Ⅺ.【ウェルカム】
三月一日は、花曇りとでも云うべき淡い灰色の空が、湿原と鏡あわせになって広がっていた。
今日は、午前が入学式と、午后は歓迎会のための日だという。眞紘たち転入生は、ファミリィの集合場所として、またも中庭を指定された。青い花の封蝋がついた招待状を見て、菫之助は「あすこはあのファミリィの定位置やから」と眉を下げた。
「きっとまだ寒いよ。着込んでいったほうがええで」
「菫之助たちはどこで集まるんだ?」
にこ、とした彼が、マジシャンのように招待状を取り出す。すみれの花の封蝋が、濃い紫に光った。「談話室。他のファミリィもいるんじゃないかな──あったかいしね」
「
「君ンとこは、茉莉ちゃんたち最上級生が、人が多い場所を嫌いでね。いっつも、変なところに集まってるよ」
夏が近くなったら中庭も賑わうから、たぶん別のとこに移動するね──仲が良さそうな口ぶりに、彼が茉莉たち最上級生よりも歳下だとは思えなくなる。
「ファミリィが集まるのは三時ごろだと思うけど、十二時くらいから体育館でいろんなサークルが勧誘や展示をやってるよ。僕も、茶道部の勧誘やってる。別に入らなくてもいいけど、観に行くと楽しいんじゃないかな」
菫之助にそう言われ、食堂で軽く食事をとった後、少し体育館へ顔を出してみると、入り口で千紘と鉢合わせた。
パイプ椅子に腰かけた彼女は、にこにこと舞台のほうを手で示す。
「──ナージャたちが、演劇をやってますの」
舞台に顔を向ける。なるほど、コートを着た二人の生徒が向かいあい、何か話している。背景には、大きなカンディンスキーの抽象画めいたデザインのパネルが立てかけられていた。いったい、どんな筋立てなんだろう? 興味を持って、あちこちに点在する長机──それぞれ、テニスサークルだったり、コーラス部だったり、騒ぐことなくおだやかに新入生らしい生徒たちと先輩が話している──の間を縫って舞台に近づこうとした。
その時、肩を叩かれて、振り向くと、トレンチコートの襟を立て、帽子を深く被った人物がさっと眞紘の耳元で「動くなよ、坊や」と囁いた。
「えっ」
「
その人物は喋りながら帽子を取る。波うつ、豊かな
「──“
挑戦的な青い目と、口紅で彩られた不敵な笑み。
「ナージャ!」
思わず声が出た瞬間、そのナージャの腕をつかみ、捻りあげた人物が現れた。やはり帽子を目深にかぶった、スーツを着ている背が高い女生徒だった。
「そいつは何にも憶えちゃいねえ。手を離しな」
低く言い、見惚れるような仕草でスーツの内側に手を入れ、素早くピストルを構えた。きゃーっ、と周囲から声が上がるが、本気の悲鳴ではない。眞紘が周囲を見ると、皆、興味津々という風にこちらを注視していた。
「ちっ。行きな」
ナージャは苦々しげに舌打ちし、眞紘の肩を軽く小突く。素直に少し距離をとり、一触即発、という気配を漂わせる二人の女子生徒を見てから、感嘆の声をあげた。
「──この体育館そのものが舞台なのか」
「ええ。先ほどから、いろんな方が『出演』されてますわ」千紘はあたりを見渡す。「とっても楽しそう」
振り返ると、舞台の上にいた二人のほうでも、新入生らしい男子生徒と話しているのが見えた。この生徒はなかなか対応力があると見えて、戸惑うだけでなく、台詞のようなものを考えて返事をしているようだ。演劇サークルの生徒も、即興でそれに返している。
「びっくりしたよ。真に迫ってた」
「とっても恰好いいですわ」
「千紘は『出演』したのかい?」
「いいえ」首を横に振る。
「わたくし、筋立てを知っていますの」
「へえ……オリジナルの脚本じゃあないのかい?」
「いいえ。けれど、元になった話はあるそうですわ」にっこりと笑み、眞紘の顔を見上げた。「わたくし、眞紘のようにアドリブは得意でなくて。演じるのなら、しっかりと念入りに準備をしたいものですわ」
「僕だって得意じゃないさ。さっきも、芝居とも呼べない反応しかできなかったの、見ただろう?」慌てて、眞紘は弁明する。
「少なくとも、観ている方としてはとってもお上手でしたわ」千紘は立ち上がると、パイプ椅子の背にかけてあった濃紺のコートをとった。
「もう、一幕が終わるみたい。少し早いけど、ファミリィのお茶会へ向かいましょう、眞紘」
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