Ⅶ.【ファミリィ・ポートレイト】


茉莉まりちゃん。このコたち、眞紘くんと千紘ちゃん。十六歳…新四年生だって」

 一番手前の椅子に座って、にこりともせずにこちらを見つめていた女生徒に、菫之助は話しかけた。

「あら、同じファミリィでもないのに、案内してくれたの。ありがとう」

 笑いこそしないが、彼女は目を合わせてきちんとお礼を言った。一方で、眞紘は少し心細くなる。菫之助は同じファミリィではないのか。

「じゃあ、二人とも、好きなところに座って。──とは言っても、二つしか椅子はないけどね」

 茉莉と呼ばれていた少女の隣に、眞紘と千紘は腰をおろす。菫之助は軽く手を振って、また迷路のほうへ戻ってしまった。しん、と静寂が一瞬満ちる。

 茉莉は、スレンダーな、髪を短く切り揃えた女生徒だった。制服はパンツスタイルで、薄い耳たぶに、大きなリングのピアスをつけているのに、視線が吸い寄せられた。繊細な金の環がゆれる。

「私は茉莉。字は、茉莉花のマリよ。話は聞いているわ」

 黒目がちな瞳と、眉尻が下がった面立ちから受ける印象よりも低く、はっきりとした声と抑揚だった。手を差し出され、眞紘は千紘と顔を見合わせ、おずおずと眞紘が先に彼女の手を握る。

「あなた、英語は得意?」

 眞紘は戸惑いながらも頷いた。

「そう。よかったわ。日本語だけだと、意思疎通もおぼつかない子もいるものだから」

「ああ、確かに──外国籍の生徒もいるようですね」

 先ほど見かけた、千紘と同室だというナージャを思い返す。彼女は日本語が堪能そうだったが、当然、転入した時期によっては、全くと言っていいほど話せない生徒もいるだろう。

「その口ぶりからすると、あなたは違うようね。まあ、出身なんてここではどうでもいいことだわ──」ひやりとするような洞察の眼を一瞬見せ、茉莉は視線を千紘に移す。あまりにもよく似た姿かたちに、なにか訊かれるかと思っていたが、血筋に関しても、ここでは出身と同じようにタブーとされている話題なのかもしれない。

「私が一応、ファミリィのまとめ役をしているわ。最年長だから──馬鹿馬鹿しい理由ね。ああ、ファミリィについて説明は受けている? 要は、強制された仲良しグループ──あるいは相互監視の輪。まあ、互助会的な側面もあることだし、多少はなにかの役に立っているのかもね。私はこういうの、別に要らないと思っているけれど」

 茉莉のあまりに率直な物言いに、眞紘は少し鼻白んだが、千紘はあいかわらず微笑んだまま「さっそくいろんな方とお知り合いになれて、わたくしは嬉しいですわ」と述べた。

「そう。まあいろんな意見があるわ」茉莉は集まった顔ぶれを見渡すと、手のひらを上にして、自分に最も近い位置に座っていた青年に声をかけた。「夢吾ゆうご、あなたから自己紹介してちょうだい」

 指名された青年は、笑みを浮かべて首を傾けた。「はいはい。俺は夢吾──われ、夢むって書くんだ。最年長、六年生だよ」古めかしい日本語選びとは裏腹の、昏い蜂蜜色の髪と青い瞳に、まず目が吸い寄せられる。鼻梁から眼窩にかけての彫りの深さを、青い影が気怠くいろどっていた。

「茉莉とは同級生なんだ。あと、こんな見た目だけど、日本人だよ。英語は苦手」

 どうぞ、と肩をすくめ、隣に座っていた生徒にバトンを渡した。

「はーい」

 元気よく返事をしたその女生徒も、茉莉と同じく、やはりパンツスタイルだった。まだ肌寒い季節だからだろうか。しかし年頃の少女らしい洒落っ気か、明るい若草色のセーターを着て、男物の紫のネクタイをリボン結びにしていた。

