ⅩⅨ.【降霊会の謎】
《異化》の練習風景は面白かった。
クラブ活動としての正式な(ナージャに言わせれば「お悧巧さん」な)演劇部もあるらしいが、ここにいるメンバーは全員、そちらには所属していないらしい。思いつきをなんでも実行し、未経験でも飛び込める、だから「実験室」なのだという。
「ね、ステキでしょ?」
寧々が自信ありげに訊ねてきたので、眞紘と千紘は揃って頷いた。
各自が即興で指示された感情や行動を演じる場面もあったし、集まって基礎的な練習を行う場面もあった。特筆すべきは、頻繁に「性別」を入れ替えて演技をする練習をしていることだった。
歓迎会でも、ナージャともう一人の女生徒が男装していたことを思い出しながら、眞紘は自分の骨ばった手の甲を見つめた。自分は「女性」を演じてみることができるんだろうか?
そのとき、はっと気がついて、隣に座る千紘を見た。女性としての自分──
それは、隣のこの少女そのものではないのか?
しばらくして、恐らく休憩か、練習そのものが終わったのか、生徒たちの緊張感がほどけて散らばる。
「寧々ちゃん。雪風先生が、お昼に医務室に来るのを忘れてるんじゃないかって」
「あーっ」口を大きく開けて寧々は叫ぶ。「えーっ、面倒くさいな。昨日まで“病室”入りだったのに。行かなくちゃだめかな?」
「無理したらあかんよ。まだ本調子じゃないんでしょ」
「薬とか処方されてるなら、今からでも行ったほうがいいんじゃないかな」
眞紘が加勢すると、寧々はすこし駄々をこねていたが、やがて諦めて立ち上がった。去り際にケーキを一切れ口に咥えて、そのまま走っていく。
その背中を見送り、菫之助がこちらに向き直る。
「ごめんね、邪魔して。お話し中だったよね」
「ううん。診察のほうが大事だよ」
僕も今さっき、先生から言われたこと思い出したもんだから、と菫之助は手を合わせて軽く頭を下げた。
「──今日の練習はこんなもんかな。ごめんね、あんまり面白くなかったかも」
近づいてきたナージャは、眞紘と千紘の顔を見てあれ、と声をあげる。「ニンニンは?」
「ああ、彼女は……用事があるって」
ぼかして伝えたが、千紘が口元に手を当てて、ナージャに目配せした。「実は──わたくしも、話してしまいましたの。ナージャに」
「えっ、降霊会のことを?」
「ええ。だって、とても印象的な出来事だったものだから」
校長の緘口令も虚しく、人の口に戸は立てられないとはよく言うものだ──と、眞紘は少しだけ自分の罪悪感が軽くなった。
「なるほど、じゃあ、校長の家の医務室にでも行ったのかな」
ナージャは腕を組み、階段、そしてその先の木々の向こうを見やった。湿原を渡ってくる風が、ざわざわと黒い枝の影を揺らす。早い三月の日はもう暮れかけていて、まだ冷たい冬の気配を強くまとった夜が、赤みがかった地平線の向こうから押し寄せようとしてきていた。
「──ねえ、実際のところ、マヒロたちはさ──その夜に何があったのか気にならないかい」
不意に、ナージャが声を潜めて、砦のように聳える緑の壁を指さした。
「よければ、劇場でもう少し話していこうよ。“降霊会の謎”についてさ──」
影とひなたの狭間に、夕暮れの
石の舞台に立ったナージャが口火を切った。
「それにしても驚いたな。まさかあの“舞踏室の双子の幽霊”が、ニンニンの実兄たちだったなんて」
「…うん。彼女の名前も──」このことを言っていいものか少し迷ったが、声を小さくして口にすることにした。「ルゥルゥ、と呼ばれてたね。寧々は偽名なのかな」
「ああ、それはよくあることだから」
ナージャはさらりと受け流す。
「実際、本名を名乗っている子は意外と少ないと思うよ。特別な事情がないにしたって、単純に名前が長いとかね」私だって、本当はナジェージダっていうんだ、とさらりと明かす。
「まあ、私が愛称を使ってるのは、単純に名前が長いからだけど──」
肩をすくめ、ナージャは舞台の上を円を描いて一周、歩いてみせる。
「この謎解きゲームの前提として、その降霊会は『科学的に説明できる』事象である、としよう──」
少なくとも、未証明だとしても現実で起こったことがあると断言されている事象だね、とナージャは付け加える。眞紘の脳裏に、ふと、鬼火という言葉が浮かんだ。鬼火はどちらなのだろう?
それを訊ねる前に、「では、私から──」と舞台の上でナージャが一礼した。
「降霊会の真相はだね。つまり、深層心理ってやつだと思うんだ」
「それはあまりに曖昧な解決じゃないかい、ナージャ」
「私だってなんでもかんでも深層心理で片付けるのは好かないが、無闇やたらなオカルトはもっと好かなくてね」
うーん、と、眞紘の隣で菫之助が首を傾げた。「深層心理も、オカルトみたいなものに入るんじゃない?」
「君たち、フロイトやユングを怪しい霊能力者にでもするつもりかい。──催眠術っていうのは立派に、心理療法のひとつとして提唱されているんだよ」
「さっそく怪しいなあ。催眠術なんて、そんな万能なものやないで」
「催眠術っていう言い方に語弊があるな、もっと専門的なものを言いたいんだよ、私は。ほら、精神医学の治療で行われている類いのさ──」
早くも議論が白熱しそうになったところで、千紘がやんわりと「つまり、わたくしたちは催眠にかかっていた状態だった、とナージャの仮説ではなりますわね」
「そう。そして、催眠ってのはよっぽどじゃなきゃ、“誰かから”かけられるものだ」
「誰から? まさか遠隔操作じゃないだろうし、あの場にいた誰かってことになるけれど……」
何の気なしに言ってから、ぞくりとした。あの場にいたメンバーは皆、降霊の瞬間、ひどく動揺しているように見えた。あの中に演技をしている者がいたというのか?
