第9話 意外な一言に絶句した!

 木村優子きむらゆうこを名乗る女性が回して来た車は、最新型で最高級のドイツ車、しかも運転手付きと手が込んでいる。俺は車内にむせ返るプワゾンの空気を換気しようと後部座席のサイドウィンドウを下げ、恐れ多さにガクブルしながらタバコをボマージャケットのサイドポケットから取り出すと、優子は隣でスッとそれをつまみ上げて、


「ゴメン、このクルマ、禁煙なの。ちょうど良い機会だからヒロくんもこれから禁煙なさい」


 と、俺のラッキーストライクを箱ごとヒネリ潰すと、屑箱にポイと捨てやがった。あぁっ! 俺の愛モクがっ! ? 待てよ、俺の煙草を物理的に破棄出来るって事は、コイツはミィじゃなくてやっぱり本当に本物の木村優子なんじゃないだろうか? 俺は普通の会話をするフリをしてカマをかけて見る事にした。


「それにしても優子、お前ずいぶんいい車に乗ってるな? ダンナが超金持ちとか?」

「あら、私は独身よ。こう見えてもやり手の実業家なの。IT企業からチェーンの飲み屋まで幅広く手掛けてるわ。これから行くフィットネスクラブも私がオーナー」

「そいつぁまた。恐れ入谷の鬼子母神」

「プッ、何その古いオヤジギャグ。そう言えばヒロくんって、生まれながらの江戸っ子だったわよね~」

「たりめーよ。こちとら先祖代々下町でオモチャ工場やって来たんでぃ」

「それが不況で倒産して、膨大な借金背負ってるんだよね? 事情はミハルさんって人から聞いてるわ」


 これで俺の中での優子=本物説は確定した。それにコイツはミィの事も知ってるんだったっけ。なんでもミィが優子に化ける為に、直接優子に記憶と姿を借りる許可を貰いに行ったとか。


「ま、まあな。でもおかげさんで、その借金もなんとか返すアテがついてる所さ」

「ふ~ん。ずいぶんと危ない橋を渡らせられてそうだけど?」


 コイツ、ミィからどこまで話を聞いているんだ? と言うより、何故ミィは俺のトレーニングを実在の優子に頼んだんだよ? 優子が俺の小学生の時の初恋の相手だって事は承知の上だろうが!? 面倒な事にならなければ良いが……。今朝方の俺の嫌な予感はますます増幅して行くばかりである。俺の心配を他所に、優子は何やら怪しげなトーンで俺に話しかける。


「ねぇヒロくん? 事と次第によっては、そのヒロくんの借金。私が肩代わりしてあげても良いんだけどな~」

「えっ、今何て言った?」

「まあ、詳しい話はトレーニングが終わってからゆっくりしましょうネ♡」



―― 俺が出掛けた後の我が家 ――


 娘の澄子がオレンジジュースを持ってリビングに入って来るなり、


「うわっ、何このキツい香水の匂い? 誰が来てたの?」

「パパの小学校からの幼馴染とか言ってたけど、あれはまさしく泥棒猫の目つきだったわ! ああ汚らわしい!」


 亜希子はリビングの窓と言う窓を開け放つと、消臭スプレーをソファーがビッショリになる位に吹きかけた。


「ちょっとママ! そんな事したらソファーがダメになっちゃうよ!」

「アンタは黙ってなさい! これは夫婦の問題なんだから!!」


 亜希子は今度は床にコロコロ粘着テープを掛け始めると、優子の物とおぼしきカールのかかった髪の毛を発見した。


「見~つ~け~た~わ~。これと同じ物を付けて帰って来たら、絶対に許してやんないわよ!」


 澄子は初めて見る母の狂乱振りに、どこか得体の知れない不安感を感じていた。


「パパ、大丈夫かな?」


―― 再び優子の高級ドイツ車の中 ――


「ぶわっくしょい! ん? 風邪、かな?」


 俺は突然、只ならぬ悪寒に襲われてクシャミをした……。


 俺が優子に連れて行かれたフィットネスクラブは、山の手にある高層ホテルの2階を占める、いかにもハイソなガラス張りの建物だった。まずはトレーニングウェアに着替えて柔軟体操から始まり、ジムのマシンを使って筋肉作り。仕舞いにゃヨガにジャズダンスまでさせられて俺はヒーヒー状態。紫色でムッチムチのレオタードを着た優子が俺に声をかける。


「だらし無いわねぇ、このくらいで。ミハルさんからはミッチリ鍛えてって言われてるから、手加減はしないわよ」


 お次はプールでスイミング。泳ぎは得意だが、いい加減ヘトヘトなのでご勘弁願いたい。だが、ピッチピチの競泳水着の優子が俺の尻をビシッと叩く。


「ほら、25mを20往復! 水泳部だったヒロくんなら楽勝でしょ!?」


 不覚にも優子のセクシー水着姿に刺激を受け、あらぬ所が元気になりそうだった俺は、水に飛び込まざるを得なかった。亜希子、すまん。


 一連のトレーニング・メニューを終えて、俺と優子はホテルの見晴らしの良い最上階にあるレストランで食事をしていた。山の手の街並から、遠くには富士山までもが一望出来て気分は爽快だ。


「たくさん運動したからお腹も減ったでしょう? いっぱい食べてね。そうそう、カロリーは控えめにしてあるから心配しなくていいわよ」


 なるほど、野菜サラダや豆腐ハンバーグ、雑穀ご飯とか、健康に良さそうな料理が並んでいる。酒もノンアルコールだ。


「いただきま~す!」


 俺はハラペコで死にそうだったので、ガツガツと食べる。


「うふっ。食欲のあるオトコって、やっぱりス・テ・キ・♡」


 優子が何か言った様な気がしたが、俺は一心不乱で食べ続け、皿をあっさりと平らげた。


「それで、さっきの話の続きなんだけど、ここじゃ何だからホテルの一室でしましょうか?」


 何? ホテルに部屋を取ってあるだと? 知っていると思うが俺は妻子持ちだぞ。それはさすがにヤバくないか? 躊躇する俺をよそに、優子は俺の手を取ってツカツカとホテルの一室に俺を連れ込んだ。ホテルの広い部屋のテーブルに頬杖をつきながら、優子は話し始める。どうでも良いが、開いた胸元の谷間をチラチラさせるのはやめて欲しい。


「話と言うのはね。ヒロくんに私のIT系列会社の一つを任せられないかな~って事なの」

「任せるって簡単に言うけど、それってつまり?」

「代表取締役って事ね。もちろんお給料やボーナスもはずむわよ」


 ITってなんだっけ? 確か最近流行のパソコンとかスマホとかで……。あ、いわゆるインターネットって奴か。この時点で俺はすでに門外漢だ。


「俺はIT関連なんぞ全く無知だぞ。その俺に社長なんかが勤まるとでも?」

「大丈夫。部下のサポートもしっかりしてるから、ヒロくんはただどっしりと椅子に座っててくれれば良いだけ」

「そりゃあ有り難い話だけど、なんでそこまでしてくれるんだ?」

「まあ、幼馴染が困っていれば、放っておくのも可哀想でしょ? それに、借金の肩代わりとして、もう一つ条件があるんだけど……」


 優子はポッと顔を赤らめると、俺の手を握るなりググッと身を乗り出して、


「この私とお付き合いして頂戴っ!」


 俺の最初のイヤな予感は的中していた。しかしまさかこんな展開になるなんてどうした物か。咄嗟に二の句が継げないでいる俺だった。

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