、「それなら、どんな破滅が予言されているのか知りたい」と、ある種挑むような気持ちも生まれていた。

 夢吾が、どうする、という顔で茉莉に視線をやるが、彼女は澄ました顔で黙って紅茶を飲んでいる。息を吐いて、夢吾が話しだした。

「七不思議とはいっても、七つもないよ。いや、他愛もないものを集めたら、逆に七つどころじゃないんだけど……でも、誰もが知っている有名なものは三つ」夢吾は三本指を立てた。「さらに、すべて実話」

 いつの間にか、ファミリィの全員が黙って、夢吾の言葉を待っている。、ごく、と唾を飲む音が聞こえるような気がした。今、自分が踏みしめているこの丘で、いったい何が起こったのだろうか。湿原を渡ってきた冷たい風が、頬を撫でた。

「まずひとつ──百年前、ここは修道院だった。遡れば二、三百年前にはもう開かれていたらしいけど、詳細は不明。宗派も詳しくは不明。ただ、内地から逃げてきた犯罪者とか、当時は差別されていた病人だとかが、流れ着いて暮らしているところで、救貧院的な役割を担っていたとも伝えられる。

 その当時から、この丘にはときどき“鬼火”が出ると言われていたんだ」

「鬼火……」

「そう。セント・エルモの火とか、落雷とか、そういう自然発火現象なんだと思うけど、ときどきこの丘は燃え上がる。夜通し、麓の街を照らすほどの大火に育つこともあったそうだ。しかもその火は、」

 すべて青かったという、と、夢吾は巧みに声をひそめて囁いた。雰囲気づくりは充分だ。

「戦時中に野戦病院として使われていた過去があるとか、違法な生体実験を行っていたとか、いろんな噂があるけど、戦時中以前の記録はすべて、一九四五年の二月に焼失してしまった。それが、二十世紀に入って初めての大火事で、それを起こしたのは、二月に雇われたばかりの、まだ十九歳の使用人だったらしい」

「その人は……どうなったんだ」

 夢吾が話すのを止めたため、眞紘はつい訊いてしまった。彼の話術に引き込まれている、と感じる。にやり、と夢吾は笑い、瞳孔が際立つ眼で眞紘を見つめ返した。

「それきり、行方不明。他にも何人か、いなくなったらしいよ。他にここにいた人たちの焼死体はほとんど見つかったらしいから、骨も残さず焼けてしまっただけなのかもしれないけど」

 きゃっ、と寧々が声をあげたが、悲鳴というよりは、刺激的な話に対する興味津々のリアクション、といった感じだった。

「まあ、そんなわけで過去ごと燃えてしまったけれど、少なくとも病院として使われていた過去があるのは確からしいよ」

 今も探せば、それらしい施設の名残があったりするんじゃないかな、と夢吾は話を結び、紅茶を一口飲んだ。

「ねえねえ、その噂に関してだけどさー、第二理科室って、もともと病院時代の解剖室だったらしいよ」

「うわーっ、知りたくなかった」

 寧々が楽しそうにテーブルに身を乗り出して言うと、紅一が反比例してのけぞった。

 けたけたと寧々が笑う。「で、隣の理科準備室は、解剖した屍体の標本室」

 紅一が頭を抱えた。「俺、あそこに鉱石標本借りにときどき行くのに!」

「今屍体がなきゃ別にいいだろ」仁が、紅一を一瞥して冷たく言い放つ。「この世に生物の死骸が一度も存在したことがない場所なんてないんだし」

「そういう話じゃない!」

 仁は無視して、ずっと手に持って見つめていた紙コップからやっと紅茶を一口飲んだ。猫舌なのだろうか。眞紘も、話に聞き入ってしまい、存在を忘れていた紙コップから冷めた紅茶を飲んだ。

 茉莉が退屈そうに頬杖をつき、夢吾に促す。

「次のやつ、話しなさいよ。どうせ、二十年ちょっと前のあれでしょ」

「え、話し手、俺続投?」

「最初に三つとか言ったのあなたじゃないのよ」

 仕方ないなー、と夢吾が姿勢を正すと、自然と皆が黙り込む。次の話が始まった。

「二十五年前の火事は、一人の少年が発端だ。

 彼はここに来たときから精神が不安定で──というのも、彼は幼い頃から、頭のおかしな母親のせいで、女装して女の子として扱われてきていた──思春期を迎えて、身体が変化していくにつれて、陽が落ちていくように狂っていってしまったようでね」

 夢吾は、ジャムを掬った匙を掲げ、ぽとり、ぽとり、とその赤を魔法瓶のなかに落としていった。

「彼は時おり女装して、自分自身の双子の妹を名のるようになった。でも、気味が悪いほど似合っていたって。実は本当に女の子だったんじゃないかっていうくらい──これは本当の話なんだ。なんせ、あの校長と同級生だったんだからな」

