Ⅴ
事件の聞き取り調査があったため結局、買い物をすることになったのは翌週の日曜日となった。
佐々木と今沢の二人は、署からほど近い場所にあるにある大型ショッピングモールへと足を運んだ。内装自体は白塗りの床やガラス壁など近代的で、店舗も相当な数となっている。当初の予定では例の狙撃事件があった所にでも行こうと考えていたのだが、さすがに人が一人殺されているのだ。無期限の休業停止は間逃れなかった。
佐々木は隣を歩く今沢へ視線を向けた。普段はパンツスーツ姿だからかワンピースというカジュアルな装いはとても新鮮に映った。
「その娘はどんな雰囲気なの?」
「どうって? 可愛らしいといった感じでした」
「じゃあ、こんな感じじゃない」
手渡してきたのはピンク一色のヘッドホン。
「確かに女の子っぽいですけど、そんな派手な感じじゃないですよ」
「じゃあ、これは?」
手渡してきたのは水色でワンポイントマークのあるヘッドホン。
「これいいじゃないですか。いくらですか?」
「五万え」
「他に何かありますか」
今沢の話を遮って、佐々木は次の話題へと変えた。
さすがにヘッドホン一つに五万って。とても出せないし、何より軍資金は二万しかない。そう呟きながら、陳列された商品を眺める。
その後もいくつかの電化製品店へ足を運んだが、これというものが無かったり、あってもとても手が届く値段ではないものだったりと、散々な結果で正午を迎える事となった。
「お昼ご飯、どこかで食べようか」
そう尋ねた今沢にいつもの癖で、有名牛丼チェーン店でどうですかと答えてしまった。すると、彼女の機嫌はみるみる下がっていく。
「減点ポイント、その一。仮にも同世代の女性とのデートでランチが一杯五〇〇円の牛丼屋とかありえない。
減点ポイント、その二。仕事中ならまだ分かるけど今は休日、つまり仕事と休みを分けれてない。
全くこれだから、未だに彼女が出来ないのよ。その気遣いが出来ないあたりモテない原因ね。別に素材は悪くはないし……まぁ、良いわけでもないけど」
ついにはため息と一緒に悪態まで吐かれる始末。
「すみません」
「とりあえず、そこら辺のファミリーレストランにでも行きましょう」
そう言って、彼女は十メートル先に佇むファミレスへ入っていった。慌ててその後を追う佐々木は心の中で、「吉野家とガスト、何が違うのか?」と疑問符を浮かべていた。
まあ、いくら思っても決して口には出さないが。もし、それを彼女に聞かれたら毒舌の餌食になりかねないのだから。
店内では特に変わったこともなく、佐々木はミートソースのパスタを、今沢はオムライスを注文した。
「佐々木君。この辺りだと、行ってないのはflowerっていう雑貨屋さんくらいね。どうする? この後行ってみる?」
今沢は空になった皿にスプーンを置きながら尋ねた。まだ食べていた佐々木は頷いたが口いっぱいにパスタが詰まっているため、声に出すことはしなかった。
その後も黙々と食事は続いた。
会計は割り勘となった。ヘッドホンのために軍資金を残しておくためだ。決して、先輩刑事相手にケチったわけではない。
「そのフラワーってところに行きましょう。もし無かったら、諦めることにします」
彼女は頷いた後、そういえばと言葉を続けた。
「議員の事件、あの後、知り合いの一人が情報屋紛いのことをしてるんだけど、その人に調べるよう頼んでおいた。私が知り得る全ての事件のあらましを話すことになったけどね」
「大丈夫なんですか?」
「アイツの腕は確かよ。十分信用できる。署長からは色々嗅ぎ回るなって言われたけど、そうも言ってられないでしょ」
佐々木は彼女の隣で静かにその話を聞いていたが、内心では彼女の言う情報屋紛いのアイツとは何者なのだろうかという問いが湧き上がってきていた。
基本的には捜査の情報は無関係な一般市民には知らせない。それは、捜査の情報が犯人側へ漏れるのを防ぐためでもある。また、内容によっては個人情報や守秘義務が関わるものもあるからだ。今沢もその事は十分に分かっているはずだ。
それでもなお、彼女が情報を渡したという事は、その人物は絶対に情報を漏らさないと彼女が信用している人物なのだ。佐々木はその人物について聞いてみようと思った。しかし同時に、話してはくれないだろうという直感が、彼の行動を止めた。
「納得はしてませんが分かりました。それと、もし何か分かったら教えてください」
すると彼女は驚いた様子で色々言われると思っていたと言った。そんな彼女に佐々木は心外ですと返すと、彼女は小さく笑った。
佐々木は今沢の案内で件の店に辿り着いた。いかにも雑貨屋といった店構えだった。人一人が通れる程度の狭い通路に所狭しとでスプレイされた商品の数々、イヤホンのような小物から数は少ないものの家電に至るまで、その種類は多岐にわたっている。
その奥に男が一人、レジの前で腰掛けていた。ピアスやタトゥーが目につくが、身につけているのは小さな白い花の刺繍が施された可愛らしいエプロン。そのギャップはとても目を引くものだった。
「すみません」
レジの前に座っているのだから店員だろうと声をかけると、男性は雑誌を閉じた。
「いらっしゃいませ。なんでしょうか?」
「ヘッドホンを買いたいんだけど……」
「ヘッドホンですか、少々お待ちを」
第一印象に反してとても低い物腰に内心驚きつつ、佐々木は店の裏へと向かう店員を目で追う。幾つかの箱を抱えて戻ってきた店員は次々と商品を取り出していく。
「今店にあるのはこれで全部です」
総数自体は多いとは言えないが、プラスチック製の可愛らしいヘッドホンやウッド調の重厚感のあるものまで、その幅は大きかった。
