第7話 刻印

 荒れた地面の上、燃え上がる太陽の下にて。

 身長が二メートル弱もありそうな筋肉質の褐色の肌と尖った耳を持つ禿頭の男――ボルヴェルグに、見知らぬ少年が服を全て引んくられて数分が経った。


「――ないな」


「…………ないですな」


「ひどいよ……こんなのってないよ……」


「元より上半身は裸マントだったろうに」


「全裸とはわけが違う!!」


 マルテ王国の国旗は『蛇を前足で掴むグリフォン』がかたどられている。それに準じて奴隷にほどこす焼き印は『鳥の脚に捕まれた蛇』という悪趣味なモノであった。支配対象であることと、国のどこへ逃げても一生その爪からは逃れられないという恐怖を刻むという意味も込められている。

 男の手で、身ぐるみを綺麗にがされた少年であったが、身体のどこにもそれらしい焼き印は見つからなかった。前も後ろも、全身くまなく調べられたが、結局は蛇を模った奴隷の焼き印はなかった。(年相応のモノはついていたがさすがに蛇と呼ぶには相応しくないだろう)何匹かの豹が凝視されて新手のトラウマが生まれそうだ、と少年はぼやく。

 脱がしてきた張本人に、身体に痛みはないかと心配されたが少年は身体よりも心が痛いと吠えた。

 服は着直したが、何か大切なものを奪われたような気分がしてならないと落ち込んでいる少年を余所に、大人たちは会話を続けた。


貴殿きでんらは何故マルテに協力を?」


「……部外者に話すほど面白い話でもなし、大した理由ではない。気にするな」


誇り高い獣刃族ベルヴァの、特に一族としての矜持きょうじを重んじると言われている黒豹の化身――『シーの民』が人族ウィリア至上主義を掲げるマルテと敵対関係ならいざ知らず、協力の盟約を結ぶなんて本来あり得ない状況なのである。しかし、それを話そうとしない族長オサに、無理に聞き出す理由もないボルヴェルグは不審ふしんに思いながらも、無関係である自分がこれ以上深入りするのは迷惑が掛かると判断して、納得することにした。


「ではこの童がマルテの奴隷ではない場合は……?」


ボルヴェルグの剣を握る手に少し力を込める。

 極めて自然に、気づかれないように。もしもを想定してだ。

 まだ戦わせるというならば大人げないが乱入して止めるし、“奴隷に落とす”というならば死体が少なからず一つは生まれることを意味していた。


「た、食べても美味しくないぞ!?」


「食わんわ人間なぞ。奴隷であれば引き渡せば食料などは貰えるがな。だが我らはそれ以上の加担かたん可侵かしんもしない関係だ」


少年の言葉に族長は少し不機嫌そうな顔で反論をしたが、元より襲ったのは自分たちであり相手が子供であったためか、徐々にどことなく声音は大人しめになっていた。

 それを聞いて、ボルヴェルグはそっと力を抜いた。奴隷に落とすといった行為を目の前でやられれば気分も悪いものであるが、彼らはそれ以上はやらないと言った。

 獣刃族は正直者が多い、嘘をつかないといった固定観念に近いイメージを抱いていたボルヴェルグはそれに従い信じる事にする。


 ――彼らは童の背を見た時の反応から信じてもいいだろう。


 そう思いながら男は静かに頷いた。


「だいたい小僧――貴様、何者だ? マルテの国民であれば我らの存在を知っているはずだが……。どうにも、その様子もなかった。初めて訪れた他国の商人……の様な風貌にも見えんしな。マルテの者あらば、既に我らに何かしら連絡が入るはずだ。それに……――」


獣の族長はほんの少しだけ声色が下がり、そこで言葉を止めた。言うべきか言わぬべきか、というより触れていい案件なのかと迷い、考えあぐねては言葉に詰まる。

 それに気づいたボルヴェルグは族長と共に少年を見やると、二人の大人から疑問を投げつけられたからか、少年は少し困ったように視線を外す。

 少年は頭の中の知識を総動員したが、マルテ王国の関する知識が浮かばなかったのだ。それどころか現状が飲み込めていない。

 マルテ王国の国土はさほど広くない。三方は海に囲まれていて、北には長らく続く荒野の奥に森と山が広がっている。湾岸となっている西海は隣国との境界線もあるため警備が厳重で東海と南海は魔物と呼ばれる生物がいるため生身で飛び込むのは自殺行為だ。即ち大抵の者は大陸が繋がっている北を目指すしかない。国の最北がマルテ王国の王都ロッソが構えて、南に幾つか村や街が点在している。

 王都ロッソは現在地からは半日も掛からない距離だ。少年は後ろを見る前に転んだため、気づかなかったが背後を見れば薄っすら何か人工物が見えたはずである。それが堅牢な石造りの壁が並んで出来た――外敵の襲撃を防ぐための防壁となっている。

 マルテの奴隷階級ではない国民ならば、ロッソの北に獣刃族ベルヴァがいることを知っている。もし襲われた場合でも、自分がマルテの国民だと名乗れば一応話し合いにはなっていた。今回は相手が子供であるため、そう名乗った場合でも国へと戻されるのは確定的であるが。

 国外の者――商人であれば荷馬車に乗って整備された街道を進むはずで、万が一遭遇しても獣刃族は通行証の開示を求めるだけでいきなり襲う事はない。

 荷馬車もなく、子供が一人で歩いている時点で怪しいと感じた彼らは、まずは身柄の確保から行おうとした。……大方、奴隷であると決めつけていたが。

 

