Ⅹ.【魔女】
唖然としてしまった。
言われてみれば、まずあの長身と低い声──それから、足や手の大きさや造形──割合にしっかりした顎や鼻梁の形は、むしろハンサムな男性といった雰囲気なのだが──中央から熟れた紅が滲んだような唇や、黒い飾り羽のような睫毛に縁取られた桃花眼が、いかにも“女性的”なのだった。
しかし、その印象を決定づけているのは、なんといっても“彼”の立ち居振る舞いだろう。長い深紅の裾捌き、ハイヒールでの歩き方、ものの言い方が、ごく自然に、恐らくは彼が自分自身をそう見せようと思っている姿に見せているのだった。
「男とは言ったけど、肉体が、という意味ね。特にホルモン治療とかもしていないらしいから、正真正銘、肉体は男よ。内面はどうか知らないけど。どちらでもないか、どちらでもあるのかもしれないわね」
皿の上の林檎を食べきり、茉莉はフォークを置いた。
「ええっと……じゃあ、女性として扱わなくちゃ失礼、というわけでもないのかな?」
「さあ。私は別にどちらだと思って接したこともないわね。校長先生は校長先生だし──あなたは今日しか会ってないからあの恰好の印象が強いかもしれないけど、
「純粋におしゃれって感じよな、先生」
さらりと菫之助も同意する。「僕も、女の人の着物って華やかだし、取り入れられたらって思うけど、着こなすにはまだまだ精進が足らんわ」
そういえば、ファミリィの集まりでも女の子が二人ともパンツ・スタイルだった、とふと眞紘は思い出す。茉莉はともかく、寧々は話し方も少年らしかった。かといって、女性の身体に違和感を持っているわけではなさそうだし、むしろ活発な少女らしさがある──あくまで、印象だが。
寧々はここにいないが、少なくともファミリィの誰も、彼女の振る舞いを不思議に思っているわけではなさそうだった。
案外、自分の視野は狭い方なんだろうか? 少し自信がなくなった。
「ちなみに言っておくと、あなたも制服でスカートを穿きたいなら、可能よ。私たちがパンツを穿けるようにね」
「いや…今は遠慮しておくよ」
「そう。まあ、寒いしね」
それじゃあ、と言い残し、茉莉はトレイを持って席を立った。校長の姿が消えるまで気配を消していた夢吾が、すっと首を伸ばして「あいつ、本当言いたいことだけ言っていなくなるんだよなあ」と呟いた。
茉莉と入れ替わるように、ナージャがやってくる。手にはカップとソーサーを持っていた。ふわりと、紅茶の香りがする。「やあ、諸君」
「ナージャ。今さっき、校長先生と話しとったよね」
「うん、ここのテーブルにも来てたのが見えたよ。あの人、チヒロとマヒロがお気に入りみたいだ」
「お気に入り、ってほどかな? 編入してきたばかりだから、気にかけてくれているんだと思ったけど……」
「いや、気に入っとると思うよ──僕から見ても。二人とも、不思議なオーラがあるもんなあ」先生、才能ある若い子が好きだから、と菫之助は笑った。
ナージャは紅茶をひと息に飲み干すと、少々乱暴にソーサーごとテーブルの上に置く。口紅の痕がついていた。
「あの人は、まさに
「そうなのかい?」教師として本当にその性質を持っていたとしたらいかがなものか、という疑問を込めて問い返せば「本当さ」とナージャは片方の眉をくいっと上げた。
「マヒロ、あの人、男でも女でもいいってんだから、気をつけなよ」
「えっ?」
「だから、恋愛対象さ。お気に入りの子はあの“お菓子の家”に呼ばれるって噂だよ」
「それは……教師として、というか、大人として……」どうなんだ、と続けられず、絶句してしまった。
「さあ? 単なる噂だけどね。でも、むしろ呼ばれたい子は大勢いるんだよ。なにせあいつは“魔女”なんだから」
ナージャは言葉を失っている眞紘の顎に指をあて、自分の方を向かせる。当惑に揺れている目をまっすぐ見据えると、彼女は紅い唇をゆがめて皮肉げに笑った。
「ここは三月の王国。外の法律なんて通用しないと思うことだよ」
夢を見た。そう記憶している、これが記憶の混濁でないのなら。
二月の終わりの夜、三月の王国で見る夢。
青の丘、雷雨、嵐の幕の向こうに塔が見える。あたりはいちめんの渦巻く夜、黒く影絵となった糸杉と尖塔はよく似ていた。
その塔の上から、雨でも稲妻でもないものが降った。
鳥が墜ちる。
細い脚としなやかな嘴。一瞬、劇しくはためく羽。
いや。
少女。少女の繊い脚。
あれは嘴ではない。少女の繊い腕だ。
あれは羽ではない。少女の紺色の制服だ。
白い腕と足、紺色の制服、黒い髪。この三月の王国の生け贄。贄が湿原へ捧げられる。
それを見ている自分は?
そのとき閃いた青い稲光に、視界のすべてが灼き尽された。
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