2018年3月16日 2話

天城には嫁が居たことがある。結婚は一年続いた、嫁は親が連れてきた相手で、家柄がいいだけのつまらない女だった。毎日天城の世話を文句も言わず黙々とする、何を話しかけても「そうですね」としかいわない。一年暮らしても一向に気持ちが通わない。一年後に突然おかしな病で死んでしまった。身体の傷から毒が入ったのだ。一日苦しんで嫁は死んだ。気持ちが通わなかったとはいえ、天城にとっては大事な家族だった、天城は三日間泣き暮らした。


嫁の記憶で印象的なことがある、ある日、庭で嫁が独り月を眺めていた、そしてはらはらと涙をこぼすのだ。竹取物語のようだと天城は思った。嫁に声をかけようか迷っていると、嫁は天城の存在に気づいて、慌てて涙をぬぐった。嫁にも感情があるということを、天城は初めて知って、ほっとしたのを覚えている。


あっ、と天城は思った。瓜生が誰かに似ていると思ったら、嫁ではないか。今では並べて比べることはできないが、そっくりだと思う、なぜそんなことに今まで気づかなかったのか。瓜生が屋敷をふらふら歩いていてもさほど違和感がなかったのはそのせいかと合点がいった。


「瓜生、俺には嫁が居た」天城は暇そうにごろごろしている瓜生に話しかけた。「今日気づいたんだが、お前によく似ているんだ」瓜生はこっちを見ないでさらにごろごろした。「別嬪だったんだね」という瓜生。そうかもしれない、天城は女というものは嫁しか知らない。他の女の顔がどうなのか比べようと思ったこともない。顔というものに無頓着な質なのだ。


「嫁さんは幸せだったんじゃないのかい?」瓜生は続ける。「わからない、俺は無愛想だから、嫁にとっていい亭主だったかはわからない」天城はいった。「幸せだったさ」瓜生はいう。「天城はいい男だもの」そういうと淋し気に笑った。


翌日、瓜生は姿を消した、あの茶碗も消えていた。嫁の遺品だ。瓜生が持っていったのかと天城は思った。瓜生はどこか地に足がつかない、ふわふわした男だったから、何も告げずに去っても違和感がない。だけど、さっぱり忘れるほど、天城は冷たい男ではなかった。


村を歩き回って瓜生の姿を探した。街道まで出向いて、瓜生の姿を見かけなかったか尋ねた。しかし、とんと消息がつかめなかった。居ないとなると淋しさがつのった。そうこうするうちに半年が経っていた。


深夜、妙な気配で天城が目覚めると、空気の中に血の匂いが混ざっている。天城はがばりと身を起こした。障子をあけ放ち庭を見る。月明りで庭は明るく照らされている。障子を開けると血の匂いが強くなった。木の影に誰か居る。天城は刀を持ち構えた「何者だ?」「そこに誰か居るのか?」虚空に声をかける「狐さ」弱弱しい声が、聞こえた。聞き間違えるはずもない。瓜生の声だ。


庭の木にもたれかかっていた瓜生は、刀傷で血だらけだった。天城はあわてて、駆け寄ると、抱きかかえて屋敷に運んだ。「天城、私はもう長くない」瓜生はそういうと、天城の唇を求めた。「気弱なことをいうな」「しっかりしろ瓜生」口を吸うと血の味がした。「どうしてこんなことに」天城は薬を持ってきて、瓜生を手当てした。「私は、狐なのだ」瓜生はいう。「冗談をいっている場合か」天城は怒りを感じた。「そうではない、狐というのは私の仲間のうちの隠語だ」「密かに人を探ったり、殺したりするそういう仕事なのだ」

「天城、お前は長く狙われていたのだ」瓜生は苦し気な息づかいで、語りだす。「あるものがお前に濡れ衣を着せたのだ」「お前が藩の城主の命を狙っているという濡れ衣だ」「だから妹はお前に近づいて調べていた」天城は驚いた「妹?」瓜生はいった「そうだ、お前の嫁は私の妹だったのだ」そこで瓜生は大きく息をついた。「妹は可愛い女だったよ、お前にいうのは心苦しいが、私たちは恋人だった」「妹は私を心から好いていた。だからお前には無愛想だったかもしれない。悪かった」


「妹は、天城に悪い心はないと何度も報告していた。それが気に入らない奴が居て、妹は無残に殺された」「私はお前が妹を殺したのだと聞かされた、そして仇を討てといわれてここに来た」「だけど、それは嘘だとすぐにわかったよ」「天城、私を許してくれ」瓜生はそういうと目をつぶった「死ぬな、瓜生」天城は瓜生の身体を抱き寄せた。「死んだら、裏山の稲荷神社に葬ってくれ」それが瓜生の最後の言葉になった。


翌朝、天城は瓜生の亡骸を持って稲荷神社に向かった。稲荷神社の境内は誰もおらず、静かだった。ふと賽銭箱を見ると、見覚えのある茶碗がぽつりと置いてあった。嫁が使って瓜生が持ち出したあの茶碗だ。どこにも欠けはなく綺麗なままだった。


天城は瓜生を葬ると、屋敷に戻って旅支度をした。遠くに行きたい。ここを離れ、旅から旅に暮らしたい。愛するものを二人も失うのは天城には堪えた。茶碗を布で綺麗に包むと、ふところに入れた。そして天城はもう道場に戻ることはなかった。


(2018年3月16日 了)

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あまんじゃく 一日一作@ととり @oneday-onestory

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