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『次年度役員選考会のお知らせ』と書かれた封筒を娘の綾香が持ち帰った。
友美にはまるで赤紙のように感じられる。
うわぁ、と声をあげる友美に綾香が「どしたの? 悲しいお知らせ?」と無邪気に訊く。
「悲しい、すっごく悲しいお知らせだよこんなの」
「元気出して」
綾香は友美の顔をのぞきこみ屈託のない笑顔を向ける。
「頑張れるかな」
友美は綾香に笑いかけ、カレンダーに視線を移し書かれていた役員選考会の日付を見る。
一年、二年、三年となんとかPTAのクラス代表になることから逃れてきた。クラス代表に選ばれるとその中から会長、副会長をはじめとした役員が選出される。懇談にはなるべく出席せず、現役員の人たちに名前を覚えられないよう心がけた。しかし毎年あいうえお順で早い並びの名前の人がクラス代表に選ばれていることを友美は知っている。推薦状に誰かの名前を書かないと自分が立候補したことになる。だからみんな名簿の上のほうにある名前に適当に丸を付けるのだ。名字が池上の自分にもおそらく近いうち回ってくるのではないかと危惧していた。予感が的中した。
去年役員を務めたママ友にクラス代表に選ばれたことを知らせると、「PTAのドンには気を付けてね」と返信があった。
考えるだけで気が重くなる。
夫にその事を話すと、とりあえず流されておけば良いんじゃない?とのんきに言った。所詮他人事なのだろう。母から今度綾香を連れて遊びにきなさいと催促のLINEがくる。綾香はじいじの作るプリンが大好物だから「行く!」と喜んだ。夫も「お義母さんのオイルサーディンが食べたいなぁ」とリクエストしてくる。母にプリンとオイルサーディンをお願いしますと返信すると、任せてと明るいスタンプとともに返ってきた。
友美と父は血の繋がりがない。小学三年生の時母が再婚した相手だからだ。けれど実の父でないことを、もはや周りの誰も知らない。夫はもちろん知っているが友美自身も時々忘れてしまうくらい違和感なく父として存在している。綾香にはまだ話していないが、その事を話したところで悲しませるようなことはない自信がある。
平日の午後、実家へ行く時の手土産を買い、ついでに普段は買わない高級なチョコを買ってみた。綾香も大好物だから学校から帰ってきたら一緒に食べようと綾香を待つ。
もう帰っても良い頃なのに綾香の帰りが遅かった。心配して友美が待っていると、ガチャリと玄関の開く音が聞こえ、綾香が息を弾ませて言う。
「ママ! 猫飼っていい?」
「何?」
「猫! あのね、菜々子ちゃんとみつけたの、竹やぶのとこで」
「捨てられてたの?」
「そうみたい。箱に入ってた。ねぇ、飼っていい? だめ?」
「だめよぉ、猫はダメだって、マンションの決まりだし」
「そうだよね」
綾香は素直に友美の言い分を聞き入れ、諦めてランドセルを下ろし部屋に置きに行く。そのまま洗面所で手を洗いリビングに戻ってきたので、「美味しいチョコあるよ」と友美は綾香に言った。
自分のコーヒーを淹れ、綾香のジュースを注ぎ入れながら妙な胸騒ぎに襲われる。
「ねぇ、菜々子ちゃんと、何て言って別れたの?」
「じゃあねって言ったよ」
「その前よ、お家で飼えるか聞いてくるとか、菜々子ちゃんも聞いてきてとか、そういうことを言わなかった?」
「言った言った!どうしてわかるのママ!すごい」綾香は嬉しそうに二つ目のチョコを口に入れる。
「それで、また戻って話そうって言わなかった?」
「あー残念ー!それは言ってない」
茶化す綾香に友美は苛立つ。
「ねぇちゃんと答えて。今日はこれで終わりねって、また明日ねってきちんと別れたの?」
「じゃあねって言ったよ」
「じゃあねって、じゃあまた後でねっていう意味じゃなくて?」
「わかんないよ、いつもじゃあねって言うもん、菜々子ちゃんとバイバイするときは。ママどうしたの?」
不安そうな綾香の顔を見て友美は我にかえる。
「そっか、ごめん、なんだか気になっちゃって」
友美が笑うと綾香も安心して笑った。
それから友美は夕食の準備に取りかかる。米を研ぎ、水を入れる段になって自分が入れた米が二合か三合か一瞬わからなくなる。
「やっぱり見に行こう」
寝転んで絵を書いていた綾香がきょとんとした顔でこちらを見る。
大根を下茹でするために沸かしていた鍋の火を止める。
「気になってだめだわ」
友美はエプロンを外しスマホを持つ。菜々子ちゃんのお母さんのLINEに急いでメッセージを打つ。
――菜々子ちゃん帰ってる? 綾香と中途半端なあいさつをして別れたらしいから気になって
「なにが気になるの?」
「猫よ猫。猫が気になるの」
友美は綾香に嘘をつく。本当は猫なんかどうだって良かった。菜々子ちゃんが一人で猫のところに戻ってきているような気がしてならないのだ。
「一緒に見に行く!」
綾香に上着を渡し、スマホと家の鍵だけを持って友美は家を出る。
どうして自分がこんなに必死になっているのか友美にもわからなかった。
けれど、暮れていく寒空の下、心細い顔で綾香を待ち続ける菜々子ちゃんの姿がありありと想像できた。
綾香に案内してもらい、猫がいた場所へ向かう。歩を早め次第に走り出す綾香が「いない!」と叫ぶ。
友美は菜々子ちゃんの姿を探す。
「ここにいたんだよ、猫」
綾香が指差す先には何もない。
「……そう、誰かが拾ってくれたのかな」
言いながら友美がスマホを見ると菜々子ちゃんのお母さんから返信が来ている。
――帰ってるよ! 綾香ちゃんは?
「良かった……」
友美はホッとし、綾香はとっくに帰っているよと返信する。
「何が良かったの、ネコ、いなくなったのに」
拗ねたように綾香が言い、友美はスマホを閉じる。「飼い主が見つかったのよきっと」
「そうかなぁ」
「そうよ」
すっかり暗くなった道を綾香の肩を抱いて寄り添って歩く。
「お腹すいたね」
「うん。あ、そうだママ、菜々子ちゃん転校しちゃうんだって」
ええ!と友美が大きな声を出して、すれ違う人がこちらを見る。
「そうなの、なんで」
スマホをもう一度開くと、菜々子ちゃんのお母さんから再びメッセージが来ていた。
――急なんだけど、主人の転勤が決まったので春休みに引っ越します。良かったらそれまでにうちに遊びに来ない?
「わーん行く行く、やだぁ、ほんとなんだ」
スマホの画面を自分も見ようと綾香が友美の腕にまとわりつく。
二人で菜々子ちゃんのお母さんからのメッセージを読み返して、「さみしい」と先に声に出したのは友美のほうだった。
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