第8話 砂の民
荒涼の風が吹きつけて、草も
本来住むべき土地ではない魔物がいる森の中で、マルテの民の手で作られた仮の集落を
生活圏の拡大と、集落に残った仲間を魔物から身を護るために生活拠点を発展させようとしたが、人質を盾にされ阻まれている。食料も狩りで取れるものにも限度があり、香辛料や薬を求めてロッソ前の城門越しで、兵士と物々交換を行って
だから自称記憶喪失の少年に対し、ある点で同情はしても黒豹たちが他種族を保護する余裕などないのだ。何より彼ら砂の民と
砂混じりの土を蹴りながら、一族の若い男が遅れてやってきた彼女を気にかけて、
「シトリー、どうした?」
黒豹の一頭が仲間であり、少年を襲った最年少の獣であるシトリーに対して声を掛けた。
だが、その声に気づいていないようにシトリーと呼ばれた豹の子はボソボソと喋る。
「…………ごい」
「何?」
「すごいよ! あの子!
飛び
「あの坊ちゃんの事か? あぁ。しっかし、なんかカワイソーだよな」
マルテ王国の国旗に描かれたグリフォンとは、この世界に
鳥の足に捕まれた蛇を表す奴隷の焼き印は
「背中のバカでかい傷……。誰に何をされたら、ああなるんやら」
奴隷の焼き印の代わりに酷く痛々しいモノを見つけてしまい、その背を見た時は一同が言葉を失ってしまった。烙印と同じように一度受ければ二度と、身体と……何より心に残るであろう。
「事故で負って出来た傷には
前方からもう一頭が速度を落とし、並走して会話に入った。低い女声で話し、忌々し気な視線で
「やっぱそうかねぇ、鞭だか何だかで何度も打ったんだな。あの大きさの傷だし。……あんな傷でよく動けるよ。……いや、動かないと逃げれなかったのかもな」
記憶喪失だと言った少年の言葉の真偽はわからないままであるが、どちらにしても脱走したのであろう少年をマルテへ送る気にはなれなかった。傷を負わせた何者かがいるはずで、例え親でも雇い主でも、そんな相手がいる場所に帰すなんてしたくはない。
脱走したと断定した理由は、この辺りで一番近い街は王都ロッソであり、他は北部へ進み山と森を抜けないと村はないからだ。しかも村へは馬で何日も走らないと辿り着けない距離がある。それに森の獣は子供では危険な相手で、縄張り意識の強い魔物などが見逃すとも思えないのもある。ゆえにロッソ出身の子供であることは間違いないと一同は決めつけたのであった。
魔人族の英雄――ボルヴェルグがその背の傷に同情し、保護すると言ったことは驚いたが同時に助かったと彼らは思っている。噂通りの騎士であるならば、情に厚い男であるはずだ。他の種族は信用ならないがあの男は不思議とその雰囲気と顔つきから信じることが出来た。何より彼らは保護するだけの余裕もないので、どちらにしても少年を見逃す以外の術を持ち合わせていないのであるが。
しかし、少年の背には酷い傷痕があったが、シトリーはそれについて嬉々として話していた訳ではない。
「そっちじゃないよー? 族長ー、気づいたでしょー?」
何の事か分からなかった他の獣たちは、不思議そうな面持ちのまま、先頭を走る族長を見やる。すると、先頭を駆ける一族の長たる獣刃族の男が静かな口調で問う。
「…………我が子らよ。シトリーと小僧、最後にあの魔人族に邪魔されなけれなどうなっていたと考える?」
血の繋がりはなくとも絆が確かにある
――『シトリーの一撃で少年は死んでいた』と。
「普通はそう思うのが
「ん? あの
空気が北の大地の寒風の如く、一気に冷めては凍り付く。
種族の減少を受けてからは彼らは無駄に命を散らすことに対して誇りとはしていない。冗談でも仲間や自身の死を言葉にしてはいけないとさえ考えているのが正常だ。
「おいおい、冗談はやめろって……」
「子供の
いくらなんでもその見解は無理があるだろうと他の一族は皆、呆れて溜め息を吐く。
シトリーが自身の攻撃を
他の仲間から少し冷ややかで怒りが
「相手してみればわかるよ。途中、あの
瞳の変化は数秒間だけであったが、確かに少女の記憶に刻まれていた。闇の奥底のような
――
ひとりの世界に入る彼女を無視して、他の黒豹たちは納得がいかない顔で再び族長の方を向き、次に出る言の葉を待つ。
「
今まで通り、族長は感情の起伏のないような声色のままで小さく頷いた。
「あの小僧の奥底に眠る何かによって、シトリー……お前は死んでいた」
先ほどより更に空気が凍り、日差しの中でもおかしな寒さを感じる、とても深刻な雰囲気となった。数十秒前までの笑える空気すらない。大方説教の文句が飛び出すだろうと思っていたが、出た言葉が予想を反していたのだ。一族の長として黒豹の団体を引っ張てきたこの男がくだらない冗談を言う者ではないと彼らは知っている。若者は目を剥いて驚き、他の者たちも言葉を失ったさ中、シトリーは「やっぱりー?」と何故か嬉しそうに笑っていた。
「もしも……、もしもあれが目覚めたとなれば、我らの全滅は避けられん。ゆえに
声色も様子も変わらないが、どことなく忌々し気に族長は続けた。
「あ、あの……あ、“あれ”とは……?」
「さぁてな。この世の理と違うもの――『魔王』の類か、あるいは真逆の存在か」
大陸の真ん中に空いたクレーター、斬り落とされた連なる岩山、今も
六つある大陸に残った傷は何百年経とうとも、未だ癒えていないのだ。
「いつ目覚めるか分からん荒神だ、マルテに渡すのは
野性の
――だが我は……“我ら”のためにまだ滅びる訳にはならぬ。
一族を導いている途中で死ぬ事は、大切なモノを
そうして族長が選んだのが、偶然現れた英雄と称される救国の騎士――ボルヴェルグに託すという一種の博打だ。彼もおそらく少年の中の何かに気づいていると踏んでだ。族長は、実はボルヴェルグの
無責任な話だが、おそらくあの少年の背の傷を理由に
その宿っているモノの正体や少年の出自も気になるところであるが、族長は眼前の問題に取り掛かる――……というより、今から問題にぶち当たると覚悟を決めた。一番最後に遅れて合流した問題児の表情から察するのは、さすが長年族長を続けていただけはあるだろう。
この一団の中、ただ一人――族長と血が繋がっている娘、シトリーは父に向かって言う。
「
「…………何だ?」
ここまで表情の変化が
荒地を一気に駆け抜け、話を聞かずに終えようかと一瞬考えたが、問題の先送りになるだけだ、とすぐ同時に答えに辿り着いた族長は諦めて娘の言葉を待った。
「あたし、将来あの子と結婚するね」
場の空気は、もうこれ以上ないくらいに冷え切った。覚悟と予感を感じていた父は大きく溜め息を吐き、
「「は?」」
他の獣たちは一瞬で訪れた氷河期に面食らうしかなかった。他四匹の言葉が重なり合う。
族長は頭痛でどうにかなってしまいそうだったが懸命に言葉を絞り出す。シトリーが何を言うかは分かっていたが、さすがに面と向かってそう言われれば父として堪えた。
「…………そう言うと思ったから離れたのだ」
ボルヴェルグに押し付けて離れた理由のひとつであった。
娘の様子を過敏に察知し、場を混乱させるのを避けるべく、即座に移動を開始したのだ。
「うん、知ってる」
次の瞬間、黒豹の姿が変わる。それはまるで声と似合っている少女の姿であった。うなじが隠れるくらいの
「あたしが一人前になったら、
荒地に吹く風に揺られる黒髪と、少しだけ浅黒い肌に麻の服を身に
場が戦慄する中、父親である族長は鼻で笑った後にいつもと変わらない声で返す。
「……あぁ、弱ければ……。弱ければ必ずあの瞳の奥にいる“怪物”に喰われるだろう。せいぜい
――純血を守るとは言っていられる
諸国の
そうして族長として言葉を投げ掛けたが、父としては複雑な気持ちのまま、集落へ戻っていった。
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