「催眠ってのは万能じゃない。
忘れていた幼少期の記憶を思い出させたり、多少の簡単な行動を命令するくらいのものだとしよう。ここで私は、今回の“降霊会”の真相をあくまで科学的に分析するうえで、最も注目すべきポイントを挙げたいと思う」
ナージャは、ゆっくりと、顔の前で指を一本立てた。
「──なぜ、“幽霊”はフランス語で話したのか?」
一瞬、沈黙が場を支配する。
三人はお互いに顔を見合わせ──菫之助が口を開いた。
「それがそんなに重要なことかな? 英語だろうと中国語だろうと、双子…というより、寧々ちゃんの母語がたまたまそれだったというだけで、何も変わらない気がするけど」
「いいや、変わるね。だって、マヒロがフランス語を理解できなかったとしたら、当たり前だけどフランス語で話せるわけないだろ? その場合、マヒロではない“なにか”が喋ったことになってしまう。それこそ、オカルトだよ。
より正確に言えば、この場合重要なのは、マヒロ本人が『自分自身がフランス語を話せること』を知っていたのか? ──だね」
「僕は──」
少し葛藤した末に、素直に話すことにした。それがどれほど信頼されるかはわからなかったが。
「話せる……ことはわかっていたけど、あんなにすらすら出てくるとは思わなかった」
長いこと使っていなかったし、と声が小さくなる。自分の素性を深く切り込んで話すことは、まだためらわれた。
黙って聞いていた菫之助がおだやかに訊ねてきた。
「眞紘くんが英語を話すのが苦手なのは、そのせい?」
眞紘は素直に頷く。「人間って面倒なもので、──英語より先に話していた言語だから、忘れてしまったと思っていても、発音はそちらに引っ張られてしまってね」
千紘も同意した。「なまじ近いものだから、訛りが出てしまいますものね」
ナージャは顎に手を当てて思案げにする。
「なるほどね。それならやっぱり“幽霊”の仕業じゃあなさそうだ──なんらかのきっかけで、マヒロは忘れかけていたフランス語で話し始めた。そのきっかけを与えたのが何か──誰かってことだよね」
「それがナージャの言う“犯人”ってこと?」
少し面白そうに、菫之助が目を細める。
「そういうことになるね。
でも、マヒロの言葉を聞いて、私にはもうひとつ疑問が出てきた。
確かに、私だって母語は違うけど、このとおり──複数の言語を操れること自体は驚くことでもない。でも、本人も忘れかけていたような言語をすらすらと話させるほどに精度が高い催眠術なんてものは、はたしてあるのかな?」
「あら、前提を崩しちゃってええの。今回の事件は催眠術によるものなんやろ」
「まあね」
そこで、ナージャはちらりと眞紘のほうを見た。どきりとするような鋭い視線だった。
それはあきらかに、疑惑の目だった。
眞紘は、背中を冷たい汗が伝うのを感じた。ナージャは、眞紘が嘘をついているのではないかと疑っているのだ。眞紘が双子と寧々のことを知っていてわざと幽霊に取り憑かれたふりをして、フランス語で話したのではないかと──
「僕はどっちかっていうと、そもそもなんで寧々ちゃんが降霊会をしたのかが気になるな」
突然、菫之助が言った内容に、眞紘もそうだが、ナージャも虚を突かれたような顔をした。千紘は「ホワイダニット、ですわね」などと、なぜか少し嬉しそうに言った。
「でも、菫之助は、寧々ならやりそうだって」
眞紘が、降霊会について話したときの菫之助の反応を思い出しながら質問すると、のんびりした仕草で菫之助は首を傾げた。
「うーん。突飛なことをやりたがるコなのは確かだけど、この場合は違うというか。タイミングと、人選が変かなあって」
いきなりすぎる、と、眞紘と千紘を見た。ナージャは肩をすくめる。
「マヒロとチヒロが双子みたいにそっくりで、しかも二月にやってきたからでしょ」
「本当にそれだけの理由だと思う?」
ナージャの言葉に、菫之助は鋭く切り返す。
「寧々ちゃんは、普段は誰も使わないような娯楽室を探索してテーブルを用意してた。つまり、以前から降霊会を計画してたってことになる──二人がファミリィ、いや、この学園に入ってくるよりも前から。
もともと、霊媒にふさわしいメンバーなんていなくても機を見て降霊会をするつもりだったか。
それか、二月のうちに、誰かが彼女にそっくりな二人の編入生のことを吹き込んだか──」
「そんなことありえない。だって、僕たちはあの日初めて会ったんだから」
思わず、声が大きくなってしまいそうになった。落ち着いて、と菫之助に穏やかな声で言われる。彼の黒い瞳は、夜の凪いだ海のようにこちらを捉えている。
「二人が他人の空似なのかはおいといて──少なくとも、客観的に見て、君たちがよく似てるのは確かなんだから。その事実を伝えればいいことなんよ」
「そんなこと、誰が──」
言いそうになって、その答えに行きつく。菫之助も眞紘の表情を見て、ゆっくり頷いた。
「雪風先生ならわかるよ。いつ、誰がこの国へやってくるのか」
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