Ⅷ.【閉ざされた庭】
「眞紘です。新しく四年生に編入します…ええと、何を言えばいいのかな」
「趣味とか、好きなものとか。話したくなきゃ、秘密主義って言えばいい。敬語も要らないよ」
眞紘は千紘の方にもう一度視線をやったが、なにかしら、という感じで首を傾げられ、いまいち真意が読めない。言ってしまうか、と口を開いた。
「千紘とは……今日、初めて会ったんだ」
えーっ、と寧々が大きな声をだす。夢吾が興味津々というふうに身を乗り出し、仁も目を丸くしていた。茉莉が「どういうこと?」と全員の気持ちを代弁する。やはり、皆二人の容姿や名前から、双子であると疑いもしていなかったらしい。素直に、今日まで彼女とは面識がないことと、列車で出逢ったところからの経緯を説明すれば、おおーっ…と一同から声が漏れた。
「さすが、二月の転校生。不思議と共にやってくる」
また、トランクの中身だけが消えた事件の話をすれば、皆面白がったり、気味悪がったりしたが、夢吾が苦笑しながらこう言った。
「まあ、ここへ来た時点で、私物ってほとんど預けさせられるんだけどな。寮へは持っていけないよ」
「えっ、そうなのか」
「そうそう。俺も、本とか持ってきたけど、もう何持ってきたか曖昧だな。卒業の時に返してもらえるのかな?」
眞紘は自分の『不思議の国のアリス』に思いを馳せた。家から持ってきた、珍しいわけではないが、それなりに大切にしているつもりの本だった。できるなら取り戻したい。
「僕は以上かな。千紘、どうぞ」
バトンを渡せば、ファミリィのメンバーの視線が、二人の顔を見比べ──やはり、双子でないことを訝しんでいる表情を、少しだけ浮かべる。
「千紘です。よろしくお願いいたしますわ」
彼女は、そんな視線を気にも留めず、優美そのものという仕草で頭を下げる。おお、と声があがった。
「まさにお嬢さまって感じだねー」
「実はどこかのお姫さまだったりして!」
口々にあがる声に、言われ慣れていると言わんばかりに微笑みを返す。やはり、ルックスこそよく似ているが、胆力がまるで違う──眞紘が舌を巻いていると、千紘はゆっくりと全員の顔を見渡して言った。
「わたくし、皆さんのお部屋の絵が知りたいですわ」
沈黙。
眞紘は面食らった──全員が、虚を突かれたように黙り込んだその一瞬、なにかの皮が剥がれたように、皆の顔から表情が消えていた気がしたから。
「僕は…マグリットだったよ。有名な絵だ。ほら、あの、青林檎の顔をした男の人の絵」
居た堪れなくなりそうな雰囲気を変えるため、眞紘は積極的に発言した。他のメンバーが話したくなさそうだったら、自分の部屋についてもう少し話そうかと考えを巡らせていたが、すぐに夢吾が乗ってくる。
「俺は秘密。好きな絵にしたから、知られるの恥ずかしいんだ」
「これは裸婦画ね。賭けてもいいわ」
「裸婦は芸術だろー」
夢吾の抗議を無視して、茉莉はさらりと答える。「私はボナールの、浴室にいる妻の絵」
「裸婦じゃねーかよ」
「芸術なんでしょ」
好きな絵なんて思いつかないから、最初にかかっていたのをそのままにしてあるのよ、と茉莉は肩をすくめた。寧々も、顎に手を当ててうーんと唸る。
「ボクはね、なんだっけ? シャガールだと思うけど、なんか、オレンジ色のやつ!」
「適当だなあ」
「だって興味なかったんだもん。ボクも」
好きな映画俳優のポスターとか貼りたかったよ、と寧々は頰を膨らませた。夢吾は頷き、足を組む。「『刑務所のリタ・ヘイワース』よろしく──ってとこか」
その時不意に、風が全員の足をつかみ、駆け抜けていった。刑務所、という言葉の響きと一緒にひやり、と身の内まで撫でていく二月の終わりの風。監獄に吹く灰色の風だった。
視線が、自然と残り一人に集まる。眼鏡を指で直し、仁は薄い唇を歪めた。
「──誰が言うかよ」
「これは裸婦だな」
仁は夢吾の襟をつかんでぐいぐいと引っ張りだした。「ぎゃあ」
「てめえは知ってんだろうが」
勘弁勘弁、と手を合わせる夢吾の目は笑っている。この、とその頭を小突く仁の遠慮のない振る舞いも、仲の良さの表れに思えた。
二人は同じ部屋なのだろうか?
疑問に思ったことを聞く前に、夢吾が椅子から立ち上がった。「冷えてきたな。お茶にしようぜ」
逃げるな、と仁が彼の耳を引っ張ったが、夢吾は無視して、自分の腰掛けていた椅子のところにかがみ込んだ。よく見ると、足元には籐で編まれたピクニック・バスケットが置かれていた。中からは魔法瓶と紙コップ、ラップに包まれたジャム・サンドイッチが出てくる。わーい、と喜んだ寧々につられて、少し場が華やいだ。
手渡された紙コップに温かい紅茶を注がれながら、あ、と眞紘は気づいた。
千紘の部屋の絵を聞きそびれた。
「どうだった? ファミリィは」
寮の扉を開けると、菫之助に出迎えられた。眞紘は肩に入っていた力が抜けるのを感じた。部屋の中が、しっかりと暖められていたのもあるかもしれないが、強張りがほぐれていく気がする。
「個性的というか──色んな人がいるのは確かだね。半分くらいしか会えなかったけれど」
「ああ、君たちのファミリィはそんな感じだっけねえ」僕ンとこは、もうちょっと大人しい感じだけども、と顎に手を当てる。
「菫之助と同じファミリィだったらもう少し気楽だったかもしれないな。…ああいや、今のファミリィが嫌というわけじゃないよ。ほら、はじめに話した男子生徒だから」
菫之助は柔和な笑みを浮かべたまま聞いていたが、困ったように首を傾げて、目を伏せた。
「でも、部屋でもファミリィでも一緒だと、ときどき息が詰まるよ。ただでさえ、ここは閉ざされた庭なんだから」
その言葉にどきりとした。刑務所のリタ・ヘイワース──閉ざされた庭。皆、ここに吹く風の冷たさを知っているのだ。
「僕もナージャも、君たちのトコのファミリィの人たちとは結構話すから。なにかあったら、相談して」もちろん、僕に不満があったら向こうに言ってもらってもええよ、と菫之助は眞紘の肩を軽く叩いた。
世慣れているな、と感じる。同い年のはずなのに、よく練れた絹のような居心地のよさを人に与える少年だ。
荷物を整理したり、家具を整えていると、窓の向こうで、六つ、鐘が鳴った。風に乗り、樹木をひと撫でして夕暮れの湿原を渡っていく音に、二人は顔を上げた。
「行こうか。これが食事の合図。
気をつけて、ここではすべての合図は鐘が鳴らされるだけだから」
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