Ⅵ 下


          *


 銃弾が飛び交う戦場から逃げ出した佐々木は、目的地である隣の部屋にたどり着いた。彼女の言った通り、部屋の中央には直径二メートル程の穴が開けられいた。

 切断面を見れば、コンクリートは爆発で脆くなり、金属は溶けていた。強酸をかけてもこんな風にはならないだろう。

「これは一体……?」

 思わずそう呟いてしまった彼であったが、すぐ後方から響いてくる銃撃音に背中を押され、脱出への一歩を踏み出した。

 三メートルの落下の後顔を上げると、そこは車が羅列されていた。味気ないコンクリートの柱、暖かみの無い白い蛍光灯。状況を見るに、どうやらここは地下駐車場らしい。

 佐々木は出口へ歩き出すために踏み出し、しかし、二歩目が出ることがなかった。

 この時、彼の頭をよぎったのは「ここで、行ってはいけない」という直感と、「サターンはどうして強盗になったのか?」という疑問だった。

 佐々木はコンクリートの壁に背中を預けながら考えた。


 あの三人は全員訳ありなのだろう。どうしてそんな事を言えるのか。

 彼は無意識に人間観察をしている事がある。例えば、すれ違った人の身なりや立ち振る舞いを観察し、職種や趣味などを推察する。その結果を統合し、一人の人物像として見るのだ。

 それを無意識に行うのだから、容疑者を観察する刑事の職業病と言ってもいいだろう。そして、無意識下で行われるその一連の流れは、彼女たち三人が何かしらの事情を抱えていると佐々木の中に結論付けた。

 三人の中で一番違和感が少なかったのはキューブだった。彼女たち三人の中で最も銃撃戦での立ち回りが上手く、引き金を引く時にも一片の躊躇いも見せなかった。日常では別だが、こと銀行強盗という特殊な状況に置いては一番まともだった。

 そういう意味では残りの二人はキューブとは違った。プレステはその大きな躯体に見合った身体能力があるようだが、キューブほど銃撃戦には慣れていない様だった。例えるなら、アスリートが銃を撃っている感じだった。

 サターンに関しても、銃の扱い方や射撃の正確性は群を抜いて上手いが、その技術の高さとは不釣り合いなくらい、進んで引き金を引くことはしない。

 否、射撃の巧さの割にというより、引き金を引きたがらない性格の割に銃の扱いが上手すぎるというべきか。


「僕はどうして−−」

  猫のような彼女の事が頭から離れないのだろうか。

 そう頭の中で考える一方で、心のどこかでは答えはもう自分の中にあるという思いも湧き上がってきた。

 ああでも無い。こうでも無い。と考えていると、とある可能性が頭をよぎった。

 ああ、そういう事なのか。

 彼は納得した様な、憑き物が落ちた様な表情を浮かべた。同様に、一つだけ訊きたい事ができたのだった。

 佐々木は懐へ手を伸ばす。指先に硬く冷たい狂気が触れた。

 その時、三人が駐車場へ姿を現した。まっすぐ、駐車場の一角に停まっていたバンへ走る。

 それを、確認すると佐々木は三人の元へ悠然と歩き出した。

 佐々木が歩み寄ってくるのに気がついたキューブは、視線でサターンに知らせた。

「サターン。アンタにお客さんだよ」

「私が対処しましょうか?」


 プレステの提案を首を振って断ったサターンは、マスクとヘッドセットを外すとバンに乗ってるキューブへ投げ渡した。さすがに素顔を見せることは想定外だったようで、助手席でキューブは呼び止める。彼女はそれを無視して歩く。

 佐々木は手に持っていた銃を彼女へ向ける。

 普段使わない銃だが、この距離なら外すことはまず無い。それでも、淀みなく真っ直ぐ歩いてくると、腕を伸ばせば届く距離まで来ると立ち止まる。

 それと同時に、サターンは銃口を佐々木の頭へ向ける。お互い指を数ミリ動かせば、撃鉄が叩き、致死の弾丸が飛び出す。そんな状況なのに……。

 いや、そんな状況だからこそ彼は彼女に問うた。

「貴女にとって悪とは何ですか!」

「悪ね。……それは、私が知りたいよ。だって、ずっと考え続けてきた事だから。あの時から、ずっと−−」

「あの時? 何を、言っているんですか?」

 しかし彼女は、佐々木の言葉など聞こえていないかの様に喋り続ける。その瞳は、後悔というには苦すぎ、悲しみというには痛すぎた。

「でもね。悪なんて物は存在しないのよ」

「存在しない……」

「そう、悪っていうのはその人が悪だと思うものが悪なの」

 その言葉の真意が分からない。

 彼女の表情が判らない。

「考えてもみてよ。戦隊ものはヒーローがいて悪の敵がいる。けど、それはヒーローから見た悪なんだよ。敵から見れば自分たちが正義で、ヒーロー達が悪なんだよ。万人から正義と呼ばれる人はいないし、万人から悪と言われる人はいないのよ。この世に絶対悪は無く確約された正義も無い。あるのはただ、人の価値観だけだ」


 何も言えない。この場から音も風景も消えて、二人だけの世界に居るとすら思ってしまう。彼女は、一呼吸入れると再び口を開いた。

「この世界は真実の悪で出来ている」

「……とても、危険だ。……あなたは、とても危うい」

 そして、とても歪んでいる。

 一体何が彼女をここまで歪ませてしまったのか?

 それは分らないし、知ることはできないのだろう。それでも、その歪さに、思わず手が小刻みに震えた。

「私は、私の正義を成すわ。それで万人から悪と言われようと、私に後悔はない」

 そう言うが速いか、サターンは引き金を引いた。

 火薬の破裂音が大きく、鮮烈に響いた。思わず目をつむり  

  意識は暗闇に塗りつぶされた。

 最後に耳にしたのは彼女の声だった。

 そこにどんな気持ちが籠ってていたのか定かではない。それでも、その声に僕は少しだけ安心した。


「もし、本当に真実の正義なんてものがあるなら、私は−−」


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