第7話 あちらこちらで修羅場寸前!

 銀座の高級クラブと言えば、来るお客さんは名界の大御所、つまり売れっ子作家、有名人、スポーツ選手、芸能人など一流どころが顔を連ねる店ばかり。とても下町育ちの俺なんかが入り込める場所では無い。特にクラブ『彩乃』は一見いちげんさんはお断りで、誰かの紹介で初めて入店出来るシステムだった。そこで俺は1日だけミィに頼み込んで、ちょうど店に入ろうとしていたどこかの社長さんをマインドコントロールしてもらい、そのお友達と言う事でミィとタマと一緒に潜り込む事に成功した。ターゲットの麻生文恵さんは、源氏名を『若葉』と名乗っていて、この店でも人気のホステスさんらしく、あちらこちらからご指名がかかっていた。一緒に入った社長さんは設楽しだらさんと言う名前で、設楽社長も文恵さんの事がお気に入りだと言っては、文恵さんを指名して順番が来るのを待っていた。ようやく文恵さんがテーブルの席に付く。


「やあやあ若葉ちゃん、久しぶりだねぇ。いつもながら綺麗だ」

「設楽さんったら、お上手です事。ところでこちらのお若い方々は? 私、若葉です。初めてお目にかかります」

「この人達はボクの友達で井原宏クンと上條美晴サン、それに篠原環サンと言ってね。これでもベンチャー企業の社長さんとその秘書さんなんだよ」


 ここで俺は、ミィに一役買ってもらう。ミィは文恵さんが俺を気に入る様に一生懸命念じている。


「まあ、その若さで? それはご立派な事ですわ。どの様なお仕事か伺っても構いません?」

「インターネットのプロバビ、いやプロバイダーをやっています」


 俺は慣れないセリフに思わず噛んでしまう。だが文恵さんは気付いていない様だ。この時代は20世紀末。俺は良く知らないのだが、ミィのテレパシーによる説明によれば丁度インターネット黎明期だったとの事。


「今の最先端のお仕事ですわね。これからもどんどん伸びるとか。先が楽しみ」

「若葉さんでしたね? お噂には聞いていましたが、やはり大変お美しいだけでなく、お話もお上手だ。これから毎日通っても良いですか?」

「もちろんです。井原様の様な将来有望なお客様でしたら大歓迎ですよ」


 こうして俺は毎日文恵さんのクラブ『彩乃』に通う事になった。ミィのマインドコントロールが効いたのか、人気ホステスさんにもかかわらず5日目にして早くも同伴の約束を取り付ける事が出来た。と言っても俺は実体の無い精神イメージだ。実際に手動ドアのある店で先にドアを開けてエスコートするなんて事が出来ないのが悩み所。なるべく自動ドアのある店を選ぶ。他にも色々苦労した。道を一緒に歩いていて、思わずすれ違う人と素通りしそうになったり、一緒に食事している最中にも緊張のあまりフォークを落っことしそうになったり。それでも文恵さんはちょっと不思議そうな顔をしながらニッコリ笑って、『ああ、包容力のありそうな女性だなあ』と俺の心を動かした。これが一流ホステスの集客テクニックと言う奴だろう。ヤバいヤバい、俺がホステスの儲け目当てに引っ掛かってどうする。 こっちはまだ始まったばかりだが、あの後ミィの方はこの時代の俺の件を上手くやっているのだろうか? 俺はかなり気になったので次の金曜日に六本木の例のBARに様子を見に行く事にした。もちろん自分の姿ではマズいので、赤の他人に変身して。ミィはこの時代の俺にマインドコントロールで先週の俺と亜希子あきこの記憶を植え付ける事に成功したらしく、二人はBARで再会を祝して乾杯を上げていた。ミィとタマもテーブル席でその様子を微笑みながら見守っている。ようやくこれで一安心だなと思っていたら、BARのドアが『チリンチリン』と鳴って、なんと惣壱郎さんと文恵さんが仲良く入って来たではないか! しまった。こう言う可能性がある事を忘れていた! 文恵さんはテーブル席でドア向きの席に座っていたこの時代の俺を見つけるなり、


