表世界と裏世界 Ⅰ
真っ黒に染められた夜の世界。いくつかの連続音が重なり一つの音となって響く。ガチャっと音がした後、扉に埋め込まれていた魔法陣が次々と消えていく。それが全て消えてからドアノブを押し下げ、そのまま手前に引く。すると、ゆっくり扉が開き向こう側が見えてくる。
「ただいまー」
……って返事なんてあるわけないよな、ていうか返事が返ってきたらどうしよう。暗所恐怖症のへリクは訳の分からない事を勝手に想像し、一人で震え上がる。まず、家に入ったら速攻で鍵をかけ、廊下の明かりを付ける。
横幅は人がギリギリすれ違えるくらいの細さで、その先にはリビング。そして、途中の横にあるドアの先にはトイレと風呂がついている。設備はしっかり整っていてその上格安という超人気の高い一軒屋、少し強引な手を使って手に入れたのは誰もに言っていない。
廊下の明かりをつけた後は一通り家の中をぐるりと見て回る。トイレや風呂に誰かいないか、リビングの明かりをつけたら誰かいるんじゃないか、など心配な所を順番に潰していく。そして数分かけて家の中を調べて歩き、何も無いと確信を得たところでようやくへリクは椅子に腰を下ろす。
「はぁ……疲れた。一日の疲れを落とすにはお風呂かなぁ」
風呂に向かおうと立ち上がろうとした瞬間。
玄関からカチャカチャと何かを引っ掻くような音がした。へリクは一瞬硬直したがすぐに廊下の明かりをつけ、何故か足音をたてないようにゆっくりと玄関の扉に近づいていく。そして扉についている覗き穴から外を見る__そこにはうっすらとだが、真っ黒な姿のゴーストのような、影を纏った人型の様な何かが赤い眼をコチラに向けて扉を叩いていた。
「ひっ……い、今、目が合った……よな」
どうするどうするどうするどうするどうする……!!
何が起こってるのか、何をしたらいいのかを頭をフル回転させて考える。
あの黒いのはなんだ……! こいつめちゃくちゃ怖い! 扉壊されたらどうしよう! 入ってくるじゃん……! 本格的にやばい……そういえば……この家って障壁とかついてたっけ…………。
……つ、ついてない!てことはもう少ししたら壊されるんじゃ……?待て待て待て!それだけは絶対に阻止しねぇと。どうしたらいい、コイツはなんなんだ! どうにかここから遠ざける方法は無いか?
この間も扉を叩くことを辞めない
「影……影! ……光系統の
扉から一歩下がった所から一番レベルの低い光属性
いない……。いなくなったのか?
__パワーエンハンス
__アクセルエンハンス
__ステルス
いざという時のために、一応身体強化だけしてゆっくりと扉を開けて家の外に出る。扉を半分くらいまで開いた時、何かに音を立ててぶつかった。
__ひっ…………ん、ん?
なぜかそこには、傷だらけの銀色の鎧が落ちていた。しゃがみこんでそれの表面をなぞるように触る。
「なんでこんな所に鎧……な、んて……」
その鎧の中心部、ちょうど腹部のド真ん中らへん。そこだけが何かに叩かれたように大きく凹んでいる。
この傷って……まさか……。
その正体に気づいた__刹那、背後から鋭く尖った何かが飛んできた……が、背中に刺さること無く弾かれるようにして落下した。
背後から突然衝撃を受けたへリクはすぐさまその場から飛び去り、家の壁面に背中をつける。
そう言えば今朝、治安の悪い場所に行く事になったから念を入れて背後にバックラーっぽいの入れてたなぁなどと安堵の息を漏らす。
__助かった……なんだあれ……ナイフ、か? 俺がステルスを使っていたのにも関わらず的確に、しかも心臓の位置を狙ってきている。見た感じだが、この近辺に人はいない、気配も感じられない。とするとかなりの長距離からの投げナイフ……いや、狙撃ナイフだ。……この街にそんなことのできる実力者がいただろうか。
そう考えている間に別の一発が飛んできた。一度認識してしまえばいくら速かろうと避ける事は難しくない__避ける事だけに意識を集中させた場合は__のだが、このままだと埒が明かないので、二本目の狙撃ナイフが自分に直撃する寸前、それの側面に合わせてファイアショットを放つ。コチラに向かって飛んでくる超速のナイフをギリギリで避けながらも自分の放った遠距離
それは飛んできたナイフの軌道を辿るようにしてどこまでも飛んでいく。
__俺に向かって真っ直ぐ飛んでくるナイフ……それは自分と相手を繋ぐ唯一の情報。角度と左右を合わせてやれば相手の位置を逆探知をする事が出来る、と昔教えられたことがあったのだがまさか役に立つ時が来るとは思ってもみなかった。
相手が狙撃銃など、発射される物体が直線を描いて飛んでくる武器を使っている場合にのみ出来る裏技だ。
どこまでも遠くに飛んでいく道標はシャクナ城のてっぺん、避雷針のように真っ直ぐに伸びた一本の棒の上で何かにぶつかったように突然爆発し、その周辺が淡い赤色の光に包まれる。
「嘘……だろ……」
そこには狙撃銃の形をした魔導具を肩にかけた桃色の髪の女が立っていた。
女は頭上に閃光弾を投げ出現した球体の光に呑み込まれた。それが消えた時にはもう女の姿は無かった。
あの後、家の周囲を歩いて問題がないか一通り確かめてから家に戻ってきた。
「はぁ…………。アンズさん……何で……」
俺を殺そうとしていた相手が研究員のアンズさんだとは思わなかった。何故俺が今、狙われたのか……
__まさか……俺が
いくら考えても謎は深まるばかりだが、これ以上ノーヒントで考えても絶対に答えは出ない。
重くなった空気を一転させるためにもリフレッシュ出来ることを考える。
さっき出来なかったことをこれからやろう。
そう、風呂に入ることだ。
思い立ったらすぐ行動__着替えとタオルを持って僅か数メートル先の風呂場へと走る。目的地についてもピタリと止まることが出来ず少しオーバーするがドアの取っ手に右手を引っ掛けて急停止する。少しだけ戻ってドアの正面に来ると今度こそしっかりとドアを開き、へリクはようやく風呂に入ることが出来た。
この後、濡れた髪の表面だけを火属性の
─────
3月21日__権利争奪戦まで残り二日。
「はぁ……はぁ……このままじゃまずい!」
__私が……私が何とかしなきゃ!!
複数の金属音と水が蒸発するような音が一定のリズムを刻みながら近づいてくるのがわかる。それに合わせ自分の鼓動が早まっていく。
「みんな、コッチに来て!早く!!」
自分の焦りが皆にも伝わってしまうと分かっていながら、どうしてもそれを抑えることが出来ない。
普段とは一変したその態度に危機感を覚えた子供達は泣きそうになりながらも必死に走る。
「わたしたち……どうなっちゃうの?」
最後に横道を抜けようとした少女が走るのをやめて純粋な瞳を向けながら聞いてきた。
「…………!」
不意に投げかけられたその問は、エアリカに深く突き刺さる。答えは決まっているが希望的観測でしかなく、何かを守るためには何かを犠牲にしなければならない事も分かっている。
「……きっと大丈夫、あなた達は助かるから!ここには私がいる……だから、今はなるべく早く遠くに逃げて……!」
「……うん!」
少女は涙をふいて笑顔で頷き再び走り出す。その姿を最後まで見届けること無くエアリカはその通路を塞ぐようにして向き直る。
……あとはお願い……あの子の、あの子達の将来をシーラに託すわ……!
「だから……私は負けない!……またあの子達と笑って過ごせるように!」
「アドバンスド:パワーエンハンス!!」
運命に抗うため、彼女達の将来のためにエアリカは捨て身の反撃を開始した__。
─────────────
「シーラせんせー。わたしたちどこまでいくのー?」
「うーん……誰も追ってこない、すごーく遠い場所まで……かな」
交差点や曲がり角では必ず一度子供達の前に出て手を広げ動きを止める。そして周囲の安全を確認してから手を前に振って移動を促す。
「流石にここまで来たら追ってはきてない……か」
「せんせー、わたしたちなんでにげてるのー?えありかおねーちゃんはー?」
それを聞いて私は思わず歩みを止め意図せず最後に映ったエアリカの姿を思い出してしまう。
「……大丈夫。エアリカならきっと……」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
私は顔を軽く叩いて気合いを入れ直し、よしっと一声あげる。
「みんな、まだまだいくよー!エアリカにはまた後で会えるから今は遠くに行くことを頑張ろ! あ……そう言えばみんな、遠足ってした事ないよね? ……そう、これは遠足! みんなで仲良く歩いて遠くまで行くの」
それを聞いた子供達は目を爛々と輝かせながら声を上げて喜ぶ。
「えんそくー! みんなでーー!」
「そう……!遠足……楽しまなくちゃ」
「……せんせー、どーしたの?」
その言葉を聞いて自分の異変に気がついた。
「あ、あれ? なんでだろ……急に涙が……おかしいな!そんな……つもりじゃ。だ、大丈夫だから、ね!み、みんなで楽しも……ね?」
「……せんせーだいじょーぶ? かなしいこと、あった?」
子供達がシーラを囲むようにして集まってくる。それぞれの、小さい身体から発せられる言葉はいつもより大きく重く感じられた。
「……大丈夫よ!何でもないから。ちょっと疲れちゃっただけ……みんなも疲れてるのにね」
子供達に背を向けて左腕で目を擦る。そして、大きく息を吸ってゆっくり息を吐く。
「……頑張れ私!こんなことで挫けちゃダメ!もっと遠くに行かなきゃ……エアリカのために、この子達だけでも安全な所に連れていかなくちゃ。はい、みんな休憩は終わり!また歩くよー!」
子供達はピッタリと息を合わせて大きく返事をする。それから各々のペースで歩き始め、次第に笑顔が戻っていく。
「はぁ……ダメだな私……一人でも上手くできると思ってたんだけどな。エアリカはやっぱり凄いよ……私なんかよりずっと」
また、弱音を吐いてしまったと後悔した時__目の前にあった木箱の裏側から一人の男の子が飛び出してきた。それは子供達の中で一番歳上、先月十一歳になったばかりのクロ。どうやら、ちょうどここからだと死角になる位置に残っていたらしい。
クロはシーラを見つめ、子供達の意志を継いだかのように力強く話し始めた。
「ぼ、ぼくはそんな事ないと、お、思う!シーラ先生もエアリカお姉ちゃんみたいにカッコイイ!だから……まけないで?」
「……っでも!」
シーラから発せられた鋭い声に一瞬怯んだが、力を振り絞って更に続ける。
「……ぼく達は先生をだましたりしない!だから、ぼく達をしんじて!ぼく達も先生をしんじるから!」
私は、気がついたらクロを強く抱きしめていた。
「……そう……よね。……ありがとう」
「先生……く、苦しいよ」
「ご、ごめん! ……よし、クロも行こ、早くしないと置いてっちゃうぞ!」
「ま、まってよー!」
小走りの私を追い抜かそうと必死に走る少年、二人の声は次第に聞こえなくなっていった。
__知らないうちに立派になってたのね……全然、気が付かなかった。エアリカ……私も子供達も大丈夫、だから……あなたも頑張って……。
─────────────
__ガタン!
「いってぇ……」
目を開くと何故か床で大の字になっていた。
「……寝相、悪いのは変わってねぇのかな、俺」
昔、あまりの寝相の悪さに全身を毛布でぐるぐる巻きにされその上から紐で結んでベッドに投げ捨てるという荒技をされた事がある__そのあと、芋虫型のまま相手の上に乗り上げ意味はなかったのだが。
予想外の目覚めになったが、なんなく起き上がるといつもの戦闘服__鎧ほど丈夫ではないが、動きやすい一種の、服のようなもの__を着て起床してから僅か五分で家を出る。
「さぁて……今日は何をしようか。今はちょうど朝の六時、金も余ってるしモンスター討伐に行く必要も無い……」
一歩、外の世界に踏み込んだだけでやる事が無くなった。唸り声をあげつつ、何かやることがないか考える。
「天気もいいし、散歩でもするか! そういえば……昨日の掃除って正式な依頼だったよな!報酬たっぷり巻き上げてやらねぇと!すっかり忘れてた……」
よし、そうしよう! と、自問自答する。
__ついでにアルメリア行って魔導具デビューするかな! へリクはそう強く決意したのだった。
__俺の家からギルドまでってこんなに遠かったっけ……なんか物凄く長時間歩いてる気がする。
普段よりも歩く速度が遅くなってることに気が付かないへリクは歩きながらそんな事を考えていた__横から走ってくる子供に気づかない程。
不意に足元に衝撃がはしり横に吹っ飛ばされる。無意識で受け身をとり、間を置かずに両腕を身体の前にもってきて構える。
「いってぇ……な、何だ急に……こ、子供!?おい、大丈夫か!?」
ついさっきまで俺が立っていた場所に小さな女の子が腕から血を流して倒れていた。運悪く、人気はない。
女の子の所に急いで駆け寄り、だき抱えるようにして声をかける。
「大丈夫か? 怪我は今治してやるから!だから泣くな!」
俺は急いでヒールを女の子にかける。淡い緑色の光が女の子を包むと一瞬のうちに傷口が塞がり血が止まる。
「……おにいちゃん、だぁれ?」
鼻をすすりながら、無理やり絞り出したかのようなその声は少しぎこちなかった。
「お、お兄ちゃん……俺はへリク。ぶつかってごめん、もう痛いところはない? あ、あと君の名前、教えてくれる?」
「てぃあ。もうだいじょうぶ…………んぁ、シーラせんせーが、いたそうにしてたー」
「シーラせんせー?ってなんだ、まだ怪我人がいるのか」
言葉の意味を理解しているか怪しいとこだが、俺が話した後に女の子は正面の細道を真っ直ぐ指さした。
「ここからきたのー?」
「いや、しらん……多分、そうなんだろうね。君はここから走ってきたんだろ?そして俺にぶつかった……君はなんで走ってきたんだ?せんせー?とかいう人がいたんだろ。置いてきちゃって良かったのか?」
思わず一気に質問してしまった。こんな子供には難しすぎたか、と後悔していると……
「わたしはこっちからきたのー。せんせーはせんせー。まだいっぱいくるのー」
思わず感嘆の息を漏らしてしまった。見た目と知識量やら理解力やらが一致してない気がする。
「たくさん……何人くらいか分かるか?」
「……うーん、8にんくらい」
「よし、それが分かれば上出来だ!ありがとう」
俺は、女の子の頭を軽く撫でて立ち上がる。それから、女の子を少し乱暴に担いで横道を見つめる。
「よしっ、ひと仕事ありそうだ!時間もあるし、やってやるぜ……」
__アクセルエンハンス
「大丈夫。出来ることなら俺がやってやる、任せとけ!」
「……うん」
不安げな声だがしっかりと返事が帰って来た事に、少しだけ嬉しさを覚える。
__この先は何が起こるかわからない、俺も集中しねぇと。
へリクはティアという名前の小さな女の子を背負い走り出した。
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