最後の箱から取り出したヘッドホンから、佐々木は目が離せなかった。
「これは?」
「お兄さん、目の付け所がいいですね。そのヘッドホンは値段も一万八千円とヘットホンの中では高いと言えないですが、音質も良く、対応機器も多いですし、コストパフォーマンスの面で言えばこの中ではトップですよ。色はホワイトメタルに赤か青のラインの入ったものと、ブラックメタルにゴールドのラインの入ったものがあります」
店員の話を聞いた彼は一つのヘッドホンを指差した。
「じゃあ、これください」
*
買い物を終えた頃には太陽はすでに西へ傾き出していた。
モールを出て街中を歩く。普段は車で通り過ぎてしまう風景も、歩いてみてみると随分と違って見えるものだ。
「そうだ。例の狙撃された男、無職でここから程近いところにあるマンションに住んでたみたい」
歩きながら思い出しように唐突に話し出した彼女。
「なんでそんなこと知ってるんですか」
佐々木が尋ねると、彼女はいたずらがバレた子どものように笑う。
「さっき、例の情報屋から返信があった」
「……そうですか」
どうにもこれは聞き出せそうにないな。
「そろそろ解散しましょうか? あまり遅いと明日に響きますし」
「せっかくだし、夕飯も食べてこう。さっきは吉野家だったから、今度はすき家なんて言わないでよね」
「さすがに言いませんって。そうですね……サイゼリアなんてどうですか?」
苦笑いを浮かべながら答えると、彼女も「まあ、ましにはなったけど」などと言っていたが、文句は出てこなかった。佐々木は内心で、どんな罵詈雑言が飛んでくるかと心構えていたのだが。
二人は駅前へ足を向けた。確か、駅前にお目当ての店があったのを覆い出したのだ。
街は夕闇に飲み込まれ、自然の光から人の灯す明かりへと衣替えする頃、佐々木の視線に眩しいくらいの金色が写り込んだ。
「どうかした?」
立ち止まった佐々木の様子を不審に思った今沢は、彼の見つめている先へ目を向ける。
そこには、駅前のイルミネーションに光に照らされた一人の少女がいた。
少女は誰かを待っているのか、その場で佇んでいた。しかし、同じ女性である今沢ですらそれだけでも少女の美しさがわかった。いや、同性だからこそ、彼女の美しさが目に止まるのかもしれない。
軽くウェーブのかかった金髪は頸あたりの低い位置でゆるく一つに纏められていた。ピンッとまっすぐに伸びた背筋や下腹部で重ねられている両手、ドレスを着ていればどこかの社交界にいてもおかしくはないだろう。
じっと彼女を見つめる佐々木の姿に今沢は思い当たる節があることに気がついた。
「もしかして、あれがヘッドホンの彼女?」
意識の外にあったのか、今沢が声をかけると佐々木は驚いたようにビクリと肩が跳ねた。
「そうですけど……」
「なーんだ。なら私、先にサイゼリアに入ってる。もしアレだったら私の方には来なくてもいいから」
そう言うと、小走りで今沢は佐々木の元を離れた。
佐々木は今沢の後ろ姿を見送ると、吊る下げられた紙袋の重さを掌に感じながら彼女へ向かって歩き出した。歩きながらも佐々木はいくつか考え事をしていた。
受け取ってくれるだろうか、とか。
誰かと待ち合わせているのだろうか、とか。
もしそうなら、迷惑でないだろうか、とか。
しかし、その中で一番大きい割合を占めていたのは話しかけた時に「どなたですか?」と言われたらどうしよう、ということだった。
一週間近くも前のことだ。それに、一度カフェで隣になった男など覚えているだろうか。不安な気持ちからどう声をかけて良いのか分からず、結局
「こんばんは」
という何でもない挨拶が口をついて出てきたのだった。
「君は、あの喫茶店の青年……」
彼女はどうやら覚えていたらしい。
あの時とは違い白いワイシャツと黒いベスト、ベストと同色のパンツスーツ姿だった。
チラリと彼女の首元を見るとそこにはヘッドホンはかかってなかった。
彼女の後方にあるサイゼリア。窓際の席に座った今沢が楽しそうな笑顔で親指を突き立てているのが偶然にも目に映る。
戻ったら何を言われるか分からないと、思わずゲンナリとしてしまう。どうやら、その機敏を彼女は察したらしく「大丈夫ですか」と視線が訪ねてきた。
僕はそれを気にせず、手に持っていた紙袋を彼女の眼の前に突き出す。
「この前お店にヘッドホンを忘れていって、こっちの手違いで、その……ヘットホンを壊してしまったので、代わりと言いますか、弁償と言いますか……とにかく、新しいヘットホンです」
「……開けても?」
「どうぞ」
恐る恐る袋を受け取ると彼女は丁寧に包装を剥がす。中から出てきたヘッドホンはチタンフレームに赤いラインが入っており、スタイリッシュなデザインであった。
「あまり知られていないブランドですが、性能は大丈夫です。店の店員が保証します」
どこか悪かっただろうか? 彼女は苦笑いしながら再び袋にしまった。
「いえ、いいセンス。……ありがとう」
彼女は柔らく笑った。
「誰かと待ち合わせですか?」
「ええ、仕事仲間と飲みに行くんです」
彼女は頷いた後、眉をひそめた。
「約束の時間もとっくに過ぎているのにまだ来ないんです。まあ、慣れてるのでいいですげど」
言い終わってから、彼女は「いけませんね。あなたに言ってもしょうがないことですし。すみません」とバツの悪そうな表情で続けた。
どうにも気まずい雰囲気に、佐々木は「それじゃあ僕はこれで」と言いその場を後にした。サイゼリアでは、一連の様子を見ていた今沢に揶揄われたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます