6
綾香が一番仲の良い菜々子ちゃんが引っ越す前日、渡したいものがあるから今から行くと連絡がある。
菜々子ちゃんの家で友達数人が集まってお別れ会をしたあと、友美の家で綾香と菜々子ちゃん二人だけのお別れ会もした。
もう引っ越しの準備が忙しくなるから会えないだろうと思っていた綾香が飛び上がって喜ぶ。
「でも渡すだけ渡したらすぐに帰っちゃうみたいよ。引っ越しの準備があるしね」
「わかってる! わかってるけどもう会えないと思ってたから嬉しい!」
綾香と二人でエレベーターを降り、菜々子ちゃんたちが現れるのを待つ。
しばらくすると菜々子ちゃんとお母さんが現れ、マンションのエントランスで出迎える。
「ごめんね、急に。引っ越しの荷造りしてたら菜々子が、綾香ちゃんに渡しそびれていた物が出てきたって言うもんだから。どうしても今渡したいってきかなくて」
「はい! 綾香ちゃん!」
菜々子ちゃんが元気よく小さな袋を差し出す。
綾香がそれを受け取り、そっと開けると中から可愛らしい色合いの何かが出てくる。
金具の部分を持って綾香は目の前にかざす。
二つの実の部分はピンクで、実をつなぐ二本の茎は明るい緑色。
ラメでキラキラと光る、キーホルダー。
知っている。
友美はハッと小さく息を飲んで口元を手で押さえる。
「もらった! ママ見て!」綾香が友美にそれを渡す。
友美は手のひらで受け取る。
知っている。確かに私はこのキーホルダーを。
春の川原。生ぬるい風。前髪の寝癖。艶々のほっぺ。
「さくらんぼ。離れても、ずっと繋がってるよって意味だよ」
菜々子ちゃんが言う。
綾香は嬉しそうにうなずいて、二人は笑いあう。
陽子ちゃんだ。
陽子ちゃんが修了式の日、川原で私にくれた、さくらんぼ。
友美にはまるで、何十年の時を経て手のひらにふたたび陽子ちゃんからさくらんぼのキーホルダーが届いたように思えた。
さくらんぼを友美が受け取った時、陽子ちゃんは最後に言ったのだ。
「友美ちゃん、あのな、わたしな。転校してきて初めて会ったとき、友美ちゃんわたしに笑いかけてくれたやろ。あのとき、ああわたし、この子と仲良くなりたいなぁって、思ってん」と。
母が再婚して、どうしようもなく寂しかったあの頃、陽子ちゃんに出会った。黙って耐えることしか知らなかった私に、自分の気持ちを言っても良いのだと何度も何度も教えてくれてくれた。
「綾香ちゃんのママ泣いてるよ」
「ママ……どうしたの?」
あんなにも真っ直ぐに、私に向き合ってくれた陽子ちゃん。
その真っ直ぐさを受け止める強さがなかった自分。陽子ちゃんが眩しくて、羨ましくて、少し、こわかった自分。
「……ごめんね、ママ、寂しくなっちゃった」
「やだ、池上さんが泣くから私まで」
菜々子ちゃんのお母さんも泣いて、目頭を押さえる。
「もぅ!なんでママたちが泣くの?」
「へんだよねー!ははは」
綾香と菜々子ちゃんが手を繋ぎ合って笑う。
「手紙書くね」
「うん。私も書くね」
「おばちゃんも菜々子ちゃんに手紙書こうかな。寂しいから」
「うん! 書いて書いて!」
あのとき陽子ちゃんに伝えれば良かった。
私もそうだったんだよ、陽子ちゃんを初めて見たとき、ああこの子と友達になりたいって、思ったんだよと。
「新しい住所、LINEで送りますね」
「ありがとう。待ってます」
お母さんに手を引かれ帰っていく菜々子ちゃんを友美たちは見送る。
奈々子ちゃんも綾香も、また明日会えるみたいに明るい笑顔で手を振りあった。
「寂しくないの?」エレベーターホールに戻り、上向きの矢印のボタンを押して、友美は綾香に訊く。
「寂しいよ。でももっと寂しいのは菜々子ちゃんのほうだよ。新しいところに一人で行かなきゃならないほうが、寂しいに決まってるよ」
最後に笑った陽子ちゃんの寂しそうな笑顔を、友美は思い出す。
「そうだね、本当に、そうだった」
「ん?」
不思議そうに見上げる綾香の髪を、友美は微笑みながら撫でた。
了
三月のさくらんぼ 楓 双葉 @kaede_futaba
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