はニンニン。漢字で書くとね、丁寧のねいを二つ重ねて、寧々ニンニンかな?」

 空中に指で字を書きながらそう言う彼女は、目が醒めるような赤毛に、緑の眼をしていた。眞紘はまたも面食らったが、そろそろ顔にも態度にも出さないようになってきた──思えば、自分だって漢字の名前に、金の髪をしているのだ。

「あのね、ボクかなり日本語上手いと思うんだけど、習ったのが兄貴からなんだよね。教えてくれなかったんだ、性別で喋り方が違うって」

 肩口でくるくると巻いた赤毛をふわふわ弄びながら、寧々は八重歯を見せて笑った。

「あと、なんだろ。あっ、そーだ。好きなことはラジオ・パーソナリティごっこ。たまーに、演劇部のナレーションとかで遊んでるよん。おしまい」

「おいおい、何年生か言えよ」

 笑いながら夢吾が言うと、寧々はぽんと手を叩いて「忘れてた。だって明日から変わるじゃん? ボクは四年生だよ──あれっ、もしかして君たちと同い年?」

「ああ、そうみたいだね」

 眞紘が頷くと、寧々は両手をあげて「やったあ、クラス一緒だといいね」と喜んだ。

「次はしのぶね」

 茉莉は事務的な口調で、時計回りの次の順番の生徒に発言を促す。

 椅子にはかけず、立ったまま腕を組んでいた次の生徒は、黒髪を短く刈って、眼鏡をかけた痩身の青年だった。鋭い目つきで、野外劇場の方を見ていたのだが、ちらりとこちらに向けられた視線のひやりとする冷たさに、眞紘は少しどきりとした。

「仁。仁義の仁で、しのぶ。五年生」

 それだけ言って、また野外劇場のほうを向いてしまう。眞紘たちは鼻白んだが、茉莉は淡々と続けた。

「見ての通り、彼、お喋りは苦手だけれど、勉強は得意なの。数学と化学と物理なら、彼に訊くといいわ。もっとも、スパルタ式を好むならの話だけれど」

「褒められて伸びるタイプなら、やめといた方がいいね」

 夢吾が口を挟むと、仁は舌打ちをした。その鋭さに眞紘は思わず首をすくめそうになったが、平気なふりをする。あんまり、仲良くなれなさそうだ。

「わたくし、ぜひ教えていただきたいわ。厳しい先生は好きですもの」

 突然、千紘が柔らかだがはっきりとした声で言ったものだから、皆の視線が彼女に集中した。仁当人も、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして千紘を見つめている。

 茉莉だけが涼しい顔をして、指を折って数える。

「これで何人? 私、夢吾、寧々、仁……ジナイーダは初めから来るわけないわね。それと、紅一こういち沙羅サラ。二人は、明日の歓迎会の席には来ると思うわ」今日まで帰省中なの、と茉莉は付け加える。

「ああ、こんなにメンバーが少ないのかと驚いてました。帰省中だったんですね」

「だって今日はまだ二月だもの。突然集められたから、何かと思ったわ」

 でも、少ないのは確かよ、と茉莉は指を折った手を振る。器用に左手の中指と薬指を曲げ、左手の小指だけが立っている状態にする。

「うちは余りもののグループなの。全部のファミリィを作ったあと、あぶれた人や、あとからやってきた季節外れの転入生を集めて作った寄せ集めね。二月の初めにはたった七人だったファミリィが、あなたがたのおかげで九人になったってわけ」

 相槌をうちながら、眞紘は茉莉の言葉に微かにひっかかるものを感じた。二月の初めには? 一月にはどうだったのだろう。

「じゃあ、トリはお二人に飾ってもらおうかな」

 夢吾が、軽く手を広げて、にっこり笑って二人の方を向いた──その時気がつく。彼の左眼の瞼に、傷痕があることに。

 多少の気まずさを感じながら、眞紘は千紘の方を見た。目が合う。一瞬、鏡を見たような気持ちになって、心臓が跳ねた。

「眞紘、お先にどうぞ」

 澄んだ声で促され、まるで鈴で頭を揺らされたように気になった。腹を決めて、眞紘は口を開いた。

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