「あら、井原さんもいらしてたんですか? これは偶然です事」

「は? どちら様でしょうか?」


 この時代の俺と亜希子、それに文恵さんとの三人の空気が凍り付く。当然である。全く事情を知らない同士なんだから。亜希子の存在に気付いて察した文恵さんが、


「どうも人違いの様でしたわ、御免あそばせ」


 とフォローしたが、もう遅い。亜希子の顔が見る見る青ざめて行く。


「私、ちょっと用事を思い出しました。今日はこれで失礼します」

「あ、亜希子さん?」


 訳も分からずに呆然と席にへたりこむこの時代の俺を置いて、亜希子はスタスタと店を出て行ってしまった。ヤバい! このまま放っておいたら将来の俺達夫婦の破滅の危機! それどころか亜希子は俺の命の恩人なので、この俺の存在すら危うい!! 赤の他人の姿をした俺はBARのドアを開けるイメージを周囲に送ると、すかさずこの時代の俺の服装に変身し、亜希子を追いかける。


「待って下さい、亜希子さん! 何か誤解なさっていませんか?」

「五階も六階もありません! あの綺麗な女の人は誰なんですかっ!?」

「会社で良く行くクラブのホステスさんですよ。その証拠に他の男の人を連れて来ていたじゃないですか。ただそれだけの関係です」

「本当ですか?」

「本当ですよ。今日は他の店で飲み直しましょう」

「そうですね。ごめんなさい、私ちょっと取り乱したりして」


 ふう〜。なんとかなった。またミィに頼んでこの時代の俺に新しい記憶を植え付けてもらわなければならん。もうこの六本木のBARは出入り禁止にさせよう。ミィも亜希子のマインドコントロールだけは手慣れて来た様だが、まったくこの先が思いやられるな。さて、この時代の俺と亜希子の事はミィに任せるとして、問題は文恵さんの攻略だ。何しろ相手は高級クラブ『彩乃』のトップククラスの人気ホステス。しかもあの角田惣壱郎が愛人にまで手懐けたのだから道は険しい。俺がああでもない、こうでもないと悩んでいると、タマが呑気な顔をして話しかけて来る。


「ヒロ、そっちの方はどないなっとんねん?」

「どないもなにも、小康状態だよ」

「あかんなぁ。そんなんやったらウチらいつまでたっても帰られへんで」

「お前さ、自分は何もしないでよくも抜け抜けと他人事みたいな口叩けるな?」

「へへへ。これでも努力はしとるんやけど」

「例えば?」

「昨日の夜、ヒロが寝てる間に背中マッサージしといてやったで」

「無い身体を揉んでもらっても意味ねーよ!」


 全然役に立たないボケ関西娘だ。せめてコイツの変身才能でも生かせない物だろうか? あ、良い事思いついた。


「タマ、お前、惣壱郎さんになれるか?」

「そらなれるけど。ちとしんどいけどな」

「贅沢を言うな。よし、この手で行こう」

「なんやよう分からんけど、やったるわ」


 惣壱郎さんと文恵さんがアフターする日を見計らって、俺とタマは別人に変身して後を尾ける。確かにミィやタマが言う様に、自分と別の姿になるとかなり精神力を消耗する。おっと、二人は今度は赤坂のBARに入った。惣壱郎さんがトイレに向かった所を俺とタマが気配を消して追う。惣壱郎さんが大きい方の用を足そうと個室に入った隙に、俺は壁をすり抜けると手の甲に渾身の力を込めて彼のこめかみに精神イメージでチョップを喰らわす。


「ウッ!」


 惣壱郎さんは、上手い具合に気を失って、そのままトイレの便座に座り込んだ。


「よし。タマ。お前はこれから惣壱郎さんになって、文恵さんに思いっきり嫌な思いをさせて嫌われるんだ」

「なるほどな〜。でもそれならヒロがやってもええんちゃう?」

「俺はまだそこまで上手く変身する自信が無いんだよ。さあ、今度こそお前の出番だぞ、上手くやれよ!」

「分かった。まかしとき!」


 こうして遂に、俺達の恋の修羅場作戦の火蓋が切られた!

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