 口を押さえてしまった。異性そのものになりきれるほどの演技力。校長のことを思い出さずにはいられなかったが、まさか直接の知り合いだとは。

「ここへやってきてちょうど一年経った二月の終わり、とうとう、陽が沈みきってしまった。彼は突然、自分の“妹”のドレスに、礼拝堂の蝋燭で火をつけて、それから薔薇園や、あの迷路や、庭園中に火を放ちながら、この丘を降りた。そして、最期は燃え上がる白いドレスとワルツを踊りながら、まるで童話の『赤い靴』みたいに、湿原の上をくるりくるりと回って踊って……」ゆっくりと顔の高さまで持ち上げた手を、すとんと下に落とす。「──沈んだ!」

「そんな──かんたんに沈んでしまうのかい」

「湿原には幾つも“眼”があってね」紅一が軽く肩を抱きながら、声をひそめて付け加える。「底なし沼みたいに、突然、人の背丈より深くなる場所があるんだ。見た目じゃわからないんだよ。周りは泥だから、一度足を取られたら、掴まるものもない。ずるずる、沈んでいくだけ……」ぶるっと震えて、首を縮めた。「想像するだけで俺、だめだな。絶対、湿原の上を直に歩いたりなんかしないよ」

「湿原には大抵、歩道として、板が張ってあるよ。その上を歩けばいいんじゃないかな、尾瀬なんかはそうだろう」

「でも、足を滑らせて横向きに転んだりしたら? 雨上がりとか、よく滑るし──」

「やかましい、杞憂で話を脱線させるな」

 仁に手厳しく言われ、紅一は眉を下げる。尾瀬の話を持ち出した眞紘もなんとなく、肩を縮めてしまった。反対に、千紘はなぜか嬉しそうに仁に話しかける。

「わたくし、湿原を歩いてみたいですわ。ご一緒してくださらない、仁」

「は? なんで俺が──」

「あの湿原を、怖れていないようだから」

 千紘はまっすぐに仁の眼を見つめていた。その眼差しに気圧されるように、仁は黙り込んでしまった。

「──誰が行くかよ、面倒くさい」

 やっと憎まれ口を絞り出し、そっぽを向く。

「残念。凍りついた屍の上を歩ける方とご一緒したかったのに」

 ねえ、眞紘。

 千紘はゆっくりと首をめぐらせ、アーモンド型の眼で笑いかけた。

 どうしてだろう。この瞳に見つめられると、鏡のような気分になる。自分が鏡を見ているのではなく、自分自身が、彼女の鏡像のような──

「ねえ、次は? ユーゴ」

 寧々が、場違いなほど明るい声を上げた。本当に次の話が楽しみで仕方ない、寝物語に夢中の子どもめいた声で、テーブルを軽く手で叩いた。「ボク、あの話が一番好きなんだ」

 夢吾は咳払いをして、「じゃあ、三つめの話をしようかな」と、口角を少し無理して持ち上げた。

「七年前。俺たちが入学する前の年だな」夢吾が指を折る。「その年、最終学年になる双子がいたんだ」

 双子、の響きに、頸筋がぞわりとした。

「二人ともバレエの才能がある生徒だったらしいが、特に兄の方が“天才”だったらしい。だけど変わり者で、誰とも馴染もうとしなかった。反対に弟のほうは、才能は兄に劣っていたけど、人気者だった。

 彼らは最初こそ、二月の終わりにやってきたけど、数年間は特に何事もなく過ごしていたから、誰も彼らが事件を起こすなんて思ってなかった。

 そして、最終学年にあがろうっていう二月の終わりに──兄のほうが塔から落ちて死んだ。理由は不明、自殺なのか事故なのか、はたまた他殺か。とにかく、調査が行われるべく、そのとき兄と一緒にいた弟は隔離された。

 しかし、弟は部屋を脱走し、兄の屍体が置かれていた部屋から屍体を盗みだした。そのあと、塔の上で火をつけて──湿原に、投身自殺したんだ」

 あの鐘楼が燃え上がった、と、長い腕がゆらりと、遠くに見える尖塔を指差す。あそこから鐘の音が響いているのか、と眞紘は黒い屋根を見つめた。薔薇の棘のように鋭いそのシルエットを見ているうちに、頸筋のあたりが強張ってくる。怖い、あの形が。あの高さが──雷雨、塔、墜ちていく鳥──

「正確には、行方不明──というか、御多分に洩れず、」足元を指差す。揺らぐ影が、泥濘みの波紋に見えた。「……死体はあがらなかった」

「二人ともね」

 茉莉が手を伸ばし、フォークをビスケットに突き立てた。赤いジャムが塗られたビスケットが、二つに割れる。

「それ以来、舞踏室の姿見には双子の幽霊がうつると言われているの。彼らはいつも、そこでバレエの練習をしていたから──」

 茉莉の声の余韻が消え、あたりは静まり返った。

 眞紘と千紘は、顔を見合わせた。三つの話──二月の転入生が、この丘に青い火をもたらす──まるで現実感がないが、実際に起こった話なのだ。気づけば、口のなかが乾いていた。

