Ⅵ 中


        *


 サターンは目の前の光景を見つめながらも、頭の中では別のことを考えていた。私たちのやっていることは正義なのか、悪なのか。

 前回の強盗の時に手に入れた情報は、私たちの平穏、いや、国をも蝕むものだった。それを食い止めようとする事は正義と悪のどちらかと言われれば正義だろう。しかし、そのために銀行を襲撃し、この手を血の染めた。この事実は紛れようの無い悪だ。

 正義の為に悪を為す。

 矛盾しているだろうか?

 歪だろうか?

 そこで、私の思考の糸は途切れた。

 金の詰め込み作業が終わったからだ。

「終わったね。約束通り君たちには十万ずつを上げるから。よし、ほらここに一列に並んで」

 ぞろぞろと列を作っていく。日本人はこういう列を作る時に喧嘩をしない。もし同じ状況なら、私の出身地では間違いなくいざこざがあるだろう。

「ここで金を受け取った人は来た道を通ってロビーから出て−−」

 私の話を遮る様にキューブから通信が入った。

『こちらキューブ。ロビー付近でコンタクト、もう戦闘になった』

「了解」

『プレステ! そのベルト切れたらセミオートに切換えろ! ……クソッタレ! 何なんだよアイツら。こんな強い部隊があるなんて聞いてないぞ!』

 どうやら、キューブ達と戦っている部隊は相当の手練れらしい。この強盗業を始めて数年あまり経つが、ここまでキューブの切羽詰まった声を聞く事はなかったのだ。


 彼らは、いきなり説明を中断した私に怪訝な視線を投げかける。

「さっきロビーって言ったけど、今あの辺で撃ち合いをしてるみたいだから、ロビーじゃなくて屋上に行って。この扉の左手に階段があるからそれを使って。くれぐれも右に行かないように。身体の穴を増やしたくなかったらね」

 そうして綺麗に一列になった彼らに金を渡していく。金を渡された人は直ぐに部屋から出ていく。銃声が少しずつ近づいてくるのを肌で感じながらも、冷静に、素早く渡していく。

 最後に金を受け取ったのは一人の青年だった。




 

       *


 扉の向こうから何やらヤバイ気配を感じた。佐々木の頬に冷たい汗が一筋伝う。

 彼女もそれを感じ取ったのか、扉の方をジッと見つめている。

 相手が一人なんてことはない。必ず三人以上は居る筈だ。突入してきた時、反撃のタイミングが僅かでも遅れれば音速を超える鉛の集中砲火を受けるのは目に見えてる。

 一秒……二秒……三秒……。

 閉まっていた扉がわずかに揺れた。

 サターンはPPShー41を構えると引き金を引いた。

 毎分九〇〇発という性能を遺憾なく発揮し、七一発入るドラムマガジンは十秒足らずで空になった。フラッシュグレネードなどを投げ込もうとしていた相手の出鼻を見事挫くことに成功したのだ。


 火薬が破裂し、銃口が火を噴く。

 致死の弾丸が休みなく飛び交うここは、死という概念が形作った世界だった。

 時計を見れば銃撃戦の火蓋が切られて僅か二、三分しか経っていないが、体感的には数時間もの間撃ち合いをしていたようにすら感じるのだから、引き金を引いている当人達の疲労は計り知れない。

 そんな中、猫耳強盗サターンはこの状況に違和感を感じていた。


「……おかしい」


 そう呟きながらも、PPShー41を打ち続ける彼女の様子を佐々木は物陰から見ていた。

 彼女が何に違和感を感じたのか、ここからでは分からないが。呟いた時から弾を節約するかのようにフルオートからセミオートに切換えた。

 聞こえてくる発砲音から予想するに、敵は少なくとも三人以上はいるはずだ。しかも、着弾位置の正確さや発泡のタイミングも相当上手い。日本警察の実力部隊であるSATでもこの様な立ち回りは難しいだろう。

 そう、この撃ち方や戦闘の仕方は警察ではなく、軍隊を連想させる。それも、シールズやスペツナズのような特殊部隊独特のものだ。こんな、化け物のような部隊が存在したとは。

 まぁ突入経路が一箇所に限られるからといって、それを一人で食い止めている彼女も化け物じみた手練れであるが。


 狙いの付け方や位置、立ち回りの全てが敵を仕留めるためのものだった。しかし、それは相手も同じ。このまま拮抗した場合有利になるのは装備、人数、気力が充実している警察側だろう。

「青年。その頭を吹っ飛ばされたくなければ頭を引っ込めて」

 声をかけられてようやく、自分が遮蔽となる鉄板から顔を出しそうになっていたことに気がつき、慌てて首を引っ込める。

 青年?

