Ⅲ 下
*
とりあえず広場へ向かうと、既に数人の作業員が準備をしていた。マイク付きの台や背景に掲げられた看板が着々と取り付けられていく様子を脇目に駐車場へ彼らを迎えに行く。
駐車場と一口に言っても、その広さは並のショッピングモールのそれではない。
しばらく待っていると、道路の先から黒塗りのいかにも高級車だとわかる車が向かってくるのが見えた。
佐々木の目の前で一度止まると、助手席から今沢が顔を覗かした。
「どこか空いている所とかある?」
「ここを真っ直ぐ進んだ先は大分空いてます」
「分かった。佐々木くんはどこか目立つ位置で待ってて」
後続車も現れた事もあり、頷く事で返事をすると工藤を乗せたリムジンは例の駐車スペースへ向かった。
十分ほどした頃、工藤を後ろに連れて今沢が現れた。
「十分後から開始だから準備しておいて」
「了解です。それよりもあの場所だと、ナイフみたいな刃物ならともかく、拳銃なんかを使われるときついですよ」
「日本は銃社会じゃないのよ。さすがにポンポンと手に入れられるわけないでしょ」
今沢の言うことも一理ある。これがアメリカみたいに簡単に銃を手に入れられる環境ではない日本だ。日本国内で犯罪に銃が使用された例は少なく、今日に限ってその数少ない例が起こるとは考え難い。
佐々木はそこまで考えると「そうですよね」と頷いた。
「まぁ、警戒しておいて損はないでしょ」
二人が話している所へ、工藤が近づいてきた。
「では、よろしくお願いします」
今まで自分から話かけて来る事が無かっただけに、この工藤の行動に驚いていた。
しかし、その驚きよりも大きく二人の心を支配したのは怖いという感情だった。二人は見てしまったのだ。工藤議員の瞳に浮かぶ欲望や非情さを。そして、それを覆い隠すような笑顔。
これは本当に人がする目のなのか……。
「一つ。議員にとって正義とはなんですか?」
「正義ですか。考えた事もありませんが、強いて言うなら……欲でしょうかね。もういいですか?」
「時間を取らせてすみませんでした」
二人を脇目に工藤はにこやかな笑顔を貼り付けて壇上へ向かった。
まだ騒がしい雰囲気の中、工藤はマイクの前へ立つ。
「皆さん、こんにちは」
柔かな笑顔を浮かべながら語りかける彼の姿に、佐々木はどこか嫌な気分になった。
工藤の近くで目を光らせている今沢もまた、工藤の変化に小さな戸惑いを覚えていた。
そんなことを知ってか知らずか、工藤は良い人の様に語りかけていた。椅子が並べられている場所を視界の隅に捉える。ちらほらと空いている所も見受けられるが、それでも半分以上が埋まっている。
「今の政治は大きな危機に直面しています。今から 年前、一回目の東京オリンピックが開催されました。日本は焼け野原となり何もなかった。あるのは精々、木炭と焼土だけでした。
その何もない所から、私たち日本人はすべてを築きました。そのお陰もあり、日本は世界に誇る経済大国へと昇りつめるに至るまでになった。しかし、その栄誉を掴むために付いた利子を、私たちは返さなくてはならなくなっているのです。それは、インフラを始めとした建築物の改修です」
工藤は水を一口だけ含み、乾いた舌を潤わせる。
「建物の耐用年数は六十年から七十年程度とされています。私は市民、国民の暮らしの安全を考え−−」
佐々木は工藤の演説から意識を外した。
政治や選挙に興味がないのか、座っている人以外は演説を横目にスピードを変えずに通り抜ける姿が目に付いた。特に不審な動きをする人物も見当たらない。
壇上の工藤の熱弁が佳境に入った時、小百合さんは何かに気付くと、警護対象である工藤へ駆け寄り押し倒した。
何が起こったのか理解が追いつかないまま、広場に雷鳴が鳴り響いた。
違う、聞き慣れたこれは発砲音だ!
そう認識するのと同時に、三十メートル位先にいた一人の男性が頭から血を吹き出しながら前につんのめる様にしてバタリと倒れる。それを皮切りに広場にいた人たちがパニックになった。走り去る男性、しゃがんで泣き喚く子ども、それに駆け寄る女性。何が何だか分からなくなる様な状況だった。
狙撃された人物の元へ行く。その男は自分の血でぐっしょり濡れた帽子を深く被っており、黒いジャケットを羽織っている。だが、佐々木の目はそんな所ではなく、男の手元に集中していた。
男の手にガッチリと握られていたのは、恐ろしいほど黒光りするリボルバーであった。
要人の安全は既に確保されているが、いつまた撃たれるか分からない。あの威力はおそらくスナイパーライフルだと当たりをつけた。
発砲されたのはこの男と議員へ一発ずつ。
しかし、聞こえた発泡音は一度だけ。
それならば、発射のタイミングを重ねて発砲音を隠した? それこそありえない。常識的に考えればサプレッサーをつけていたのだろう。このリボルバーはサプレッサーを付けていないから、付けているとしたらスナイパーの方だろう。
それにしても、これだけ人が密集している中で引き金を引く度胸、そしてセンチ単位の狙撃を成功させる腕前を持つ狙撃手が自分の位置を知らせる様なことをするとは考えにくい。
それらしい人影はもちろん、発砲された方向すら見つける事が出来なかった。
*
「全く、狙撃なんて趣味じゃないのよ。……もっと、こう、銃弾の雨と爆弾の地響きがなくちゃ。こんな静かなのなんて……」
『おーい、戻ってこーい。次の計画があるんだから、そん時存分にやらしてあげるから。……はー、私だってこんなヒーローごっこみたいなことじゃなくて、強盗をしたいよ!仕方ないでしょ、こんなことになるなんて思わなかったんだよ! ……オホン。まぁとにかく、足がつかないように早く戻ってきなさい』
「広場から約五〇〇メートル以上もの距離、サイレンサー付きの射撃で音は届かない。何よりこれだけビルが乱立しているんだ、発砲炎すらも見つかっている心配もないよ」
『とにかく急いで戻ってきなさい。お店の方も大変な時間帯になる頃だから。えっ、何? 食器洗い用の洗剤を買ってきて欲しい? 種類と量は? ……マジックキレイを四ケース分? そういうことだからよろしく』
ブツッと耳元から通信が途絶える音がする。
「早く帰ってこいって言われた奴に、お使いを頼むかなぁ? 普通?」
そう、口にしていながら、この女性にはどこか引っかかる事があった。目標を護衛していた二人だ。一人は見覚えのある青年だが、もう一人の女は
緩やかな風が吹き付ける屋上に立ち、数百メートル先の広場をジッと見つめる一人の女性の姿があった。その傍らには普段彼女が使うものよりも大きく、より獰猛に、より鋭利に作られたSV - 98と一つの薬莢が横たわっていた。
「そういえば、キジマドラッグに四箱もマジックキレイあるかなぁ」
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