「……本当に、二月に色々なことが起きているんだ」

 眞紘が呟くと、皆がお互いの顔を見て、少し気まずそうに頷く。その反応を見て、恐らく彼らもこの噂を、単なる偶然だとは思っていないのだと勘づいた。彼らもまた、不安より好奇心が勝ちながらも、眞紘と千紘を疑っている。もしかしたら、また何か起きるのではないか、と。

 ──あるいは、話されていないだけで、既に心当たりがあるのか。

 なんとなく話に区切りはついたが、この後に続く話題がなかなか出ない。ぽつ、ぽつと誰かが当たり障りのない話をするが、すぐに会話が途切れてしまう。

「せっかくだから、レクリエーションでもするか」

 ボードゲームくらいなら用意があるけど、と夢吾が腰をあげかけたところで、出し抜けに寧々の明るい声が響いた。

「ボク、降霊会がしたいな」

 全員が、寧々の方を向いた。猫の目のような緑の瞳で、彼女は笑顔だった。

「おいおい、こんな寒い時期にかよ」

「悪くないわね。ついでに百物語といきましょうか」

「こんな明るい時間に、蝋燭立てて?」

「夜ならいいんじゃない」

 口々に感想をもらしたが、誰も本気とはとっていないようだった。寧々が声を大きくする。

「ボク、本気だよ。実は、やり方も調べてあるんだ」

 えーっ、と、戸惑いの声が上がった。

「なんでせっかくの歓迎会なのに、そんな恐ろしいことするんだよ?」

 率直に当惑した様子の紅一を懐柔しようと、寧々は椅子から飛び降り、紅一にまとわりつく。「だって、楽しいじゃん、オカルトって? 紅一だって、エドガー・アラン・ポーとか好きでしょ」

「小説と実際は別だろっ」

 重ねて、心底理解できないという苛立ちまじりの仁の声が投げられる。

「馬鹿げてるな。なにが降霊会だよ」

「シノブのそういう顔好きだな、構われたくないけどもみくちゃにされてる猫って感じで」

 仁の眉間の皺が深くなり、声音が尖った。

「だいたい、何を呼び出すんだよ。燃えるローブを着た三百年前の修道士か? 舞踏室の姿見にうつる双子の幽霊か?」

「なんでもさ。こんな陰気なところでやれば、は来るでしょ」

「おい、一番危ないだろ、そういうのが」

 夢吾がしかめ面をしたが、寧々は意に介さない様子で「今晩の八時。消灯前の自由時間に、談話室の前集合にしようよ」と、両手の指を八本立てる。

「呼び出して、どうするのかしら。ファミリィの人数合わせにでも?」

「んー、まず、マヒロとチヒロのことを訊くでしょ。そのあとは、みんなの好きな人とか、いろいろ占ってもらう!」

 茉莉の切れ味のいい皮肉も効果なしの寧々に、茉莉は肩をすくめた。夢吾が笑いながら、眞紘たちのほうに向き直る。

「コックリさんとか、キューピッドさんって感じだな。こういう遊び知ってる? まひちひコンビは」

「ちょっと、変なあだ名をつけないでよ」

 あなたのセンス本当に微妙なんだから、と茉莉は苦言を呈するが、夢吾はへらっと笑い「二人がいいなら、俺は降霊会でもいいと思うぜ」と言った。

 眞紘は少し迷ったが、嘘はつかないことにした。

「僕は……正直、興味はある。不謹慎だけれど」

「わたくしも、面白そうだと思いますわ」

 千紘のやわらかい声音での同意に、寧々の「やったーっ」という歓声と、紅一の「俺、行かなくちゃだめ!?」という情けない声が重なる。

「ダメだよ、コーイチ。先輩なんでしょ。威厳みせなよ」

「もうこの時点で威厳もクソもないだろ」

「仁、助けて」

「俺も行きたくねえよ」素っ気なく断った、と思いきや、仁はにやりと笑う。

「と、思ったが、お前のその泣きっ面を拝むために、行ってやってもいいな」

 悪魔だー、と寧々が囃し立て、紅一は、沙羅や茉莉に縋ったが、二人とも首を振って彼の希望を断っていた。ゆうごー、と最後に、哀れっぽい様子で近づいてきた彼に、夢吾は笑顔を浮かべ、肩を叩いた。

「先輩として、うちのファミリィのお子さまル・べべに、付き合ってやろうぜ」

 とうとう、紅一は頭を抱えてしまった。悪い気がして、眞紘は何か言おうとしたが、その前に寧々が、灰色の空によく通る声をあげる。

「それじゃあ、決まり。幽霊さん、今晩はボクたち勿忘草のファミリィの降霊会の夜をお楽しみに!」

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