 聞き覚えのある呼び方に、佐々木の意識は彼女へと向けられた。

 知っている。僕は彼女を知っている。

 そうか、彼女だったのか。

 独特の雰囲気。

 達観したような瞳。

 僕を青年と呼ぶその口。

 戦場で何よりも輝くその有り様。

 全てが、あの日出会った彼女だった。


「あ、あの」

「青年、頭を引っ込めろと言っているんだ。私の指示が聞けないのなら、今ここで私がその空っぽの頭に鉛を詰めてやろうか。少しは考えられるようになるだろう」

 銃口は敵へ向いているというのに、張り付けられたように僕は動けなくなった。

「そうだ、いい子だ。……青年、十秒後に銃撃が数秒間止む。その隙に隣の部屋へ行け、脱出口がある。本当は私たち用だったんだけど」

 一秒弱でリロードを済ませると彼女は何度目かの引き金を引いた。

 しかし、一発発射だけでPPShー41が沈黙した。





        *


 突然、黙りこくった愛銃。

 引き金を引いているのに弾が出ない。

 よく見れば本来なら排出されるはずの空薬莢がチャンバー内に詰まっている。


−−排莢不良!


 コンマ一秒が生死の境目となる戦場で突然のトラブル。思わず悪態が飛び出た。

「くそッ!」

 銃撃が止んだことをチャンスだと思ったのか、敵の銃口が自身を捉えたのを確認した。

 世界がゆっくりと流れた。

 脳が体に命令するよりも速く、取るべき最善手を身体がトレースする。

 拳銃を抜き、狙いも適当に引き金を引く。

 女性でも扱いやすい大きさのSPMを左手一本で制御しつつ、脚の間にPPShー41を挟み固定し空いた右手でコッキングレバーを動かす。二、三回引くと薬莢が転がるように取れた。

 弾倉に二発残っているが、全て打ち切る前に手早く銃をPPShー41へ持ち替えた。

 私の視線は投げ捨てられ床を滑って行くSPMではなく、アイアンサイトに捉えた敵だった。

 引き金を引けば、さっきとは違い重い衝撃が手の平へ伝わる。

 そこからは持久戦だった。

 現状は拮抗している。互いに相手を仕留めるほどの人手も弾薬もある訳ではない。逆に言えばそれはあと一人でも仲間がいれば一瞬で押し込めるということもお互いに分かっている。

 つまり、分断した味方がどちらの方が早くこの場へ到着するかが、この場の生死に直結する。

 数分前からキューブとプレステからの通信が途切れている事に、少女は気がつかない。

 サターンは佐々木へ声をかけた。

「今だよ。さっき言った通りに逃げて」

 彼女は引き金を引き、彼らが顔を出すことを阻止している。

 刑事だったら、これは犯人を取り押さえる絶好のチャンスで逃すことなどありえないはずだ。そうだけど、なぜかこの時の佐々木はそれを行動に移すことができなかった。チラリと、一メートルほど後方、丁度、逃げ道に被るように一丁の拳銃が転がっているのが見えた。それは、さっき彼女が使っていた拳銃だった。

「行け!」

 相変わらず敵の方へ視線を向けている彼女が、銃声に負けないくらい大きな声で喝を入れる。それを受け、彼は足を動かした。落ちていた拳銃をそれとなく拾って。

 サターンは佐々木が駆け出したのを見ると満足そうに一つ息を吐いた。





           *


 サターンは引き金を引いた。

 撃針が雷管を叩き、薬莢の中のパウダーに火が付く。膨れ上がったガスが鉄の弾丸を押し出す。弾丸は音の壁を超えて標的へ向かってマズルから飛び出した。

 サターンは暴れるPPShー41をうまくコントロールしながら撃ち続ける。

 青年がこの場から立ち去ったことで、サターンは容赦なく隊員へ殺意を向けられる。

  子どもの前で人は殺さない。

 これは彼女の矜持でもある。キューブに言わせれば、戦闘の中でそんなことを考えているということ自体甘いのだが、それでも彼女はこの考えを捨てることはできない。

 それは、死神が隣で嗤う戦場から暖かい日常へ帰った時、彼女を普通の女の子へ戻すある種の鍵なのだから。


「ッ!」

 しかし、いくらその制約を解除したと言っても、この状況はサターンですら厳しいものだった。弾薬は残り二つしかないマガジンのうち片方を使っており、大量にあったグレネードも片手で数えるだけになってしまった。

 そして何より、仲間の二人との連絡が途絶えているのだ。

 いつから途絶えているのか、それは定かではない。しかし一つ分かっていることは、これは機材トラブルだということだ。機材の不調が原因ということは、二人がやられたから連絡が取れないということではないのが救いか。

 遮蔽から少し頭を出した。敵からの攻撃は−−ない。

 これに機を見たサターンはこの状況を打開するために動き出した。残弾数にも余裕がない為、このままでは此方がジリ貧になると思ったのだ。

 隊員はこのタイミングで飛び出して来るとは思わなかったのか、一瞬だけ狙いを定めるのが遅れた。しかし、ここは戦場。その一瞬が生死を分ける場所だ。

 サターンは次に隠れようと考えていた遮蔽へ走る。フラググレネードを投げ、カウンターへ身を隠した。

 カウンターの材質は金属で、作りもしっかりしている。これならば。遮蔽として、十分に機能するだろう。

 彼女は最後のマガジンチェンジを済ませると、一度大きく息を吐いた。

 そして、彼女はカウンターから顔と銃を覗かせた。

  さあ、ここから勝負だ!



 その日、何十何百と引いた引き金を引き、決戦の幕開けの銃声が鳴り響いた。



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