 族長は一族で一番幼い黒豹の子に、経験を積ませるべき背後から奇襲を命ずる。後ろから飛び込んで抑え込み、奴隷であると確認して、簀巻すまきにでもしてマルテの送ろうと考えていた。一連の行動を彼らは“狩り”と称していたが、亡くなった者はいない。今まで全てが成人男性であったが倒して捕縛し、全員をロッソの城門前まで運んでいった。その後は石造りの城門の上――歩廊からマルテの兵によって投げられた縄で奴隷を結んで引き渡す形となっている。そうするのは万が一でも獣刃族を中に入れないためにある。鍛えた兵とて、風を纏い、嵐の如く爪を振るう獣を相手にしたくはないのだ。


 此度の相手は子供であるが普段通りに職務としての“狩り”を実行したのだが、そこで様々なイレギュラーが発生した。

 一つは少年が、黒豹による最初の飛び掛かり――背後からの奇襲を避け切ったことだ。襲撃に失敗した若い豹の戦士は混乱した。子供であるから実は加減をしていたのだが、失敗する距離や速度では決してなかったからだ。もう一つは一方的な攻めであり時間的には極めて短い間であったが、黒豹の攻撃をかわし続けたこと。

 混乱やプライドにより徐々にムキになって本気の攻撃を繰り出し始めた豹の子の攻撃を回避したことに一族全員が驚きのあまりに、動くのが遅れてしまった。更に近づく存在に気付くのが遅れた失態は、族長自らを何かしら罰を受けねばならぬと反省している。

 最後のイレギュラーである魔人族メイジスの英雄、ボルヴェルグの登場。場は混乱を極めるかと思われたが、彼のお陰で事態は収束し進展したに見えた。


 族長が言葉に詰まり、暫し誰も言葉を発しなかった。風の音だけが響く。

 その沈黙を破ったのは問題の当事者であった。


「あの……、その……何というか」


言い淀む少年にボルヴェルグが声を掛けたところ、少年は頭を掻くように手をまわし、


「あの……信じて貰えないかもしれませんが…………記憶が、ないみたいです」


と申し訳なさそうに言った。

 ここに来て、更に油を投げ打って問題を大きくし始める。

 少年の言葉により衝撃と動揺が走る。大人たちは本格的に顔を歪めて困り始めた。

 しかしそのお陰で、彼らの中で描いた物語ストーリーがパズルの欠片ピースのようにはまっては、完成されていく。それは勘違いから生まれた解釈であったが、少年にとっては都合のいいものであった。


「記憶喪失、……か」


「迷子、にしては村は山を越えた先だしな……。やはりマルテの……」


思い思い、重い面持ちで考え始める。場の空気すら明らかに、身を引きずる様な重みを持ち出した。彼らは少年の身体に奴隷の刻印がないのは確認したが、その際、背中を見た時にあるもの、、、、を見てしまったのだ。いや、誰もが目に入ってしまい背けたくなるものであった。ゆえに生まれた誤認識――。

 それに気づかず少年は記憶喪失であると口走った事を後悔し始めた。


 ――まずい。記憶がないから近くの街に連れて行ってもらえると思ったけど、そう思えば、村は山を越えた先だって? 冗談じゃない。このままだと一番近いのはマルテって国――奴隷制のある、こんな喋る動物がいる国なんて怖くていられないぞ。


 端的に言えば、少年は“嘘”をついたのだ。記憶はある。だが“ここ”を知らない。否、この世界を知らないのだ。


 そうとは知らず、場にいる多くの者が想像した事の顛末てんまつは悲惨なものであるから大いに同情し、ボルヴェルグは決断した。

 彼には、少年を見捨てることができなかった。


「童。俺と一緒に来ないか?」


その言葉に、少年は驚き目を見張って禿頭の男を見た。

 何故、褐色肌で禿頭の大男ボルヴェルグが、見ず知らずの少年をさそう――救おうとしたのか、分からなかった。男は小さく頷く。少年の顔には困惑が宿っていた。

 興味、誤解、同情、義務感。様々な感情から生まれ、差し出された手。少年は罪悪感を覚えながらもその手を掴むことにする。ここに残っても意味もない。何より黒豹の集団を追い払うだけの力を持つ男より、襲ってきた獣刃族ベルヴァたちが怖くて彼に同行する事が最善の選択であると考えての行動だ。

 小さく首を縦に振る少年に対し、褐色肌の禿頭の男は鷹揚おうように頷いた。そしてボルヴェルグは獣刃族ベルヴァ族長オサに確認を取る。答えは態度からわかりきっているが、一族を収める者に、狩りを行った対象を奪う許可を頂こうという形式上の確認だ。


「私が彼を、連れて行ってもいいですな?」


「――あぁ、奴隷でないなら襲う理由も、救う理由もない。まして子供とて種族の違うものを助ける義理はない。貴様が救った命だ。自由にすると良い」


獣刃族ベルヴァ族長オサの言葉に対し少年としては勝手に殺しに掛かってきた事に対する謝罪が欲しかったところだが、喋る黒豹相手にそこまで言う勇気は無く、不満気な顔をするので精一杯であった。

 実を言えば、彼も彼なりに気を掛けて場を離れたのである。しかし、一族の長として責務がある彼はまず“仲間の命”を優先させるべく、


「我らは我らの森に帰る。貴様らは北東に進め。いずれ街道に繋がる道が見えてくるはずだ」


そう言い残すと、黒豹の族長はあっさりと北西へと走り去っていく。まるで未練もなく、すぐさまその場を離れたい一心で。大地のすぐ上を翔ける夜闇のように、残像たる黒い帯を残して黒豹の族長は離れていった。その後ろへ追うように黒豹の子分たちが走って粒ほどの大きさになるまで時間が掛からなかった。

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